言語が3回ついたよ.ちょっと色々考えて論文書くか,という感じになったのだけれど,考えをあらかじめまとめておこうと思って書き始めた.
世界は抽象的な言語オブジェクトでできている.口笛言語でもよければ,手話言語でも良い.見立ての記号でできている.シニフィアン(能記)とシニフィエ(所記)の話が,抽象的な定義を共有することで数理的なオブジェクトを利用することができるようになった.ルンバが猫がいます,といえば具体的な指示内容がプログラム言語で出力される.猫:「猫を回避する」といったオブジェクト言語上のクラス名(シニフィアン)も猫を回避するメソッドやプロパティ(シニフィエ)も互いに推測し合って乗り入れ可能になった.時折,いれちがう.ただ,曖昧なまま進めるのはイノベーションである.人が定義してきたあらゆるものは,名前づけと説明で成り立っていたのなら,その抽象的な,大雑把な定義を交換できるようになったことが言語的なインタラクションの根源であるし,それによって自然のあらゆるものをオブジェクト志向で定義しようと思っても人類の数に限界があるから諦めてきたのが今の世界だろう.世界は変わってきたのだ.
Object Oriented Language Simulation on XXX