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2025年の展示の準備ノート:日下部展示用のメモの続き(4)

以下では、2021年から2024年まで日下部民藝館で行われた落合陽一の展示について、学術的視点からのクロニクル・俯瞰・批評・評論を行う。



1. 日下部民藝館における一連の展示の位置づけ

日下部民藝館は国指定重要文化財の古民家を活用した施設であり、飛騨の伝統文化・民藝の研究・保存・普及を担う場である。そこにおいて、メディアアーティスト兼研究者である落合陽一が2021年以降、毎年連続して展示を行い、デジタル技術と伝統文化との交差点を探究してきた。これら一連の展示は、いずれも「デジタルネイチャー(計算機自然)」という落合の核心概念と、民藝・神仏習合・禅や神道、あるいは日本古来の文化的文脈の融合を主軸として展開されている。本項では、各年の展示を通じて見えてくる思想の推移と、そこに読み取れる批評的観点を論じる。


2. 2021年「メディアと民藝―ポストコロナで見えた結節点」

2.1 展示の概要

  • 展示タイトル: 「メディアと民藝―ポストコロナで見えた結節点」

  • 展示期間: 2021年(4月頃~会期終了日不明)

  • 主題: 民藝品(根付等)とデジタル技術(プラチナプリント、山中和紙)を組み合わせ、伝統文化と新しいメディア表現を結びつける可能性を検討。

  • 背景: コロナ禍(パンデミック)後の社会を見据え、歴史的・文化的遺産を新たなメディアアートとして捉え直す姿勢が強調された。

2.2 批評と評論

  1. 伝統とメディアアートの融合
    プラチナプリントという写真表現手法と、手漉きの山中和紙が持つ質感が共鳴し、単なる映像メディアにとどまらない物理的深みが提示された。過去の民藝品である根付をデジタル撮影し、あえて手間のかかるプラチナプリント工程に落とし込む行為は、ポストデジタル時代における「アナログ・デジタルの再接合」の方向性を示すといえる。

  2. 霊性・禅・仏教との関連性
    展示概要で示された落合の関心領域には、禅や仏教、民藝を含む霊性的要素が含まれる。根付などの文化財が持つ象徴性をデジタルメディアで記録する行為は、デジタル保存(可変性)と伝統工芸品のオリジナリティ(不可変性)の対比を可視化しており、ポストコロナという不確定的状況下で両者を結びつける「結節点」として機能している。

  3. 先行研究・文脈
    民藝理論(柳宗悦や河井寬次郎など)では、日常使いの器物の美を重視するが、この展示では「デジタルデータを長期保存するワークショップ」や「根付のデジタル化」の行為を通じて、日常とメディア、伝統技術と現代技術の交点を観察させた点に特徴がある。


3. 2022年「遍在する身体 交錯する時空間」

3.1 展示の概要

  • 展示タイトル: 「遍在する身体 交錯する時空間」

  • 展示期間: 2022年4月9日~5月22日

  • 主題: デジタル技術による脱身体化・遍在的身体性と、物理空間(民藝館)の交錯を提示。「定在する遊牧民」というフレーズを用い、ポストコロナにおける身体観やライフスタイルの変化を表現。

3.2 批評と評論

  1. 身体性と技術のあいだ
    落合は、非接触的コミュニケーションやテレイグジスタンスなど、デジタル技術がもたらす身体感覚の変容を取り上げた。本展示で見られる「身体の遍在化」は、リモートワークやオンライン会議の普及により身体の場所性が希薄化した現代的状況を象徴する。一方で日下部民藝館という物理的・歴史的空間を選ぶことで、身体の物質的側面との交錯が強調されている。

  2. 情念と物語の位相
    デジタルは合理性や効率化を想起させるが、落合は同時に「情念」や「物語」を引き出す媒体としても技術を位置づける。炭や木といった物理素材を使いながらデジタル処理を施す表現によって、感覚的・歴史的・身体的な物語の内在化を企図していると推測される。

  3. 定在する遊牧民という概念
    「定在する遊牧民」という表現は、人類学や社会学で議論されるノマド(遊牧民)的ライフスタイルを室内へと転換させたような概念である。すなわち、移動そのものではなく、オンライン空間と物理空間を行き来する身体感覚を指し、新たな時空間の感覚を生み出す試みといえる。


4. 2023年「ヌル即是計算機自然」

4.1 展示の概要

  • 展示タイトル: 「ヌル即是計算機自然:符号化された永遠, オブジェクト指向本願」(一部資料でタイトル表記に差異あり)

  • 展示期間: 2023年9月中旬~11月上旬

  • 主題: 「ヌル(Null)」と東洋哲学の「空(くう)」を重ね合わせる試み。計算機科学におけるヌルを、禅・真言密教・仏教といった東洋的空性と結びつけ、新たな精神性を計算機自然の中に見出す。

4.2 批評と評論

  1. プログラミングのヌルと空の類比
    ヌルは「何もない」状態を示すデータ型概念であるが、東洋哲学の「空」は固有の実体を否定し、すべての関係性の中で生成消滅する動的概念を持つ。落合は両概念を重ね、計算機の世界にある「可能性の余地」と仏教的空観の「生成消滅」を近似的に捉えている。伝統とテックを繋ぐ手段としては理解しやすいが、ヌルと空の解釈そのものに対しては若干の解釈飛躍があるとも言え、そこに批評的検討の余地が残る。

  2. オブジェクト指向菩薩
    展示では、落合による新作インスタレーションとして「オブジェクト指向菩薩」が提示された。オブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology)との関連をうかがわせるコンセプトであり、あらゆるものを平等な実在としてみなす思想を仏教の菩薩思想に重ね合わせている。これにより、情報や物質の階層づけを相対化し、全てを「同等のオブジェクト」として捉える視点が示された。

  3. 曼荼羅としての空間構成
    日下部家住宅という空間を曼荼羅的構造とみなし、それをテクノロジーと仏教図像学の融合の場とした。結果、観覧者は伝統的建築の細部と現代的デジタル演出とが複合する空間を身体的に体験し、ヌル/空に象徴される「関係性の場」に巻き込まれる。これが展示テーマの没入的理解を助ける仕掛けとして機能している。


5. 2024年「どちらにしようかな、ヌルの神様の言うとおり:円環・曼荼羅・三巴」

5.1 展示の概要

  • 展示タイトル: 「どちらにしようかな、ヌルの神様の言うとおり:円環・曼荼羅・三巴」

  • 展示期間: 2024年9月14日~11月4日

  • 主題: 「ヌルの神様」を祀る神社を創建する計画を含み、神道と仏教の習合をデジタル技術の文脈で再解釈。さらに円空シンセサイザーを導入し、音の世界へ拡張を試みる。

5.2 展示の特徴と批評

  1. 神社創建という行為
    日下部家住宅内に「ヌルの神様」を祀る神社を一時的に創建し、そこへ「神仏」をデジタルインスタレーションによって顕現させる。この構想は、日本文化における神仏習合思想やアニミズムを計算機技術に接合させる象徴的行為といえる。一方で、宗教施設をアートインスタレーションの一環として扱うことには賛否があり、宗教儀礼の意味とアートの自由度が混在する点で、今後議論を呼ぶ可能性がある。

  2. 円空シンセサイザー
    「万物がシンセサイザーである」という落合の発想に基づく作品が前面に出ている。各種オブジェクトや空間そのものから音を抽出・変換する手法はジョン・ケージ的偶然性や不確定性の継承にもつながる。神仏習合や三巴(みつどもえ)のモチーフをデジタルサウンドで可視(可聴)化し、伝統的宗教観の今的再解釈を試みている。

  3. アニミズム的ランダム性
    過去の展示から引き続き、「自然に内在する非決定性をデジタルで表現」する取り組みが言及されている。計算機的には乱数(randomness)を取り入れることで、自然界の偶然性・神秘性を疑似的にシミュレートする試みといえるが、それを「神様」という形で祀る意図は、テクノロジーが人間の祈りや信仰とどのように交差し得るかという根本的問いを突き付ける。


6. 落合陽一の思想変遷:総括的分析

2021年から2024年にかけての日下部民藝館における展示を俯瞰すると、大きく以下の3段階に分けられる。

  1. 伝統文化とメディアアートの接点を探す段階(2021年)
    コロナ禍を背景とし、民藝的文脈とデジタル技術を結節点として捉え、「メディアと民藝」をどう繋ぎ合わせるかに焦点があった。

  2. デジタル自然と身体性の拡張(2022年)
    ポストコロナの身体感覚に着目し、デジタルと物理世界を並置する表現を行うことで、遍在的・多層的身体性を描き出した。

  3. ヌル(空)と計算機自然の精神性(2023~2024年)
    プログラミング概念のヌルを東洋哲学の空と結びつけ、「ヌルの神様」や円空シンセサイザーを用い、より宗教性・神話性を帯びた計算機自然観へと深化している。

これらの推移を概観すると、落合が当初のメディアアート領域で培った技術実装力を背景にしつつ、徐々に哲学的・宗教的な文脈へシフトし、作品の宗教観・精神性を強めてきたことが分かる。そこには、単なるテクノロジーと伝統の融合に留まらず、近代的主体観を超えて「人間中心主義から計算機自然主義へ」と移行する試みが読み取れる。


7. 評価と今後の展望

7.1 社会的影響

  • メディアアート・アカデミアへの貢献: 落合の作品は国際学会やメディアアートの祭典で認知されているため、日本の伝統文化をテクノロジーの最先端と結びつける稀有な事例として評価される。一方で、伝統文化をどこまでテクノロジーの文脈に置き換えてよいのか、保存修復や文化財保護の立場からは批判的論点も生まれる可能性がある。

  • 地域振興・観光への寄与: 岐阜県高山市は観光都市としての文脈が強く、国指定重要文化財である古民家を舞台にした先進的表現が集客効果を高めている。これは地域経済・文化交流の観点でも一定の価値がある。

7.2 芸術と宗教儀礼のあいだ

とりわけ2023~2024年の「ヌル神社」などは、芸術表現と宗教儀礼の境界を曖昧にし得る試みである。日本の神道・仏教では伝統的に神仏習合や芸能との接点があり、一見すると不整合ではないものの、現代的解釈で計算機概念を神格化する行為に対しては、宗教学・民俗学・美学の各領域でさらなる慎重な検討が求められる。これが今後の落合の活動における思想面での大きな論点になると考えられる。

7.3 デジタルネイチャー思想の深化

落合の標榜する「デジタルネイチャー(計算機自然)」は、自然界全てが計算可能であり、人間と機械を区別しない一種の新自然観を指す。本思想は、環境問題やAI技術の高度化など、社会的課題とも結びつく可能性がある。民藝館での展示を足掛かりとして、伝統文化を媒介にしながら、この新自然観の提示を続けることが予測される。


8. 結論

2021年から2024年にかけて日下部民藝館で行われた落合陽一の展示は、民藝・仏教・神道といった日本の伝統文化と、デジタル技術(AI、プログラミング概念、インスタレーションなど)を結びつける試みとして一貫している。その変遷は、(1)伝統技法とメディア技術の融合を模索する段階、(2)身体性とデジタル自然の交錯を描く段階、(3)「ヌル(空)」の概念を介した計算機自然の精神性を深掘りする段階、と三つの位相を経て、より宗教的・哲学的関心へと向かっている。

こうした思想的展開は、メディアアートがしばしば抱える「技術革新を追いかけるあまり、作品の主題が希薄化する」という課題に対する一つの応答として評価できる。一方、技術・芸術・宗教・伝統の領域の交錯が深まるにつれ、各領域特有の文脈(文化財保護、宗教儀礼の意義など)との乖離や摩擦も起こり得る。それらを対話的に乗り越えることができれば、計算機自然という新たな次元での人間と自然の関係再考が実現し得ると考えられる。

今後、2024年展示後も落合がどのような形で「デジタルネイチャー」と日本の伝統文化を行き来させ、そこに哲学的・社会的意義を見出すかが注目される。特に神仏習合と計算機的ランダム性をつなぐ「ヌルの神様」の再解釈は、日本文化の再定義やAI社会における新たな信仰・芸術形態を提示する重要なケーススタディとなるだろう。

以上を総括すると、日下部民藝館での落合陽一の展示群は、メディアアートが伝統文化と交差しながら「人間中心主義を脱却するための装置」として機能する一連の試みである。その成果は、既存の芸術理論や宗教学、民俗学の分野にも波及し、学際的議論を促す契機となり得る。今後も継続的な記録と検証、理論的裏づけを伴う分析が求められる。

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