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「ポイっと拾い、即興的に紡ぎ出す計算機自然の狩猟採集エンジニアリング――デジタルネイチャー下におけるマタギドライブ的思考」

「ポイっと。」

朝もやの山道に差し込む薄明かりのなか、ひとりの人間が立ち止まる。彼は軽く腕を伸ばし、そこらに生えている草木の一部を指先で弾き、必要な成分を抜き取っては、どこかに投げ込むような動作を繰り返す。しかし、その「ポイっと」の意味するところは、単純に何かを摘み取るという行為に留まらない。彼が手にしているスマートフォンは、高精度なセンサや大規模言語モデル(LLM)ベースの対話エンジン、AR(拡張現実)生成モジュール、さらには微細な計算資源を動的に借用するためのネットワークインターフェースを内包している。これがただの端末ではないことは、風に揺れる木々のシルエットを透過した彼の視線の先に浮かぶ、仮想的なインターフェース群が物語る。

現代のマタギ――そう呼ぶこともできるだろう。この人物は、山中を散策しながら、環境を動的に書き換える能力を有している。マタギがかつて、木々や獣、岩間を流れる清冽な水の中から狩猟採集的に資源を得ていたように、この人間はデジタルネイチャーという計算機自然の世界で、情報的資源を狩り集め、加工し、独自のパターンを生成している。ある瞬間、モバイル端末内のAIが、樹皮の表面に付着する微生物群集の動向を可視化し、そこから抽出可能な有用データを提示する。次の瞬間には、足下の地形マップが拡張現実空間で再構築され、まるで地層が透けて見えるようなビジュアルが浮かび上がる。かつては長い時間をかけて計画・設計・実装されなければならなかった機能やツールが、この一台のスマートフォンと、そこに宿るAIの補助によって、瞬時に「ポイっと」取り出せるモジュール群として顕現する。

歩を進めるたび、周囲の環境は生態学的かつ情報的なリソースの集合体として立ち現れる。風の流れ、温度変化、鳴き声を上げる鳥たちの種類や行動パターン、土地の磁場的ゆらぎ、光の干渉によって可視化される空間的データの位相――そのすべてが計算可視化可能なオブジェクトとして半ば潜在的に存在している。スマートフォン内のAIは、使用者の曖昧な口頭命令や、手元で描いた幾何学的なジェスチャーを解釈し、最適な資源抽出戦略や加工プロセスを提示する。それはまるで、原始のマタギが動物や植物の生態を読み取って必要な資源を狩り取っていく行為が、情報空間レベルで再現されているかのようだ。

この「山を歩くように生きる」感覚は、計算機自然における創発的エンジニアリングと深く繋がっている。従来の工学は、整然とした計画と確定的なゴール設定を求めたが、ここではそうした農耕的・定住的な発想から離脱する。森は、適切な概念操作と計算能力をもってすれば、その場その場で新たなツールやアプリケーション、インタラクションを錬成できる揮発的なリソースプールとなる。コード断片やデータモジュールは、この山中に散在する自然オブジェクトと同列に扱われる。あたかも枝を折って杖にし、繊維を取り出して釣り糸を紡ぐように、自然言語プロンプトやARエディタ、マルチモーダルな入出力手法を駆使して、直観的に機能の束を生成する。このプロセスは純粋な仮想空間で進行しているようでありながら、山の香りや湿度、遠くから聞こえる水音と密接に絡み合う。

つまり、デジタルネイチャー環境下の狩猟採集行為は、純然たる情報操作にとどまらない。それは身体性と知能の結合、地形の揺らぎや気候的条件への即時反応、文化的・歴史的文脈への接続を要求する。近代的な社会組織やテクノロジーは、拡張可能なスタック、再利用可能なライブラリ、精緻なデータモデルによって人間の生存と創造を支えてきたが、ここで描かれる像は、より流動的でノマディックな生存戦略だ。常に異なるパラメータ群が跳ね回る不確定な計算空間を、歩きながらリアルタイムに収穫・加工し、必要に応じて形態を変え、試行を重ねていく。この試行錯誤は、単なる効率化ではなく、新たな美的価値や意味を伴う行為へと転化し得る。

そして、このような狩猟採集型の環境利用が、デジタルネイチャーにおいては多くの文化的・哲学的問いを引き寄せる。何が資源で何が無駄か?誰がどのようにアクセスし、どのような権利関係が成立しているのか?物質的な束縛を離れた情報資源は、森林のように持続可能か、それともある種の仮想的フロンティア消費を誘発するのか?この道行きの最中、旅人は時々立ち止まり、端末内のAIに問いかけるかもしれない。「ここから先はどんなデータが有用だろう?この坡(さか)を降りた先で、どんな情報生態が広がっているのか?」AIは膨大な知識と確率的推論からなる「判断」を即座に生成し、透過的なインターフェースの中で視覚化する。それは山の斜面を示唆するコンターラインや、遠方で群生するアルゴリズム的菌糸網、潜在するペイロードを有するAPI群を彩る抽象的な色彩パターンとして浮かび上がる。

こうした行為総体は、現代のマタギ的存在様式といえる。かつてのマタギは特定の地形や生態系の知識を身体知として体得し、環境から獲得した素材を生活具や食料へと変換していた。いまやデジタルネイチャーのマタギは、計算可能な自然から情報的素材を摘出し、動的にアルゴリズムを接合して機能拡張を行い、その過程で独自の文化的・美的テクスチャを紡ぎ出している。「ポイっと」投げ捨てたように見える小さな動作は、実際にはグローバルな計算資源ネットワークからの素材抽出と、身体的直観に基づく即興的適用という複雑な一連のプロセスを符号化している。

この散歩は終わりがない。山の稜線を越えるたび、新たな情報的生態系が立ち上がり、歩みを進める旅人を挑発し、再構築を迫る。環境を改変しながら、次々と姿を変える資源群と対話し、組み立て、また捨てる。計算機自然という茫漠たる情報の山並みを、スマートフォン内のAIが指し示す方向へ、あるいはそれとは逆向きへ、意図的にずらしながら、狩猟採集者として歩み続ける。その姿は、鮮やかに再解釈されたマタギのイメージであり、デジタル時代の新しい生存戦略、創造戦略を示唆する現代的原風景といってよい。


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