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日々リアリティーショーを生きること:そういえばうちの親父がオンラインサロン始めたのは15年以上前だった気がする.
日々リアリティショーを生きる.大衆のくるくる輪る掌は見飽きた.人生いろんなことがある.父とは違う道を歩んでいるのに,「七光りと言ってくる有象無象」と「胡散臭さが遺伝しているという有象無象」が同数いるこの矛盾,こっちの身にもなってみろよ,と思いながらこいつらにはどうせわかんねぇんだろうなぁと諦める.これが重要だ.まず全ては諦めることから始めなくてはならない.世の中に実績と呼べることなんて存在しない.ただ誰かが信じた何かがあるだけだ.日々絶望の中に生きていくしかない.それでいい,自分にも何にも期待するな.
そんな結果,僕は小さい頃からポリシーのない大衆にはなんの期待もしていないし,この世界に希望なんてないって思いながらも毎日何かを探して生きている.有象無象の幸せを祈りながらなんかやってあげたいなぁと思いつつ,何も見返りは期待していない.信じられるのは同じ船に乗った誰かだけだ.それもわからない.しかし,誰かを憎んで生きるのはやめるべきだ.
今日もエッセイみが強いと思う.落合陽一です.
SNS上の誹謗中傷が話題になっている昨今思うところがあるから筆をとった.社会貢献活動をしても論文書いても実績ある賞をとっても教職についても国の委員会で貢献してもビジネスを頑張っても胡散臭いと言われ,とことん慣れている自分が他人からの評価や他人から言われることに興味をなくしたのはいつからだろうか.思えば小さい頃から家で言われ続けてきた気もするし,大人になってから自分で気づいた気もする.
父の口癖の1つが「サラリーマンは信用するな,あいつらが最終的に選ぶのはフリーランスでなく会社の決定だ」というやつ.確かに大人になるとそれはそう思う反面,「なんでそこで経営層を握りに行かなかったんだ親父よ!?」と思う程度には大人になった落合陽一がいる.
だから家族のことも世界のことも全てがどうでも良くなった落合陽一がいる.自分の興味の矛先以外はあまり興味を持てないし,人の人情がどうこうという標準化された感覚は何も持ち合わせていない.涙も溢れないだろう.
そんな中,とにかくリアリティショーとSNSの食い合わせは悪いと思う.生活がショーになってしまうことに耐えられるのは,人生に期待していないわずかなショーの住民だけだ.そのショーの住民は小学生の頃からショーの住民として生きているんだと思う.僕もそうだ.それは慣れの問題なのかもしれない.
そして壁に耳あり障子に目あり,この感覚を何歳で獲得するかってことかもしれない.それでも社会に優しくあろうとするかどうかみたいなものかも.
そこで強くあることを目指してはいけない.社会を弱い方に揃えなくてはならないと僕は思う.だから全体をなんとかしようと思うべきなのだと思う.
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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