知的貢献が半導体の数とエネルギーの総量で決まるようになる,というのは実にマイニングっぽい話である.マイニングに比べて若干嬉しいのは意味がある感じがすることである.感じがするだけなのがミソである.こんなことを考えてたのは懐かしい.
さてFLOPs Drivenの世界はこの境界を突破する.エネルギーと半導体が知性であり,マイニングであり,発見であり,芸術である,という世界は自然崇拝的でないか? ということをここのところ(10年くらい)ずっと考えている.マタギドライブに合わせて,FLOPs Drivenという言葉が降りてきたのは僥倖である.