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マタギドライブ:「森で道具を使っていた。道具は計算機になった。道具は狩猟採集の森を構築するに至った」
デジタルネイチャー(計算機自然)|歴史的・文明論的位置付け
デジタルネイチャー(計算機自然)とは、自然環境と計算機(デジタル情報空間)が相互浸透・融合した結果生じる新たな自然観および世界観である。自然が計算可能な情報として再解釈され、同時に計算機が自然そのものの一部として遍在化し、従来の「自然」と「人工」の二元論的境界が消失する状態を示す。この概念は、物理空間とデジタル空間の境界を越え、全ての実在を等価な情報オブジェクトとして位置付けるものである。
人間の道具使用の歴史を辿ると、初期の狩猟採集社会では道具は自然界から生まれ、自然環境との直接的な調和関係にあった。石器や木製の道具などは自然環境に直接依存し、その使用と製造は人間を自然界の一部として機能させた。農耕社会への移行と共に道具は高度化し、人間による自然支配の象徴となり、自然は次第に操作対象へと変化した。都市文明の発達とともに道具はますます複雑化し、産業革命を経て機械技術が台頭すると、道具は自然から明確に分離された人工物として認識されるようになった。
西洋哲学では、ギリシャ時代以降、自然(ピュシス)と人工(テクネー)の明確な二元論が形成され、自然は客観的に分析され操作可能な対象として扱われた。キリスト教的な思想の影響下においても、人間は自然を支配する特権的存在と見なされ、この人間中心的自然観は科学革命・啓蒙思想によって強化された。これにより、自然を征服し制御する科学技術の発展が促され、現代科学の枠組みが形成された。
一方、東洋では道教や仏教を中心に人間と自然は一体不可分の存在として理解され、老荘思想の道(タオ)は人間と自然を連続的・相互依存的に捉える思想を提供した。荘子の「胡蝶の夢」は仮想性と現実性の境界を相対化し、仏教の「色即是空」は実体と関係性(情報)の相互浸透性を強調した。これらの思想は、自然が計算機的な情報性を持つというデジタルネイチャーの基盤を予見した。
日本的自然観では、自然は単に操作の対象ではなく、感覚的・精神的な共鳴対象であった。寺田寅彦が述べるように、日本人は自然を自分の身体の延長として感じ、妖怪(化け物)などの概念を通じて、自然界の不可解さと人間の存在を調和させようとしてきた。このアニミズム的自然観は、現代の「テクノアニミズム(技術的アニミズム)」と接続し、あらゆるものが情報的実体として相互作用するデジタルネイチャーを理解するための文化的基盤となる。
工学的・技術的展開として、20世紀後半にはマーク・ワイザーのユビキタスコンピューティングが登場し、計算機は背景化し、ユーザーに意識されない自然環境の一部となった。また、MITメディアラボの石井裕が提唱したタンジブルビットおよびラディカルアトムズは、情報を物理的実体に変換する技術として計算機と自然の相互浸透を具体化した。これらの技術は、計算機を「透明化」し、物質世界と情報世界を不可分な融合状態に置くための基礎を築いた。
さらに、現代哲学においてはシモンドンの個体化論やドゥルーズ=ガタリのリゾーム的なネットワーク概念が重要である。シモンドンは技術が環境と絡まり合いながら相互に発展するプロセスとして個体化を提唱し、ドゥルーズ=ガタリは全ての実在が水平的で中心を持たないネットワーク構造として理解されるべきだとした。デジタルネイチャーはこのような分散的な世界観を具現化し、人間中心主義的な自然支配のパラダイムから脱却し、全てが情報的実体として等価な存在論的平面を提供する。
道具としての計算機の特異性は、その自己言及的な仮想性(バーチャル性)にある。計算機は情報を実体化し、物理世界を再構成可能な仮想空間を提供する。現代ではバーチャルリアリティや拡張現実(AR)が発達し、現実と仮想の境界が曖昧化している。デジタルネイチャーは、計算機が構築する仮想環境が物理世界と等価なリアリティを持つことで、両者が完全に相互浸透した新しい「自然」を生み出すことを示している。
文明論的には、デジタルネイチャーはあらゆる文明の自然観を統合可能なフレームワークとなる。西洋の自然支配観、東洋の調和的自然観、イスラム文明の計算可能性、先住民のアニミズムなど、多元的自然観が計算機という道具によって再び融合され、あらゆる存在が平等な情報的存在としてネットワーク化される未来を描いている。
このようにデジタルネイチャーは、人類史における道具と自然の関係を根本的に再定義し、技術と自然の循環的統合を通じて、人間中心主義を超えた新たな文明の可能性を提示する哲学的・技術的概念である。
マタギドライブ:デジタルネイチャー時代の狩猟採集的存在論
辞書的定義(道具論的視点を含む多角的定義)
「マタギドライブ(Matagi Drive)」とは、道具が進化し、計算機を経て再び自然環境と融合し環境そのもの(デジタルネイチャー)となった状況において、人間が自然と対話的に共存しながら狩猟採集的な感覚を再構築し、創造的・探索的に価値を見出す新たな生存態度である。これは、道具が自然化した世界で人間が自然(環境)との相互作用を深め、道具を「森」と捉え、その中で生きる態度を指す。
関連概念の整理
デジタルネイチャー: 計算機技術と自然が融合し、新しい自然環境としての情報生態系を形成する状況。
ユビキタスコンピューティング: 計算機が物理環境に溶け込み、意識されなくなることにより、環境そのものとして機能する状態。
テクノアニミズム: 人工物や技術に生命的、精神的要素を見出し、人間と非人間との新しい共生関係を志向する思想。
アニミズム的世界観: 自然界のすべてに魂や霊性が宿ると考え、人間が自然と対等で対話的な関係を結ぶ思想。
狩猟採集社会: 人間が自然環境と直接的かつ持続可能な相互作用を持ち、資源を循環的に利用する社会的様態。
ASI(超知能): 人間の知能を超え、合理性や効率化を極限まで高めた知的環境を形成する高度人工知能。
道具論(テクノロジー論): 人間が道具(技術)を利用しつつも、その道具によって環境が形成され、人間自身もまた影響を受ける相互作用的な関係性を探求する哲学的視点。
歴史的・文明論的文脈(道具論的視座)
人類史は道具を介して環境を変化させ、環境が再び人間を変容させる相互作用の連鎖である。初期人類は森という自然環境の中で道具を生み出し、生存戦略を高度化させた。道具は技術として精緻化され、計算機という情報処理道具へと進化し、人間の生活全般を覆った。計算機技術が物理的環境と融合(ユビキタス化)した現在、道具は環境そのものとなり、人間は再び狩猟採集的な環境感覚を要求されるようになった。マタギドライブはこの歴史的回帰を象徴的に示し、道具(計算機)が再び自然の一部となる「道具的自然」の時代における人間の在り方を探るものである。
デジタルネイチャーにおける人間の新たな生き方(道具論的実践)
マタギドライブは、道具が環境として立ち現れた世界において、人間が自然に対する畏敬や敬意を持ちつつ、自然と一体化した存在となる生存戦略である。デジタルネイチャーは、合理性を高度に追求したAIやASIが支配的であるがゆえに、人間に非合理的な直観や探索、偶然性を持つことを可能にする。この環境の中で、人間はマタギのように環境と対話し、その中から新たな意味や価値を創出する。
森と人間の相互作用によるマタギドライブの進化
マタギドライブは、単なる狩猟採集への回帰ではなく、人間と道具(計算機)が相互に影響を与え合う「森的関係」を意味する。ここで「森」とは単なる自然環境ではなく、計算機を中心とした情報的・技術的生態系である。この「森」では、人間は技術を制御する主体でも被支配者でもなく、道具との相互作用の中で自らのアイデンティティを再構築する存在となる。この視点は、人間中心主義を超えた新たな環境倫理の基礎となる。
結論
マタギドライブは、人間が道具と再統合され、相互作用を基礎とした新たな環境(デジタルネイチャー)で生きるための包括的な哲学的枠組みである。この概念は、人間が再び道具(計算機)が織りなす森の一部となり、そこから新たな価値と意味を狩猟採集的に探索する未来の生存様式を示唆している。
1. 狩猟採集社会の概要
経済構造:贈与経済と共有財産
狩猟採集社会では、食料や資源は個人の私有物というより共同体で共有される傾向が強い (Sharing, gift-giving, and optimal resource use in hunter-gatherer society)。獲物や採取物は、贈与や共有を通じて分配され、結果として社会全体で比較的平等に行き渡る。マルセル・モースの「贈与論」にも通じるように、このような贈与経済では物々交換や市場取引ではなく、互いに与え合うことでコミュニティの絆を維持する。 (Sharing, gift-giving, and optimal resource use in hunter-gatherer society) (Primitive communism - Wikipedia)実際、マルクスとエンゲルスは先史時代のこうした社会を**「原始共産制」と呼び、資源が個人ではなく集団のものとされ階級や資本の蓄積が存在しないと論じている (Primitive communism - Wikipedia)。もっとも、こうしたロマン化に対して、一部の人類学者は狩猟採集民にも個人的な所有物(私的な道具など)は存在すると指摘している(マーガレット・ミードなど) (Primitive communism - Wikipedia)。総じて、狩猟採集社会の経済は所有よりも共有と互恵**を基盤としており、それが社会の平等性を支える重要な要因となっている。
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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