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東洋の自然観 (Eastern Views of Nature)

自然観のサーベイ


東洋の自然観 (Eastern Views of Nature)

中国: 道家・儒家・仏教の融合

中国思想では、古来より自然との調和が重んじられてきました。道家(道教)は「道(タオ)」すなわち宇宙の自然な秩序に従うことを説き、無為自然(何もしないことによる自然のままのあり方)を理想としました。老子・荘子ら道家の哲学では、人為の及ばぬ領域としての自然を重視し、それを理想世界とみなしました (「日本」と「中国」では自然を大切にする感覚がまるで異なるワケ | 死の講義 | ダイヤモンド・オンライン)。実際、道教では「天地と我と同根、万物と我と一体」とされ、人と自然の調和が強調されています。また道家は自然の自発性自然:ziran)を尊び、「」に則った生き方を追求しました (Daoism)。一方、儒家(儒教)は社会秩序や倫理を重視しつつも、天(天道)の下に自然界と人間秩序が対応すると考えました。儒教では天と地そして人の調和が重要であり、天人合一の思想の下、人間は天地の秩序(天理)に従うべきだとされます。もっとも、儒教は道家ほど自然そのものを尊重しない面もあり、しばしば人間中心的で開発を是認する傾向がありました (【「人間中心主義」から逃れられない環境倫理】中国思想から考える)。中国にはさらに仏教が伝来し、道教・儒教と融合していきます。特に大乗仏教の(くう)の思想は、万物には独立した実体がなく相互依存であると説きました。龍樹の言葉に「すべては縁起により存在し、実体は空である」とあるように、仏教徒は森羅万象を**空(シューニャ)**すなわち「固有の実体なきもの」と捉えます。その結果、自然界のあらゆる現象は互いに関係し合い、独立して存在しないと理解されました。ダライ・ラマ14世も「究極の自然(本性)は空性であり、全てのものは他に依存して存在する」 (The Office of His Holiness The Dalai Lama | The 14th Dalai Lama)と述べています。このように、中国では道家の自然崇拝、儒家の天道思想、仏教の空観が混淆し、人と自然とが一体となった世界観が形作られていきました。

日本: 神道のアニミズムと侘寂の美学

日本文化では、自然そのものが畏敬の対象でした。神道では万物にカミ(神)が宿ると信じるアニミズムが基本であり、山川草木から日月星辰に至るまで全てが神聖な存在とされます。 (Kami - Wikipedia)にあるように「神道において神々は自然と分離せず、自然そのものでもある」とされ、森羅万象に神が宿ると考えられました (Kami - Wikipedia)。八百万の神という言葉が示す通り、森や岩や滝など特定の自然に神が宿る(鎮守の森など)信仰は今も各地に残ります。また神道では人間の作ったものにも霊性が宿るとされ、人間も含め「自然」の一部とみなされます。実際、神道の世界観では人間や人工物も自然の延長上にあり (Microsoft Word - DMPS_Shinto_Eco_Attitude_Final.doc)、科学技術でさえ適切に扱えばカミと共存し得ると考えられてきました。この延長で、日本では近代以降も自然と技術の調和が模索されており、神社建築や庭園に見るように人工物を自然に溶け込ませる美意識が育まれています。さらに日本独自の美学として侘び寂びがあります。侘び寂びは簡素で不完全なものの中に深い美を見出す美意識で、「この世のものは不完全で無常である」という仏教的世界観に根ざしています (Wabi-sabi - Wikipedia)。侘び寂びの美学では無常観(すべては常に移ろうという観念)が重要で、生や死、四季の移り変わりといった自然の儚さを受け入れる態度が美とされています (Wabi-sabi - Wikipedia)。茶室や日本庭園に象徴されるように、欠けた茶碗や紅葉の散り際にも美を認める侘び寂びは、日本人の自然観に深く根付いています。また、日本では技術と自然を対立させず共存させる姿勢も見られます。たとえば神道では「産業技術にもカミが宿る」との考えから、使い古した道具を供養する習慣(針供養など)があり、人間の営みも大いなる自然秩序の中に位置付けられました (Microsoft Word - DMPS_Shinto_Eco_Attitude_Final.doc)。総じて日本人は自然を畏れ敬い、人もその一部として調和する世界観を伝統的に持っており、それが現代の環境共生思想にも影響を与えています。

インド: ヴェーダ哲学と五大元素、仏教・ジャイナ教の生態倫理

インドの伝統思想では宇宙と人間とが一体的に捉えられます。最古のヴェーダ哲学では、宇宙はリタ(Ṛta)と呼ばれる根源原理によって秩序づけられると説かれました。リグ・ヴェーダには天地創造の神話があり、そこでは自然界の諸力(火・風・水など)を神々として崇めています。ヴェーダ宗教においてṚta(リタ)は宇宙と万物を運行する自然の法則そのものであり、自然界と倫理秩序を貫く原理でした (Ṛta - Wikipedia)。この考えは後のヒンドゥー教のダルマ(法)にも引き継がれ、自然界の秩序と人間の法が連続するものとみなされます。またインド伝統医学のアーユルヴェーダやサーンキヤ哲学では、世界は地・水・火・風・空の五大元素からなるとされます。古代インド人は人間の身体も含め森羅万象がこの五元素(パンチャ・マハーブータ)で構成されると考えました ( The Theory of Five Basic Elements in Ayurveda ) ( The Theory of Five Basic Elements in Ayurveda )。アーユルヴェーダではこの五元素のバランスが健康を決めるとされ、人体と宇宙の構成要素が対応しています。インド発祥の宗教である仏教やジャイナ教にも独自の自然観・生態倫理があります。ジャイナ教は極端なまでの不殺生(アヒンサー)を掲げ、すべての生命を平等に尊重します。ジャイナ教徒は大地・水・火・空気にまで生命原理(ジーヴァ)が宿ると考え、微生物ですら傷つけないよう徹底します。ジャイナ教の経典では「すべての生命は神聖であり、あらゆる生物は安心して生きる権利がある」と説かれており (Ahimsa in Jainism - Wikipedia)、植物や微生物に至るまで生き物を害さない生活規範が守られてきました。この倫理観はエコロジー的視点から高く評価され、ジャイナ教は「世界最古の環境倫理宗教」とも称されます (Ahimsa in Jainism - Wikipedia)。一方、仏教もまた生態系への配慮を内包しています。仏陀は一切衆生への慈悲を説き、不殺生戒を定めました。大乗仏教では生命あるもののみならず山川草木にも仏性があると解釈されることがあり、自然への慈悲がうかがえます。仏教環境倫理の現代的解釈では「仏教の縁起思想は、人間が他の人間や自然を支配しない倫理(共生倫理)の基盤である」とされます (Ecology and Religion: Ecology and Buddhism | Encyclopedia.com)。実際、仏教徒の環境活動家は「すべての生きとし生けるものに慈悲を」という教えを環境保護に結び付け、植物や大地を含むあらゆる存在に**メッタ(慈愛)**の心を広げています (Ecology and Religion: Ecology and Buddhism | Encyclopedia.com)。このようにインドの諸伝統は宇宙と生命を一元的に捉え、人間と自然を深く結びつける思想・倫理を発展させました。

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