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デジタルネイチャーが織りなす未来――落合陽一が描く万博の新たな世界観とは

年末,AIと友人と対話しながら考えるいのちの形の話.コンヴィヴィアルでラコンビベンシアな話は人間相手だと難しいがAI相手だとどんどん転がっていく.それは素晴らしいことだ.(タイトルはAIが付けてくれました,ありがとう)


デジタルネイチャーが描く万博の未来

――落合陽一のヴィジョンと、第三者インタビューアーとの対話を通して考察する


はじめに

2025年に開催が予定されている大阪・関西万博では、「いのち輝く未来社会のデザイン」というメインテーマのもと、多様な研究者・アーティストが新たなビジョンを提示しています。そのなかでメディアアーティスト・研究者である落合陽一氏は、**「デジタルネイチャー」**を基軸とするパビリオン(通称「落合館」)の構想を披露し、人間観や生死観を再定義するような思想的アプローチを示唆しています。本稿では、落合陽一氏と第三者(インタビューアー、あるいは同席者の「ヤマちゃん」など)との対話を俯瞰し、「デジタルネイチャー」を核とした万博演出の世界観や、その背景となる宗教・思想的意義、そして生と死の境界再編がどのように展開され得るかを学術的に整理していきます。

会話中には複数の発言者が登場し、落合陽一と**第三者(インタビューアーやヤマちゃん)**との議論が交錯しています。とりわけ「神が死んだ」という話題を提示したのは、落合氏ではなく第三者(インタビューアー)である点にも留意が必要です。こうした立場や視点の違いを踏まえつつ、本記事ではそのディスカッションを外挿し、さらに学術的観点から掘り下げた考察を試みます。


1. デジタルネイチャーの概念

1-1. 「自然」の拡張としてのデジタル

落合陽一氏が提唱する「デジタルネイチャー」とは、テクノロジーを自然の“対立物”ではなく“連続体”ととらえ、両者が混ざり合って新たな生態系を形作るという概念です。従来、自然は“人間が手を加えない世界”として定義されることが多かった一方、現代社会ではAIやIoT、クラウドなどが人間の生活に深く入り込み、境界線が曖昧となっています。落合氏は、この「曖昧な境界」を前提に、自然とデジタルを一元的に扱う発想を提示します。

  • 自然環境:動植物、地形、気候などの物理的現象

  • デジタル環境:AI、データベース、インターネット上の仮想空間など

デジタルネイチャーの世界観では、両者が同レイヤーで共存・交錯し、新たな生命観や価値観が立ち上がるとされます。

1-2. オブジェクトとしての存在

デジタルネイチャーでは、「人間」「自然」「AI」「宗教」「概念」といったあらゆるものが**“オブジェクト”として水平に並べられます。これにより、例えば人間が創り出したAIアーティストの生み出す楽曲や映像が、あたかも“独自の生命をもつ”かのように振る舞うことがあり得ます。落合氏は、この「情報が絡み合い、自己増殖し、新たな意味世界を生み出すプロセス」を“命”**に近い現象と位置付けています。

一方で、第三者(インタビューアー)からは「そうした『情報の生命観』は、本当に生物学的な生命と同等に扱えるのか」「神を超えるような概念としてテクノロジーは位置付けられるのか」といった疑義が呈される場面があります。こうした論点は、ニーチェの「神は死んだ」という主張や、現代における科学技術の宗教性をめぐる議論とも深く関わるでしょう。


2. 「神が死んだ」論への応答

2-1. ニーチェの文脈と現代技術

対話の中盤で、インタビューアーが「ニーチェは神が死んだと語ったが、現実には宗教は死んでいない」と指摘し、さらに「デジタルネイチャーこそが神を殺すのではないか?」と問いかけています。ここでの論点を整理すると、以下の通りです。

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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から4年以上経ち,購読すると読める過去記事も1200本を越え(1記事あたり3円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

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