見出し画像

屋久島、縄文美、岡本太郎、そしてデジタルネイチャー:シンボルの再創造

ちょっとサーベイ.



第1章 はじめに:屋久島・縄文・自然観の変容

1-1. 問題提起

鹿児島県の南海上に浮かぶ屋久島は、樹齢数千年に及ぶとされる巨樹林「縄文杉」を中心に、希有な生態系を有する自然環境で知られてきた。1967年に南日本新聞によって「縄文杉」が報道されたことで、この島は一躍脚光を浴び、1993年には白神山地とともに日本初の世界自然遺産として登録されるに至った。その過程で、「縄文杉」という呼称が強固なシンボル性を帯び、屋久島の観光ブランドの軸となっていったが、一方では、「縄文」という言葉の過剰な神話化や経済的利用が、「本来の自然」に背反するリスクをも引き起こしている。

同時に、1960~1970年代にかけて日本社会に生じた「縄文ブーム」の歴史的な文脈、さらには岡本太郎が提唱した「縄文美」の再評価が、「太古の自然」や「原始的生命力」に対する関心を大きく高揚させてきたことは見逃せない。高度経済成長期の中で、急速な国土開発とともに大量に発見されていった縄文遺跡は、日本人の自然観・歴史観を揺さぶり、ある種の「原初的な自然」をロマンとして消費する動きに拍車をかけた。

そして現代、デジタル技術の浸透が自然のありようを改めて問い直す段階に来ている。メディアアーティストの落合陽一が提唱する「デジタルネイチャー」は、自然と人工物の境界を再考し、情報社会における新たな自然観の形成を予感させるが、そこには必ずしもバラ色の未来のみが描かれているわけではない。技術による「自然」や「縄文」の再構築は、さらなる神話化や商業化を促進する危険を孕むと同時に、批評的な態度をも必要としている。

本稿では、屋久島の「縄文杉」をめぐる経緯を中心に、「縄文美」論や「作られた縄文」という観点を絡めながら、自然観がいかに人為的に変容・更新されてきたかを批評的に考察する。そして最後に、「デジタルネイチャー」という概念が、自然・文化・テクノロジーの交錯点で如何なる帰結をもたらしうるかを検討してみたい。


ここから先は

6,317字
落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から4年以上経ち,購読すると読める過去記事も1200本を越え(1記事あたり3円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…

いつも応援してくださる皆様に落合陽一は支えられています.本当にありがとうございます.