
1970年大阪万博に関する詳細調査報告
前の博覧会はどうだったのか.
1970年大阪万博に関する詳細調査報告
1. 開始前のムード
高度経済成長と国民の期待 – 1970年に開催された大阪万国博覧会(EXPO’70)は、日本が戦後の高度経済成長を達成し、世界第2位の経済大国となった象徴的イベントとして企画されました (日本万国博覧会 - Wikipedia)。1964年の東京五輪成功に続く国家的プロジェクトとして位置づけられ、「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた万博には国内世論の高い関心と期待が寄せられていました。政府は開催前年に世論調査を実施し、国民の大半が万博開催を知り興味を示していることを確認しています(昭和43年7月内閣府世論調査より)。多くの人々が最新の科学技術や世界各国の文化に触れる機会として万博を待ち望み、「日本を変えた」とまで評される万博は当時の国内外の大きな潮流の中に位置づけられました (AD_表紙_FC)。
メディアと企業による宣伝戦略 – 開催前、新聞・テレビなどマスメディアは万博を連日大きく取り上げ、テーマ「人類の進歩と調和」の意義や各国パビリオンの見どころを紹介しました。博覧会協会の広報には大手広告代理店が深く関与し、万博の展示計画全般を統括する新しい「ディスプレイ産業」として活躍しました (AD_表紙_FC)。例えば電通や博報堂などは企業パビリオンの企画運営を請け負い、大規模キャンペーンや公式ポスターの制作、テレビCMの展開などで来場呼びかけを行いました。万博の公式シンボルマーク(桜の花を模したデザイン)やテーマソング「世界の国からこんにちは」は全国に浸透し、開催前の日本社会には国を挙げて万博を成功させようとする高揚感が広がっていました。企業も自社の最新技術を披露する絶好の機会と捉え、パビリオン建設やイベント協賛に積極的に参加しました (AD_表紙_FC)。
社会状況と国策イベント – 1960年代後半の日本は高度成長の最盛期でしたが、一方で大学紛争や安保闘争、ベトナム戦争反対運動など社会的緊張も高まっていました。政府は万博を「平和国家日本」をアピールする外交の場として位置づけると同時に、国内には明るい未来像を提示して社会の一体感を醸成する狙いもありました。首相佐藤栄作は万博推進に尽力し、1967年には万博名誉会長に就任して自ら陣頭指揮を執りました (日本万国博覧会 - Wikipedia)。大阪府や経済界も全面協力し、開催地のインフラ整備(会場造成や交通網の拡充)が進められました。こうした官民一体の取り組みにより、「東洋で初の万国博」を成功させようというムードが醸成され、一般市民も開催前から万博に強い関心を示していたのです。
2. 開始前の批判
万博反対運動の台頭 – 華々しい期待の陰で、万博に対する批判や反対運動も存在しました。とくに急進的な学生運動や前衛芸術家の一部は、万博を政府・財界による「文化統制」の象徴とみなし、その開催に異議を唱えました (No508 1969年「万博破壊共闘派」アート・パワーが炸裂する! : 野次馬雑記) (No508 1969年「万博破壊共闘派」アート・パワーが炸裂する! : 野次馬雑記)。1969年には美術家の加藤好弘(前衛芸術グループ「ゼロ次元」主宰)を中心に「万博破壊共闘派」が結成され、「万博粉砕ブラック・フェスティバル」と称する過激なパフォーマンスやティーチインを各地で展開しました (No508 1969年「万博破壊共闘派」アート・パワーが炸裂する! : 野次馬雑記)。彼らは全裸集会や奇抜な儀式的デモを通じて万博反対を訴え、開催直前の京都大学では学生バリケード内で全裸パフォーマンスを行い逮捕者も出しています (No508 1969年「万博破壊共闘派」アート・パワーが炸裂する! : 野次馬雑記) (No508 1969年「万博破壊共闘派」アート・パワーが炸裂する! : 野次馬雑記)。これらの芸術的手法の反博運動は、当時の学生ラディカル派とも結びつき、「万博=体制」に対する抵抗の一翼を担いました。
思想的背景と主張 – 反万博派の思想的背景には、反戦・反権威のニュー左翼的傾向や、商業主義への批判がありました。建築家や批評家も「建築家’70行動委員会」を組織し、1968年11月「万博拒否!建築家総決起集会」を開催して万博中止を訴えています。彼らは安保反対・反戦の立場から万博の政治的意義を問い、巨大開発による環境破壊や国家主導の祭典に異を唱えました。「万国博とは何か」を問う論考が発表され、万博による息苦しさを戦時下の大政翼賛会的な文化統制になぞらえる批判もなされています (No508 1969年「万博破壊共闘派」アート・パワーが炸裂する! : 野次馬雑記) (No508 1969年「万博破壊共闘派」アート・パワーが炸裂する! : 野次馬雑記)。針生一郎や宮内高久といった評論家は「我々にとって万国博とは何か」(『朝日ジャーナル』1969年7月号)を通じ、万博ブームのもたらす危険性を指摘しました。それによれば、万博は高度成長期日本の「全面戦争」的な文化管理体制の到達点であり、芸術や文化の自律性を脅かすものだと論じられています (No508 1969年「万博破壊共闘派」アート・パワーが炸裂する! : 野次馬雑記)。
環境問題への懸念 – また万博会場の建設が千里丘陵の大規模な開発を伴ったことから、一部の市民や環境団体は自然破壊への懸念を示しました。Expo’70開催に反対するデモには環境保護を訴えるプラカードも掲げられ、左派学生だけでなく「自然を守れ」との声も上がりました。当時は公害問題が深刻化し始めた時期でもあり、「人類の進歩と調和」というスローガンに照らして万博そのものが環境破壊ではないかという批判です。海外メディアの報道によれば、日本万博への反対意見の多くは会場建設による自然環境の破壊に向けられており、政治的批判よりもまず生態系保全の観点からの反発だったともされています ( Expo ’70 Destruction Joint-Struggle Group | The Eastern Terraces )。もっとも、これらの環境派の声は当時国内メディアでは大きく取り上げられず、万博開幕を目前にする頃には大勢として万博支持・期待の世論が上回っていたのが実情でした。
3. 開幕後のムード
(image) 熱狂する会場と好意的な世論 – 1970年3月15日の万博開幕直後、会場は連日空前の人出で賑わいました。前日3月14日の開会式には天皇・皇后も臨席し、国内外の来賓約8,000人が参加する盛大な式典で幕を開けています (日本万国博覧会 - Wikipedia)。一般公開初日には早朝から長蛇の列ができ、待ちきれない来場者が改札で座り込みを行う一幕もありました(開幕日に中央口駅で座り込んだ反万博デモ隊67名はその場で逮捕されています (日本万国博覧会 - Wikipedia))。しかし大きな混乱はなく、万博は予定通り183日間の会期を走り出しました。開幕後の報道は各館の人気ぶりや会場の熱気を伝える肯定的なものが大半で、「世界最大の万博開幕」「未来都市が現出した」といった見出しが新聞を飾りました。開催前にあった批判的論調は影を潜め、世論は「まずは万博を楽しもう」という雰囲気に傾いていきました。
来場者の反応と会場の様子 – 万博会場では各国館・企業館に連日長い行列ができ、特にアメリカ館の「月の石」やソ連館の「宇宙船ボストーク」実物などの目玉展示には数時間待ちの群衆が殺到しました (AD_表紙_FC)。世界初公開となる月の石に触れようとする人々の熱狂ぶりは、「人類の進歩」に対する関心の高さを象徴しました。また、巨大な太陽の塔(岡本太郎作)が突き抜けるように立つお祭り広場では、各国の伝統舞踊や楽団の公演が連日行われ、観客は国境を越えた文化交流を体感しました。会期中には延べ2,880回ものイベント・公演が開催され (About Expo ’70 in Osaka – The Official Site of the Tower of the Sun Museum)、世界各地から出演した約27万人のパフォーマーと1,000万人超の観客が一体となって「人類の調和」の祭典を創り上げたのです (About Expo ’70 in Osaka – The Official Site of the Tower of the Sun Museum)。万博を訪れた人々からは「未来への夢を見た」「日本が誇らしい」など好意的な声が多く聞かれ、出口調査でも大多数が「満足」と回答したと伝えられました。
経済効果と政治的影響 – 大阪万博は会期中の総入場者数が約6,421万8,000人に達し (大阪万博 | 万博記念公園)、当時1億人強だった日本の総人口の約6割に相当する人々が訪れた計算になります (AD_表紙_FC)。この記録的な集客力(世界博覧会史上最多 (AD_表紙_FC))により、関西地域を中心に観光・交通・小売業が大いに潤いました。経済波及効果は約1兆円規模にも上ったと推計され、万博関連の設備投資や商品販売の特需が発生しました。また政治的にも、日本のイベント運営力・動員力の高さが国際社会に認知される成果となりました (AD_表紙_FC)。開幕式で挨拶した佐藤栄作首相や石坂泰三万博協会会長は、万博成功を「日本の平和と繁栄の証」と強調し、会期中に来日した各国要人も日本のおもてなしと先端技術に賛辞を送りました。万博期間中、会場内では細かなトラブル(設備の不具合やデモ逮捕など)はあったものの、大きな事故や混乱はなく、結果的に国内世論も「万博大成功」「日本の国際的地位向上」といった肯定的評価で一致しました。
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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