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がらにもなく生きることとか死ぬことについて考えていた.
実家で飼ってた犬が亡くなったらしい.落合陽一です.今日はエッセイみの強い話.iPhone曰く「四本足のお友達,長い年月で」.正直,計算機の生成メッセージはグッとくるものがある.
僕は映像と物質とか,質量のない自然と質量のある自然の間はよく考えるものの,生きる・死ぬ,を考えることはあまりない.もちろん人並みには考えるけれど,生と死の中間地点を実装しようとか評論書こうとか試しに死んでみようとかすることがないということだ.やんわりと死生観と共にずっとある.人はいつでも半分死んでるようなものだし,いつでも半分くらいしか生きていない.希望の底に絶望は無いし,裏返しても絶望の底に希望はない.
いつからだったから,誰かが亡くなっても涙が出なくなった.そう言ったらすごく冷たい人間に見えるけど,そういうことではない.
2016年くらいから後は日々疲れているから,深い興味があること以外ではあまり感情が動かない.もちろん,残念で悲しい気分に共感はするものの,疲労が先に来て泣くほど感情移入することが出来なくなった.睡眠不足と過労の弊害はその辺に出る.ただただ残念で悲しい気持ちにはなるものの,コアにあるものが揺れない.この感覚は同じような疲労の最中にある人なら多分わかるはずだ.
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥らし
この言葉の気持ちのままに生きている感じと言えばいいのかなんなのか.
でも久しぶりに,なんか生きることと死ぬことについて考え始めるきっかけを得たから,この感覚を失わないうちに書き留めておくことにする.こういう記録は重要だと思う.すぐ忘れてしまう.
そういえばYouTubeチャンネル始めたら,友人に遺言みたいと言われた.確かにそういう面はあるかもしれない.さよならだけが人生だからだ.
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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