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父親の代から誹謗中傷だらけの自分としては,誹謗中傷は当代で終わらず確実に次世代に禍根を残すことを書いておきたい
「親父も〜だから,こいつも〜だ」というアレ.何度言われたことか.誹謗中傷のニュースを多く見るようになったが,それはそれで大いに結構.人類は学習しないし,中傷されている方は何十年かやってると,心の中にちゃんと何かが形成される.それを社会に対する恨みや憎しみと呼ぶ.
きっと自分が一ミリも人類に期待しなくなったのはこの辺からだと思う.付和雷同する同調圧力のクソ野郎に一ミリも期待はしないし,大抵の人類は「法の奴隷の言葉の自動機械(宮台さん風)」なのだということをよくわかるし,そういう奴らは法のうちから,そして外からの反撃をも予想していないのだろうということもよくわかる.お前ら全員,そして子や孫の代から末代まで安寧に死ねると思うなよ.人を呪わば穴二つ,そして,大多数の誹謗中傷で生まれるのはお前ら自身のたくさんの穴だということを気づかせてやる.無自覚に通り過ぎている奴を見過ごすことはしないし,穴の存在を生涯かけて自覚させながら後悔させてやろうと思う気持ちを忘れたことはない.他人をゲラゲラ笑っているそこのお前だ,人並みに死ねると思うなよ.
ただ限定的な話でもある,絶対に許さない人類がそこそこの割合で社会に混入しているだけだ.残念ながら恨みというのはその親類の責任の有無とは関係がないし,論理とも関係がない.自分が絶対に許さないだけだ.それでも許す? そんな話をしていない.人は同じ気持ちにはなれない.何となくフライデー襲撃事件のことをコトあるごとに思い出す.
しかしながら,ポジティブに考えれば,自分は社会貢献に見返りを求めていないし,人類を愛していなくても何らかの貢献をしようと思うのは徹頭徹尾自分の意地だからだ,ということもできるのは,恨みと社会性のマリアージュでもある.知的な貢献作業も社会実装も好きだ.そこには理由がないし嫌いな人類に愛される必要がない.そんな奴らを含めて愛されようとしている滑稽さもまとめて全部大嫌いだ.自分は意地で社会と向き合うし,少しでもこのクソな世界を住みやすく,美しくしたいだけだ.モチベーションは論理的に記述されないから,エゴとレッテルを貼るのは大いに結構.また何かが変性するだけで結果は変わらないだろうから.
それはさておき誹謗中傷のニュースを多く見るようになったし,そこであげられる弱さは誰かが守ってくれるかもしれない,無視する強さは本当に強さだろうか? ネットの声はきっと永遠にこだましていく.子どもが生まれてからそんなことを考える日が増えた.こういうときなんて言おう.
自分の時代以外のことは気にするな,足を引っ張る奴のことも気にするな,ただ信念を共にする仲間とだけ行動しろ.そして,足を引っ張る奴が抱える問題も含めて自身の才能を用いて解決しろ,それはお前の恨みとは関係がない話だからだ.恨みの話は別に解決すればいい.
きっとそういうのだと思うんだけど,今日はそんな話.恨みも憎しみも含めて自分のできることを愛そうということなのかもしれない.クソ野郎どもをどうしてやろうか,とは徹頭徹尾別な話なのだ.そしてそれはそれで忘れてはならないのだとも思う.つまり自死を選ぶより憎しみを遂行することの方が生に向いているという矛盾を無視してはいけないのかもしれない.この連鎖をただ悲しむべきか無くしていくべきか,答えは言うまでもない.
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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