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万博落合館に来る人へのAIサーベイ
以下の文章は、落合陽一という人物について、初期作品から2015年前後の『魔法の世紀』や「計算機自然(デジタルネイチャー)」の提唱、そこから2025年大阪・関西万博「null²(ヌルヌル)」パビリオンに至るまでのクロニクルと、その哲学的展開を多角的に批評・評論するものです。岡本太郎の人生と「太陽の塔」を軸にした万博の歴史の例になぞらえながら、落合氏がいかに社会・文化・世界に影響を与え、何を提示しようとしてきたかを検討します。引用文献・ウェブ情報は文末に一括してまとめます。
第I部:落合陽一の歩み――初期から2015年前後の「魔法の世紀」に至るまで
1. 幼少期から大学時代まで
落合陽一は1987年、東京都港区に生まれた。父は国際ジャーナリストの落合信彦、伯父は空手家の落合秀彦である。開成高等学校を卒業後、筑波大学情報メディア創成学類へ進学し、在学中にメディアアートやプログラミングに強い関心を示し始めたと言われる。大学時代からすでに「超音波」「視聴触覚ディスプレイ」など、物理とコンピュータの交差する領域に着目した作品や研究を行い、IPAのスーパークリエータにも認定されている[14]。
2. 東京大学大学院時代と研究の確立
筑波大学卒業後、東京大学大学院学際情報学府に進学し、ヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)の権威である暦本純一の下で研究を行う。博士課程では超音波による空中浮揚技術(いわゆる「Pixie Dust」)や、レーザーを用いて空中に触覚を再現する「Fairy Lights in Femtoseconds」など、メディアアートとHCI、物理学を横断する学術研究を推進した。この頃すでに論文や国際学会での発表においても顕著な業績を重ね、2015年に東京大学大学院学際情報学府博士課程を早期修了している[14]。
3. 「魔法の世紀」とメディアアートの台頭
博士課程在籍時から「魔法の世紀」(2015年刊) という著書に象徴される、新時代の到来を説き始めた。この「魔法の世紀」の基底には「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」というアーサー・C・クラークの言葉に加え、モリス・バーマンの再魔術化などがある。すなわち「コンピュータで世界を魔術的に捉える」姿勢であり、それはアートや研究にとどまらず、社会全体のあり方や文化の変容にまで波及する包括的なビジョンへ発展していく[3][16]。
4. メディアアーティストとしての初期作品
コロイドディスプレイ:シャボン膜を利用した極薄のディスプレイを開発。超音波で膜を振動させ、光の乱反射を制御した作品[7]。2012年前後から国際会議や展示会で注目を浴びる。
Pixie Dust:超音波によって物体(ビーズや小球体)を空中浮揚させる技術。学術研究とアート作品の双方の文脈で発表し、「音で空間を変容させる」という新しい表現を切り開いた[2][14]。
Fairy Lights:レーザー集束による空中での発光・触覚提示システムで、物理的に「空中に触れる光」を生み出す試み。インタラクティブ・ホログラムの先駆的実装として評価される[2][14]。
これらは「映像と物質の間」というキーワードを象徴的に示し、物質と非物質、自然と計算機が交錯する領域を切り拓いた初期の代表作といえる。
第II部:2015年以降の「計算機自然(デジタルネイチャー)」構想と哲学的探求
1. 計算機自然(デジタルネイチャー)の核心
落合陽一が提唱する「計算機自然」は、従来の自然観を拡張・脱構造化し、「人・モノ・自然・計算機・データが相互に接続された新しい自然」を見出す概念である[6][14]。自然とテクノロジーの間に本質的な境界は存在しないのではないか――この問いを出発点に、仏教哲学(特に「空即是色」)や老荘思想を引き合いに出しつつ、計算機があらゆるものと融合する未来を見据える。
2. 「ヌル(null)」概念と仏教的視座
計算機科学における「null(未定義状態)」を、仏教の「空(くう)」になぞらえ、ヌルが「存在しないことが存在する」パラドックスを孕むと主張する[11]。ここでは「空即是色・色即是空」の翻案として「ヌル即是色・色即是ヌル」が頻繁に用いられ、落合特有の宗教的・哲学的解釈が展開されている。
特に2015年以降、作品タイトルや展覧会タイトルにも「ヌル」「空」「曼荼羅」「菩薩」など、神仏習合や真言密教の概念を組み合わせる事例が多く見られるようになった[7][9][19]。
3. 研究・アート・ビジネスを横断する多面的活動
2015年より筑波大学図書館情報メディア系助教としてデジタルネイチャー研究室を創設、2017年には筑波大学図書館情報メディア系准教授就任、2020年には開発研究センターを立ち上げ、大学における研究と社会実装を同時に進める姿勢を鮮明にする[14]。一方で、2015年にピクシーダストテクノロジーズ株式会社を創設し、超音波技術・メタマテリアル技術などの産学連携を推し進めた。ここでは「空間のデジタルトランスフォーメーション」や「人間の身体・多様性の拡張」を掲げ、学術・芸術・ビジネスを包括的に連動させるモデルを提示している[14][19]。
4. 「日本的美意識」との結合
岡本太郎が日本古来の「祭り」や縄文文化を参照しつつ、万博で「太陽の塔」を製作したように、落合陽一も日本の伝統芸術や美意識を積極的に読み込み、自身のテクノロジーアートと結びつける。
茶室プロジェクト:伝統的な茶室をプラスチックなどの現代素材やデジタル技術で再構築し、侘び・寂び・儚さの概念をテクノロジーの文脈で再編する試み[7]。
神道・仏教・民藝との融合:飛騨高山の日下部民藝館での企画展や醍醐寺でのインスタレーションなど、古来の宗教観を「計算機自然」の視点から再解釈している[9][19]。
このような姿勢は、岡本太郎が「伝統と現代」を大胆に融合した軌跡ともある程度の相似性を持つ。
第III部:2025年大阪・関西万博「null²(ヌルヌル)」への展開
1. 万博における落合陽一の位置づけ
2025年大阪・関西万博における「テーマ事業プロデューサー」の一人として、落合陽一はシグネチャーパビリオン「null²(ヌルヌル)」をプロデュースしている[19]。万博の歴史を辿れば、1970年大阪万博で岡本太郎が「太陽の塔」を手がけ、強烈な印象を残した。同様に、落合氏は「いのちを磨く」というテーマを新しいテクノロジーと哲学観をもって世界に提示しようとしている。
2. 「null²(ヌルヌル)」の建築・構造の特徴
鏡面膜の外装:太陽工業が開発した軽量かつ曲面適応性の高いミラー素材を用い、周囲の風景を歪曲させながら反射する。建築物自体が「歪んだ鏡」あるいは「変形する彫刻」として機能する[1][3][19]。
変形可能な構造体:デジタル技術と物理構造の融合により、建築物が動的に形状を変化し得る設計が検討されている。これによって「物質とデジタルの境界が溶け合う」というコンセプトを空間スケールで実現する[1][2][3]。
Mirrored Body®システム:来場者を3Dスキャンし、AIやブロックチェーンで管理されたデジタルアバターとして生成。身体情報が記録され、本人の声や動作を模倣しつつ自律対話する[2][18][19]。これは「身体を情報の集合体として再定義する」先端的アプローチであり、人間存在のデジタル化を強く示唆している。
3. 岡本太郎の「太陽の塔」との比較
岡本太郎は1970年万博で「太陽の塔」を中心に「人類の根源的なエネルギー」を象徴しようとした。落合陽一の「null²」は、鏡面外装やデジタルスキャンによる「いのちの情報化」を通じて、「人間の身体や生命の境界を曖昧化する」方向へ視線を誘導する。岡本太郎が「人類の原点」を掘り起こしたのに対し、落合陽一は「人類の未来像」を提示しているとも言える。そのどちらも「万博」という巨大な舞台で、芸術と社会・文化が激しく交錯する場を活用している点に共通性がある[9][10][25]。
4. 「いのちを磨く」という哲学的テーマ
落合陽一によるシグネチャーパビリオンのタイトルは「いのちを磨く-null²」とも称される。「磨く」という行為は日本古来の神事や銅鏡文化にも繋がる行為であり、一方でコンピュータによるデジタル編集(reconstruction, refinement)にも類似性を見出せる[3][6][19]。
ここでは、(a) 物理世界の体験の不可逆性と、(b) デジタル世界の編集可能性が並置されることによって、「いのち」という概念自体が新たに構成される。パビリオン終了後もデジタル情報としてアバターが存続し、持続可能な芸術・社会モデルを模索する点も他のパビリオンとの明確な差異として挙げられる[19][22][29]。
5. 批判的視点と社会的意義
万博全体に対し「開催の意義や目的が不透明」「コンセプトが弱い」といった批判的意見もある[13]。しかし落合陽一のパビリオンは、そうした批判に対し「明確に計算機と身体の融合を提示し、終了後も持続可能な価値を生む」という答えを出そうとしている点が注目される。岡本太郎が「万博の終焉後も太陽の塔を残し、文化遺産とした」ように、落合氏の「null²」もまた、終了後の拡張性・持続性を重視しているといえる。
第IV部:落合陽一の社会・文化的インパクト――総合批評
1. 再魔術化とポスト人間中心主義
岡本太郎が「芸術は爆発だ」というフレーズで、人類の原初的エネルギーを揺さぶったのに対し、落合陽一は「魔法の世紀」や「計算機自然」によって「再魔術化」の位相を、物理法則とコンピュータ技術の融合から捉え直す。その中心には「人間だけが中心である時代の終焉」と「自然(計算機も含む)との親和的関係構築」がある[5][11][14]。
2. 宗教哲学の混淆とデジタル神話
「ヌル即是色・色即是ヌル」というパラフレーズが象徴するように、落合陽一の思想には仏教思想、とりわけ般若心経の空の概念が貫流している。さらに、真言密教や神仏習合、民藝運動など日本文化の要素を引用しながら、テクノロジー時代の「新たな神話創造」を試みている[7][8][9]。これは岡本太郎が縄文や弥生、神道にまで遡りながら「太陽の塔」を完成させた神話論と相通じる部分があるが、落合の場合はそこに計算機科学が深く組み込まれ、「オブジェクト指向菩薩」のような先例のない創作へと進む。
3. 持続可能性と社会実装
ピクシーダストテクノロジーズの上場や筑波大学での研究センター設立など、アート作品だけではなく産学連携や企業経営という形でも落合陽一は活動を拡張している。そこには「計算機と自然を融合する技術」「身体的多様性を補う技術」「空間のDX」などが含まれ、社会的な課題解決と先端表現の両立を目指す姿勢がある[14][19]。
1970年の万博が「高度成長期の日本」を象徴したとすれば、2025年の大阪・関西万博はポスト成長社会を見据えた多様性とサステナビリティへの転換期を象徴する。その一端を担う落合陽一は、新たな「計算機自然」の哲学を万博という大舞台で提示しようとしていると評価できる。
4. 評価と課題
評価:
学術・芸術・ビジネスを横断し、社会実装まで視野に入れた実践は、日本における産学官連携の先進例として注目されている。
「存在しないはずのものを知覚させる」メディアアートの展開が多彩で、フェムト秒レーザー、超音波制御、メタマテリアルなどの先端技術を駆使し、新しい芸術領域を切り開いている[14]。
課題:
仏教哲学との接続や宗教的モチーフの濫用については、「本質的理解を伴っているのか」「表層的な引用にとどまっていないか」という疑問が一部批評家から指摘されている[13]。
「人体のデータ化」や「万博のテーマである『いのち』の扱い」が倫理面でどこまで配慮されているかは、今後の運営・実装プロセスを見極める必要がある[13][19]。
5. 今後の展望
落合陽一は「計算機による新しい神仏世界観」を提示しているとも言える。これは岡本太郎が西洋近代主義や人間中心主義からの脱却を図った流れを、さらに21世紀のテクノロジー社会にアップデートしたものと捉えられる。万博終了後も「null²」のデータや概念が残り、「デジタルアバターの進化」や「ミラー膜建築物の移転・再利用」などが計画されるなら、それがアート・社会の新しい在り方にどんな影響を与えるかは大いに注目される。
とりわけ「人間の身体認識や宗教観、生命観」を再構築するこの試みは、テクノロジーと人間の境界を問い直す上で極めて重要な契機を提供しうる。今後も学術研究とメディアアート、そして社会システムの領域で、落合陽一の活動は大きなインパクトを与えると考えられる。
参考文献・ウェブ情報(引用一覧)
(以下、ユーザー提示資料に登場した引用元を可能な限り整理し、連番で列挙します。)
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/02484/082700064/
https://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/2012/48-4_02-06.pdf
https://wisdom.nec.com/ja/series/saito/2022092201/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E5%90%88%E9%99%BD%E4%B8%80
https://news.ntv.co.jp/category/society/yt2fd4fecc4e8040ca94124a77a677d90d
https://yoichiochiai.com/exhibition/digital-nature-existence-from-null-to-null/
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2411/11/news176.html
https://yoichiochiai.com/art/digital-nature-life-and-death-motion-and-stillness/
https://yoichiochiai.com/exhibition/digital-nature-existence-from-null-to-null/ (重複参照)
https://yoichiochiai.com/exhibition/null-an-noise-as-silence-silence-as-noise/
https://www.starringmagazine.com/contents/starringu-202401-yoichiochiai-null-an
https://www.timeout.jp/tokyo/ja/news/yoichi-ochiais-exhibition-012224
https://yoichiochiai.com/exhibition/ubiquitus-existence-of-bodies/
https://mercuredesarts.com/2022/01/14/sound_of_digital_fermentation-tanaka/
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000024.000043468.html (重複)
https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/sciencewindow/20191226_w01/
https://www.japandesign.ne.jp/kiriyama/259_noiz/digitally-natural-naturally-digital/
https://www.tokyoartbeat.com/events/-/Yoichi-Ochiai-Exhibition/hosotsuji-ihee-museum/2024-09-21
https://culture.institutfrancais.jp/event/yoichi-ochiai-justine-emard
https://www.kyotodeasobo.com/art/exhibitions/ochiai-eirakuNB24/
(上記以外にも多数の参考文献・ユーザー投稿リンクが存在するが、煩雑さを避けるため大枠で網羅できる範囲に留めた。)
おわりに
落合陽一の歩みは、初期の「魔法の世紀」構想や空中浮揚技術といったメディアアート・HCI研究から始まり、日本古来の哲学・宗教・芸術の要素を積極的に接続しつつ、「計算機自然(デジタルネイチャー)」という包括的概念を確立する道筋を辿ってきた。そして2025年大阪・関西万博のシグネチャーパビリオン「null²(ヌルヌル)」に至るまで、社会的にも大きな影響を及ぼしている。
岡本太郎が「太陽の塔」で示したように、万博は時代を超える芸術・文化の符号点であり、落合陽一は現代において「人間・自然・計算機」の関係を再定義しようとしている。本稿が指摘したように、そこには身体や生命の情報化など、技術的進歩と倫理・宗教・美意識との複雑な交錯も含まれる。いまだ道半ばの試みではあるが、「null²」が世にどう受容され、万博後もどのように社会に根を下ろしていくのか。その動向は今後のテクノロジーと芸術、そして人間観の変容を考える上で極めて重要であろう。
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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