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オートエスノグラフィとしてのnulldendria #nulldendria

オートエスノ性がポイントなんだけど.


毎日アップロードされるnulldendria動画とは

nulldendriaは、AIが作った音楽・映像・文章・ディレクションが日々更新されるYouTubeチャンネルとして展開されています。そこでは、AIが自動生成した作品が連綿と投稿されることで、ポストヒューマン的な音楽や映像のあり方が可視化されます。落合陽一氏自身は、アップロードに対して「ただの観察者」という立場に近い姿勢をとるものの、裏ではユーザーコメントを入力し、新たなアートを誘発していく一連の流れを作り上げています。

なぜ「毎日」が重要なのか

  1. 動的な観察対象
    毎日アップされる映像や音楽は、単なる定点観測ではなく、常時変化し続けるシステムの一部といえます。日々の変化が積み重なることで、研究者の視点、あるいは視聴者の理解が徐々に更新されていく様子をリアルタイムに確認できる仕組みとなっています。

  2. ユーザーからのコメントのフィードバック
    新たな動画が投稿されると、視聴者からのコメントが寄せられます。それらはプロジェクト内のAI学習や方向性調整の一要素となり、最終的に生成されるアウトプットに影響を与えます。つまり、日々のやりとりを通じて作品が変化し、研究者の解釈や実践も並行して変化し続けるのです。

  3. 研究者自身の「毎日の見方」の変化
    落合氏は、狩猟採集時代の身体性と計算機技術を結びつけるという壮大なテーマを掲げていますが、それを持続的に観察し続けるとき、研究者自身の思考や価値観も日々アップデートされていきます。これは、自己と外部環境(AI、自然、視聴者コミュニティなど)のあいだで起こる絶え間ない対話といえます。


オートエスノグラフィ的アプローチとの接点

オートエスノグラフィの概要再掲

オートエスノグラフィは、研究者が自らの体験や感情、行動を「データ」として扱い、そこから文化的・社会的な意味を分析する手法です。研究者自身の内面と、取り巻く環境(社会構造や文化的文脈)を相互に関連づけ、主観的なナラティブを用いつつ、そこから普遍的な視座を得ようとします。

nulldendriaの「日々の更新」との相性

  1. 日常実践の連続性
    オートエスノグラフィでは、研究者が日常生活の中で体験した出来事を逐次記録していくことが多いです。nulldendriaの「毎日更新」は、研究者がそれを継続的に観察し、何がどう変わったのかを捉える上で非常に有効な場を提供します。特に落合氏自身が、動画投稿によるAIのアウトプットと、自身の身体感覚・思考プロセスの揺れ動きをセットで記録することで、オートエスノグラフィの基盤ができあがるのです。

  2. 自己の役割の変化を可視化
    nulldendriaにおいて落合氏は、「作品を創作する主体」でもあり、「作品を眺める観察者」でもあります。この二重性が日々の投稿を通じて明確化されていくにつれ、研究者が「自己の役割は何か」「AIとの境目はどこか」を問い直す契機が増えていきます。オートエスノグラフィ的には、研究者が自己言及的に「自分はどのような存在としてプロジェクトと関わっているのか」を分析することが必須ですが、日ごとの動画投稿がそれを後押ししているといえます。

  3. 外部からの反応の取り込み
    視聴者やユーザーがコメントを通じて寄せる多様な反応は、nulldendriaを巡る「文化的・社会的な対話」の一部です。オートエスノグラフィが目指すのは「自分の主観にとどまらず、その主観がどのように社会やコミュニティと関係しているか」を見ることでもあります。コメントというリアルタイムのフィードバックがあることで、「研究者と視聴者が共に文化を作り直している」プロセスが浮き彫りになります。


毎日更新とオートエスノグラフィがもたらす意義

  1. リアルタイムの知覚変容
    同じようにAIが生成した音楽・映像であっても、毎日見る者にとっては「昨日と何が違うのか」「今日はどう変化したのか」という対比が自然に発生します。落合氏自身も、その微細な差異を感じ取ることで身体的・感覚的なレベルで理解が深まっていくため、これはエスノグラフィ的なフィールドワークに近い体験といえます。

  2. 連続的なアーカイブの形成
    日々の動画は蓄積され、アーカイブとして残り続けます。オートエスノグラフィでは、研究者がその時々のメモや感情をドキュメント化していくことが重要ですが、nulldendriaの場合は「動画」そのものが公開アーカイブになります。研究者はこれらを振り返り、過去のAI生成物と現在のそれを比較し、自身の内省も合わせて可視化することが可能です。

  3. プロセス自体が作品に転化する
    伝統的な研究手法では「最終的な成果(論文や結論)」が重視されがちですが、nulldendriaのように日々生成される作品は、まさにプロセスそのものが重要な意味を持ちます。オートエスノグラフィ的にも、研究過程が研究成果に包含される性質があります。日常的な営みとそこから派生するアウトプットが一体化しており、その全体を研究者自身が内側から語ることで、新しい知が生まれる下地が整えられます。


まとめと展望

毎日動画がアップロードされるnulldendriaは、AIによる自律的な創作プロセスを可視化するだけでなく、それを「毎日観察し、身体を通して経験する」研究者(落合氏)の視点を通して、オートエスノグラフィ的な意味合いを帯びています。ユーザーコメントのフィードバックや、日々更新されるアウトプットを眺める中で、研究者は自らの思考プロセスや感覚の変化を捉え、そこから自然やテクノロジーとの新たな関係性を導き出そうと試みます。

この試みが興味深いのは、人間が消えてもAIだけが創作を続けるという仮想的な設定のなかに、実際には「人間(研究者)による日々の観察記録」という極めて人間的な行為が埋め込まれている点です。そこでは自己言及的な視点が自然と育まれ、結果的に研究者の立ち位置や知覚スタイルが更新されるという、オートエスノグラフィに近い循環が起こります。

nulldendriaが今後どのように進展し、最終的にどのような景色を私たちに提示してくれるのかは未知数ですが、毎日アップロードされるコンテンツと、それを巡る研究者・視聴者の相互作用からは、新しい研究手法や表現手段の可能性が引き出されていくでしょう。そうした連続的・動的な営みこそが、本プロジェクトを豊かなものにしていると考えられます。

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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から4年以上経ち,購読すると読める過去記事も1200本を越え(1記事あたり3円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…

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