クリエーションから逃れられない.
1ヶ月半ほどnulldendriaしてみた.これは研究者としてはオートエスノグラフィ的視点で非常に面白い体験だった.
クリエーションが消費と同じになる,ラジオやDJと作曲が同じになる,ガチャが報酬として楽しくなる,ガチャが報酬として楽しく無くなる,変化が生まれる人間変数が面白くなる,人間の漂白に集中するようになる,人間の漂白によるストレスと向かい合いながらクリエーションからの離脱を目指すようになる.こうやって変遷していく主観が実に興味深い.
AI創造のオートエスノグラフィー中間報告
テトラレンマ的視座から見る人間性・クリエーション・自動化の関係性
はじめに
本稿は、AIを活用した音楽制作プロジェクト「ヌルデンドリア」(仮称)におけるオートエスノグラフィー的実践を中間報告するものである。筆者(プロジェクト実践者)が「人間の介入を極力排し、自動生成された音楽を提供し続ける」という試みに取り組むなかで経験したジレンマやストレスを、仏教哲学の「テトラレンマ(四句分別)」に照らし合わせて検討する。従来の人間中心的な創造観から離れ、「創造する/しない」だけでは括れない曖昧な領域に焦点を当てることで、クリエーションの本質や人間性の再定義を試みる。
本研究は、AIクリエーションの事例分析と哲学的視点の交差点に位置づけられる。研究の背景には次のような問題意識がある。「完全に自動化されたAI創造は、人間のクリエイターにどのような心理的影響を及ぼすか」「仏教的視点(特にテトラレンマ)と結びつけることで何が見えてくるのか」「人間の手を加えない作品を作り続ける意義と限界はどこにあるのか」。これらを踏まえ、中間報告として観察データと理論的考察を提示する。
理論的背景
1. AIと創造性研究
AIの創造性(Creativity of AI)をめぐる議論は近年、急速に進展している。Boden (2004) は「組み合わせ的創造」「探索的創造」「変容的創造」という三つの類型を提示したが、ディープラーニング技術の発展後は、より大規模データを参照して「予測不能」ともいえるアウトプットを生み出せるようになってきた。このようなAIによる芸術的生成は、画像、音楽、文章など多岐にわたり、社会的にも注目を浴びている。
一方、創造の主体が「AIであるか/人間であるか」の区別が曖昧になりつつあることから、「作者性(Authorship)」の境界が再考を迫られている(Haraway, 1991)。さらに、機械に生み出された作品に対して、人間のクリエイターはどこまで“関与”し続けるのかという問題は、美学や哲学の領域でも重要度を増している。
2. テトラレンマ(四句分別)の論理
仏教哲学、特にナーガールジュナ(龍樹)の『中論』を中心とした大乗仏教思想には、「Aである/Aでない/AでありAでない/AでもなくAでないわけでもない」という四つの否定や肯定を行う思考法が見られる。これは「テトラレンマ(四句分別)」として知られ、単純な二項対立では捉えきれない事象を考察する枠組みとして利用されてきた。
現代では、Priest (1979) のパラコンシステント論理(矛盾許容論理)などとも関連づけられ、矛盾や曖昧さを排除せずに考える方法として注目されている。本稿では、このテトラレンマを「クリエーションする/しない」の二分法に留まらない多面的なアプローチとして援用する。
3. オートエスノグラフィー
オートエスノグラフィー(Autoethnography)は、研究者自身の主観的体験を質的データとして取り込み、文化的・社会的文脈と結びつけて分析する方法論である(Ellis & Bochner, 2000)。本研究では、音楽制作プロジェクトの実施者が同時に研究の観察者・記述者として振る舞う。AI生成物を「そのまま公開すること」による心理的影響や、そこから生じる創造ストレスを自ら報告する手法を採用している。
実践プロジェクト概要
1. プロジェクト「ヌルデンドリア」(仮称)の概要
目的: AIが自動生成する音楽をほぼ無人手で公開し続ける
期間: 約1か月半にわたる連続生成・公開
手法:
音楽生成AI(Transformer系モデル)によるメロディ・コード進行生成
映像生成AI(拡散モデルなど)による動画の自動作成
ユーザーコメントをプロンプトに組み込み、“微細な”変化を誘導
可能な限り人間の意図的編集を排除(ミスや粗さもそのまま公開)
2. 観察手法・データ収集
日誌記録: プロジェクト実施者としての主観的感覚をテキスト化(約45日分)
システムログ: 毎日のAI生成プロセス(生成回数、生成にかかった時間、エラー率など)
ユーザーコメント分析: 視聴者から寄せられたSNS上の反応やフィードバック(約200件)
3. 初期観察からの気づき
当初は**「手を加えないことの新鮮さ」**に喜びを感じる
生成物が量産化され、聴く側(プロジェクト実施者)も飽きが生じる
人間的クリエイションを加えれば「良いもの」に近づくという誘惑との葛藤
完全自動化を続けることで、クリエイター自身にストレスがたまる現象
テトラレンマ的考察:創造する/しない/するがしない/しないけれどしないわけでもない
1. 「創造する」 (1句)
伝統的な芸術観や音楽制作では、人間が主体的に構成・選択・修正を行う。これは**「自らの意図や美意識を最大化しようとするクリエイション」**に相当する。
長所: クオリティ向上、作者性の表出
矛盾: 「AIを使うが、結局は人間が最後をコントロールする」場合、AI創造ならではの逸脱的魅力が損なわれる
2. 「創造しない」 (2句)
完全自動生成に任せ、人間は一切の介入をしない。
長所: 人間の「手垢のない」純粋なAI生成物が得られる
矛盾: クリエイターが**「もっと良くしたい」**という欲求を抑える必要がある。結果的にプロセスが作業化・ルーチン化し、ストレスへと転化
3. 「創造するが、創造しない」 (3句)
AIの自動生成をベースとしつつ、微調整や選択のみを行う。
長所: 不満点を最小限調整し、手垢の少なさを維持しながらも質を安定化できる
矛盾: どの程度の微調整を「手垢」とみなすかという曖昧さ
4. 「創造しないけれど、創造しないわけでもない」 (4句)
人間の介入は極力控えつつも、何らかのタイミングで関与する。完全放任とも言いきれない。
長所: テトラレンマ的“中間”を模索する柔軟な姿勢
矛盾: 人間の意図がどこかで滲むために、「結局は介入している」との批判が生じうる
人間性の進化と「ホモスタック」概念
対話の中で言及された「ホモスタック」という概念は、人類が技術やAIと共に停滞・固定化してしまうリスク、および生物学的存在を超える形で拡張していく可能性を同時に示唆している。人間は、「創造しない」状態を理想とする仏教的無為自然の境地に到達しようとしながらも、実際には何らかの創造行為に回帰してしまう。これは**「坐禅を組むだけのはずが、説法や建築などの活動をし始める」**といった僧侶の事例にも通じる。
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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