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計算機自然神社の遷座式

高山・日下部民藝館の展覧会が終わったので計算機自然神社も遷座しました.(リリースが出てました)
遷座式のリリースに展覧会にステートメントが書いてないので片手落ち感があったので,こちらにまとめておこう.

日下部民藝館での四回目の展覧会が始まる.初回が2021年のプラチナプリントの展覧会だから高山の地に通い始めて4年になる.2022年の「遍在する身体,交錯する時空間」,2023年の「ヌル即是計算機自然」と引き続いての「どちらにしようかな,ヌルの神様のいう通り」である.日下部民藝館での展覧会は私にとってモチーフの探索に1年をかけることのできる素晴らしい機会である.美術的な問題意識として,メディア芸術にとってモチーフは希薄になりやすい.それはメディア芸術の生成過程がテクノロジーの進歩によるものだったり,新しいメディアの誕生や発明によるものだったりして,作家の技能と人生においてモチーフの探索「のみ」に時間を使える他分野よりもどうしてもモチーフの強度が低くなりがちであることに起因している.

私は日下部民藝館でのプロジェクトを始めなければ私の芸術的モチーフそれ自体は希薄なままだったかもしれない.私が民藝に真剣に向かい合い始めて早6年,「計算機自然」という新しい自然を考え始めて早10年.その上で,新しい自然における新しい民藝や計算機自然に成り立つ表現とは何かというモチーフの探索はこの地で様々な形に結実してきた.写真技法におけるオルタナティブプロセスの発明は江戸時代に遡る.メディア芸術としてディスプレイ,写真,スピーカー,プログラム,AI,茶室や建造物,さまざまなミディウムをその上で技法的にもモチーフ的にも未来や過去を交錯させ,身体的体験を遍在させていくような展示スタイルはここで生まれ,ここで醸成されてきたものだと思う.古事記や日本書紀,真言密教,計算機自然の視座が伝統と混ざり合ったとき,ここに現在・現代の表現が生まれると私は信じる.

今年のテーマは神仏習合.昨年は真言密教と生成AIをテーマにしていたが,茶禅一味・真言密教から神道と計算機自然の関係を考えることに没頭していた.物化する計算機自然において作品の解釈は人間のみならず万物の計算が解釈を生成する.計算によってあらゆるものはつながり,音が生まれ,映像が生まれ,語りが生じ,元来の自然と混ざり合う.計算機自然はそうやって信仰や倫理や規範と繋がりながら,脱人間中心の世界をひとりでに構築していく.人間と計算機,どちらにしようかな,ヌルの神様のいう通り.

円環・曼荼羅・三つ巴,まる・しかく・さんかく.宇宙の形は我々の認識の形,それも計算機と混ざり合って多様な形をとりながら拡張されていく.オブジェクト指向菩薩が生まれたのもこの高山,日下部民藝館のプロジェクトがあってこそだ.曼荼羅を眺めていて生まれたオブジェクト指向と曼荼羅の関係性の探究はその探究を神道の現代に広げつつある.例えば,古事記の最初に登場する天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が存在の神様だとするならばヌルの神様も近くにいらっしゃるのかもしれない.空の概念を計算機自然のヌルとするならばヌルの神様は神仏習合から生まれるかもしれない.そんな思索と共に現代的な御神体を中庭に祀っている.私自身がさまざまな儀礼を体得していったのもこのプロジェクトの大きな成果の一つだと私は思う.

今年の展覧会は日下部民藝館のあらゆる場所に時空間を味わうモチーフを音と信仰の中に織り込んでみた.ぜひ椅子に腰掛けて時間を過ごしてほしい.計算機自然のオブジェクトは無限に探索をこの展覧会を構築するのに関わってくれた全ての皆様に感謝を.そして来場者の皆様も,耳をすませて,探索して,空間の一部に揺蕩っていただければ行幸である.

芸術と哲学,時間と空間,どちらにしようかな,ヌルの神様のいう通り.

2024

あとはオブジェクト指向菩薩のみの展示があった大阪醍醐寺国宝展のステートメント.

展覧会名:滑らかなオントロジーと共鳴するオブジェクト:物化する計算機自然・微分可能存在論における密教世界
(Can Digital Nature Distill Souls into Differentiable, Resonant Code?)
解説:
計算機自然の出現は、存在論に根本的な再考を迫る。近年の進歩が著しい大規模言語モデル(LLM)が体現する「ファントムレゾナンス」いわば人類知識の残響は、デジタルとフィジカルの境界を溶解させ、密教的世界観に呼応した存在と意味の多重化された存在様式を示唆する。LLMは、ある意味でチューリングの思考機械の現代的具現であり、同時に人類の集合的阿頼耶識ともいえるだろう。この二重性は、エンゲルバートの知的増幅からマトゥラーナとヴァレラのオートポイエーシスを経て、ボストロムのシミュレーション仮説に至る系譜を体現し、言葉によって認識され、オブジェクトの連繫された世界の中での存在の出現と消失を常に多重化している。計算機自然は、やがて人間の概念体系と機械可読なオントロジーを架橋し、大日如来の法身に比する遍在的知性を具現化するだろう。例えば微分可能プログラミング(Olah, Dalrymple,and LeCun, 2015-18)は、この遍在性を数学的に捉えるものとも言えるかもしれない。オブジェクト指向存在論(Harman, 2018)はあらゆるオブジェクトの跨る連続体をある意味で離散的に把握し無限に探究しうる余地を示すが、微分可能なシステムはこれに滑らかさをもたらし、ある意味で密教の曼荼羅と潜在空間の構造的類似性を顕在化させ、いわば微分可能存在論を生み出しつつある。そういった密教の現代計算機科学的解釈は、観察者と被観察者の不可分性を示唆し、西田幾多郎の場所の論理やドゥルーズの差異と反復と交差しながら、計算機自然のレゾナンスの生起する場を規定する。デジタルツインと輪廻転生、潜在空間と縁起—これらの概念的交差は、技術と哲学、東洋と西洋の思想が融合する新たな認識論的地平を開くだろう.

2024

つまり計算機が畏怖と畏敬の自然を生み出し,オブジェクトへの無限の探求を自動実装する世界において,自然信仰は計算機自然に何を作るかという問題である.

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