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きのこの楽器: 歩くという身体表現のようなもの.乙武洋匡に与えられたのはテクノロジーによる「楽器」だと思う #xdiversity #ototakeproject

#xdiversity を始めて4年半.もうすぐ終わりを迎える落合CREST.研究はバンド活動だと気づかせてくれたのがこのCRESTの良いところ.そして良い共同研究者は家族のようなものなのだ.xDiversityはいいチームだと思う.

100m 目前

乙武プロジェクトは遠藤さんがアスリート支援をしていることもあってか,てっきりスポーツの延長のようなものだと思っていた.もしくは身体拡張による社会運動のようなものだと考えていた.パーツを出力し,組み立て,モーターを動かし,プログラミングと機械学習で取りこぼしたものは,乙武洋匡が身体を鍛えることで回収する.とにかく練習を続ける.それを支える内田さんやスタッフたち.

テクノロジーは障害を突破する.テクノロジーの欠陥は人間力によって補完される.大切なのは習慣とモチベーション作りだ.トレーニングとはそういうものなのだ,ということを知る.

そんなことを感じながら,いやあくまで身体拡張とテクノ民藝のお話なのだと思っていた.

しかし,昨日100mを歩く(117mでバランスが崩れた)乙武氏のすぐ横でひたすらカメラを回していた自分が感じたのは,それとは全く違ったものだった.

乙武洋匡にとって車椅子は身体拡張されたインフラである.車椅子があれば乙武氏は自由自在に舗装された道をいき,ニュースに出演し,身長も自由に変えられる.あえてテクノロジーを伴う義足を用いて歩く挑戦とは,そういった様々な社会的課題や社会的困難に向かい合うための社会運動で旗を振るようなものだと考えていた.

結果は違った.金属製の腕を使って(人生で初めての)拍手をする乙武洋匡からする金属音はグルーヴを生み出し,身体拡張された義足による歩行は人々にリズムと応援の声を響かせ,コンヴィヴィアルな体験を伝播させていった.国立競技場の100mトラックの上で,乙武洋匡の身体は,「楽器」にトランスフォームしていた.社会的困難に向かう左脳的アイコンではなく,群衆にグルーヴを生み出し,その相互理解のための演奏を行う右脳的パフォーマーに変化した.これは予想していなかった着地である.

感動ポルノなんてクソ喰らえ,と言っていた2018年から変化したもの

感動ポルノではなく,グルーヴをもたらす音楽だ.この後味は長く余韻になるだろう.そして,言葉で消化されるロジカルなキャンディではなく,胸の高鳴りを通じて具体的な身体行動を伴うトラックになると確信した.遠藤チームが生んだものは,乙武氏がたくさんの聴衆に共感を響かせるための新しい身体楽器だったのだと思うと,それはそれで爽やかな気分になる.

難しいことはいいのだ.そしてロジカルなキャンディも必要ないのだ.おめでとう乙武さん.最高の音楽だった.いつも大変な練習を重ねてくれて本当にありがとう.新しい身体性を獲得されたことを今はただ祝いたい.

そうだ.音はしないが,音楽が奏でられるようになったんだぜ.これは「きのこの楽器だ」.ありがとうジョンケージ.きのこの楽器というネーミングの危うさとエロと胡散臭さ.しかしそういった想定外使用からしか次のステップは見出されないのだと思う.当たり前のものが当たり前の場所でしか使われないなら,それは跳躍を産まない.音がしない音楽,それを奏でるための楽器,いや,そのための身体拡張.きのこでケチャップを作ったらDogs-upって言うんですかね? ケージ.

計算機自然,民藝,グルーヴ,そして今日も探求は続く.

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