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農耕以前の狩猟採集社会と先取制・歴史的ルーツの価値:世界各地の事例からみる所有・技術・宗教思想の変容
【序文】
人類史上、約10万~20万年にわたって主流であった狩猟採集生活から、近代文明の基盤となった農耕社会への移行は、われわれの社会構造・所有概念・文化・思想に大きな変化をもたらしたBowles & Choi 2013^(1). 多くの従来研究は、農耕の開始とそれに伴う人口定住化・余剰生産・階層形成を「新石器革命」として位置づけてきたが、近年の考古学や人類学の知見により、狩猟採集民の段階にも限定的な私的所有や先取的権利意識が存在していた、あるいは農耕社会成立前の「儀礼的モニュメント建設」が政治・宗教秩序の原点になった可能性など、新たな観点が提示されているGo¨bekliTepeの研究(Dietrichetal.2012)Göbekli Tepeの研究 (Dietrich et al. 2012)^(2).
本論文は、狩猟採集社会と農耕社会における先取制および歴史・ルーツに価値を置く考え方を包括的に検討する試みである。特に、所有権や収穫の権利、技術革新の優位性、宗教・哲学における先駆者像などを軸に、(1) 農耕以前の社会構造とその特徴的分配システム、(2) 農耕成立後の排他的支配や階層化、(3) それらを正当化・補強する宗教思想や哲学理論、(4) そして狩猟採集民の価値観が現代社会(特にデジタルネイチャー時代やオープンソース運動)に与える示唆――を論じる。
論考の中核となるケーススタディとして、コンゴ盆地のアカ族(平等主義的狩猟採集社会)、トルコのギョベクリ・テペ(農耕移行期の宗教モニュメント)、タンザニアのハッザ族(現存する狩猟採集民)、日本の縄文社会(定住型狩猟採集の長期存続)、およびマタギ文化(農耕民社会内の伝統狩猟集団)を取り上げる。これらの事例を参照しつつ、農耕以前・以後を横断的に比較し、先取制がどのように表現され、どのような社会・思想的意義を担ったかを考察する。
【第I章 問題設定と研究の目的】
1.1 先取制とルーツの価値:なぜ着目するのか
人間社会にはしばしば「誰よりも先に何かを手掛けた者」に特別の評価や権利を与える傾向が認められる。土地の開墾や資源の初期利用、技術の発明、思想・宗教の開祖など、初めての行為・存在に対して社会的権威や法的保護が与えられる事例は広範囲に及ぶ。これを先取制(first-comer advantage; 先占権とも) と呼ぶとき、近代法体系の中では「無主物先占」や「労働混入説」(ロック論)、「特許制度」など、具体的な形で制度化されているLocke1690Locke 1690^(3). 一方、宗教や哲学の領域でも、始祖神話や開祖への崇敬は文明形成に大きな役割を果たしてきた。
しかし、狩猟採集民には一般に「私有財産がない」あるいは「すべてを共有する」イメージが根強く、先取制などとは相いれないと捉えられがちである。ところが近年の人類学的研究は、その単純化を見直す方向へ向かっている。すなわち、(1) 移動型であっても特定の狩猟具や採集道具への個人所有意識がみられる、(2) 定住性の高い狩猟採集民では特定の猟場や漁場を家系的に管理する実態もある、(3) 獲物に最初に接触した者が一定の優先的分配権を持つなど、“先取的”要素が部分的に存在してきたことが報告されているBarnard1993Barnard 1993^(4), Lee & Daly 1999^(5).
対照的に、農耕社会では、先に耕作した土地を私有化する法的権限、余剰生産物の所有と支配、技術や宗教知識の独占化など「先取制」が大きく拡張され、社会階層の固定化や権力構造を生み出した。ヨーロッパでのoccupatio(先占)、イスラム法のihyā al-mawāt(荒地開墾権)、古代日本の墾田永世私財法など、世界中で“先取り”行為を公認する仕組みが形成されたことが示唆されているRomanLawRoman Law^(6), 仮名垣魯文1876仮名垣魯文 1876^(7).
このように、狩猟採集段階から農耕社会への移行過程で先取制がどう進化し、また宗教・哲学がどのようにそれを正当化または抑制したかは、人類の社会構造や思想を理解する重要な切り口となる。本研究はこの論点をさらに掘り下げ、事例ベースで包括的に論じることを目的とする。
1.2 先行研究の整理と問題意識
農耕起源論では、長らくV.G.Childeの“Neolithic Revolution”概念が主流であったが、近年はBowles & Choi(2013)らが**「農耕と私的所有権は共進化した」**というモデルを提唱し、狩猟採集民が“即時型”共有社会から“遅延型”蓄積社会へ移行するプロセスを再考しているBowles & Choi 2013^(1). 一方、人類学的なフィールドワークからは、狩猟採集社会にも限定的な私的領有があり得ること、また平等主義を支えるための複雑な再分配規範があることが多数報告されているWoodburn1982Woodburn 1982^(8), Wiessner1982Wiessner 1982^(9).
ギョベクリ・テペの発見は、定住農耕に先立つ狩猟採集民が大規模石造遺構を築いた可能性を示し、宗教的秩序が農耕社会化を先導したという仮説を提示したDietrichetal.2012Dietrich et al. 2012^(2). これにより、従来の「先に農耕があって都市・宗教・政治が生まれた」という図式に修正を迫る議論が出ている。
日本においては、長い縄文時代にわたって狩猟採集が定住を伴いながら継続し、独特の土器・貝塚文化が形成された点が注目される。マタギのように近世になっても狩猟文化が農村社会内に共存する事例もあり、その間で「先取制」や「共有」概念がどう働いたかは比較文化の興味深い研究対象となっている。
研究の問題意識としては、(1) 狩猟採集民の平等主義・共有システムの根拠と限界、(2) 農耕社会で顕在化する先取的私有権や技術独占の構造、(3) 両者を支える/抑制する宗教・哲学的正当化の展開、(4) 現代社会(デジタルネイチャー時代)のオープンソース運動などとの関連性――を体系的に整理することが挙げられる。
1.3 本研究の位置づけと構成
本論文は、上記問題意識を踏まえて以下の章立てで展開する。
序文:研究背景・目的、先行研究の整理
狩猟採集社会の所有意識・分配システム:移動型と定住型、具体的事例としてコンゴのアカ族やタンザニアのハッザ族を参照し、獲物の再分配ルールや「最初の接触」原則などを検証する。
農耕社会の先取制・所有権制度:メソポタミア・ヨーロッパ・東アジアの古代~中世事例、またギョベクリ・テペの考古学的成果も踏まえながら、農耕社会で先取制が拡大した要因を考察。
宗教・哲学における先駆者の価値づけ:狩猟採集民のシャーマニズム的信仰や農耕文明の世界宗教・王権神授説、ロックの労働混合法など近代所有理論を比較する。
日本における縄文社会とマタギ:長期定住型狩猟採集(縄文)の特徴、農耕社会へ移行後も存続した伝統狩猟集団(マタギ)にみられる共有慣行と先取制の交錯。
現代への示唆:オープンソース運動やファーストムーバー・アドバンテージ論、デジタルネイチャー観点などを通じ、再考される共有と先取の相克。
結論:総括的考察と今後の研究課題。
以上の流れで論を進め、最終的に、**「先取制が狩猟採集社会から農耕社会、そして近代社会へどう変容し、どのような文化・思想的役割を果たしたか」**を多角的に描き出したい。
【第II章 狩猟採集社会の所有意識と分配システム】
2.1 移動型狩猟採集民の基本的特徴
人類はその大部分の歴史(約10万年以上)を狩猟採集民として過ごし、移動生活と少人数バンド集団を基盤としていたとされるService1962Service 1962^(10); Lee & DeVore 1976^(11). 移動型狩猟民は、獲物資源の所在や季節的変動に応じてキャンプ地を転々とし、大規模蓄積が困難であったため、平等主義と共有が社会規範として確立しやすかったという指摘があるSahlins1972Sahlins 1972^(12). こうした環境では、一人が富を独占しても移動時に運搬負担が増すだけで大きなメリットがなく、むしろ仲間との良好関係を維持する方が生存に有利になるからである。
「原初の豊かさ」論として知られるマーシャル・サーリンズの見解Sahlins1972Sahlins 1972^(12)は、狩猟採集民の生活が一見質素でありながら心理的・社会的には豊かであると強調する。食糧をめぐる争奪や貧困が目立たず、資源共有による安全網が機能したため、あえて農耕に進化しなかった可能性もあるという。
2.2 アカ族(コンゴ盆地)の三層分配システム
アカ族(Aka/Pygmy) はコンゴ盆地の熱帯雨林地帯に居住する狩猟採集民として知られ、獲物の分配に厳格な習俗を持つことで有名である。
集団槍猟や網猟で得られた獲物は、まず「武器の所有者」に帰属するという形式的原則があるが、これは排他的権利ではなく「分配責任」を伴うものとして解釈されるBahuchet1993Bahuchet 1993^(13). 2) 次に、狩人同士やその親族に主要部位が配分される第一段階分配(mo.bando)が行われるLewis2002Lewis 2002^(14). 3) さらにキャンプ全体への二次的・三次的分配が行われ、最終的には調理後に細分化して集団全員へ行き渡るため、誰かが先取した獲物を独占することはほぼ不可能となっている。
アカ族はこうした平等・共有の規範を徹底するため、成功した狩人をからかう風習(「お前の獲物など大したことない」と茶化す等)を通じて、自慢や優位性の誇示を抑制するメカニズムを有すると報告されるWoodburn1982Woodburn 1982^(8). これにより、突出するリーダーが権力を持つことを回避し、恒久的な階層化を阻む文化が維持されている。先取の概念はあっても、それが私的独占を生まず、むしろ分配責任を課す方向に作用する点が特徴である。
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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