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ソサエティ1.0から5.0の再定義およびエンドツーエンド概念

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ソサエティ1.0から5.0: 新たな社会像への歩み

ソサエティ1.0から5.0とは、人類社会の歴史を5つの段階に分類し、現代(ソサエティ5.0)を**「超スマート社会」**と位置づける概念です (Society 5.0 - Wikipedia)。この分類は日本政府が提唱したもので、狩猟採集社会に始まり、農耕社会、産業社会、情報社会を経て、AI・IoT等を統合した次世代社会へと至る人類の発展像を示しています (Society 5.0 - Wikipedia) (Society 5.0 - Wikipedia)。以下では各段階の特徴と変遷を図解しつつ、デジタルネイチャー時代における人間存在の再定義と社会構造のパラダイムシフトという視点から詳細に解説します。最新の考古学・人類学の知見や社会理論、哲学的議論を織り交ぜ、ソサエティ5.0がもたらす人間性と社会の変容について考察します。

ソサエティ1.0〜5.0の概念概要

人類社会の発展段階を簡潔にまとめると以下のようになります(図表参照)。各「ソサエティ」は主要な生業や技術の特徴によって定義され、それぞれの移行は技術・社会の大きな革命(農耕革命・産業革命・情報革命など)によって引き起こされました (Society 5.0 - Wikipedia) (Society 5.0 - Wikipedia)。

Society 1.0 (Hunter-Gatherer) [狩猟採集社会]  
    → 狩猟・採集中心の生活。小規模な移動社会 ([Society 5.0 - Wikipedia](https://en.wikipedia.org/wiki/Society_5.0#:~:text=A%20hunter,9))  
      (~紀元前1万年頃、農耕革命以前)  
Society 2.0 (Agrarian) [農耕社会]  
    → 農耕と牧畜による定住社会。人口増加と生産性向上 ([Society 5.0 - Wikipedia](https://en.wikipedia.org/wiki/Society_5.0#:~:text=An%20agrarian%20society%20is%20a,industrial%20times.%5B%2010))  
      (紀元前1万年以降、都市・文明の形成)  
Society 3.0 (Industrial) [産業社会]  
    → 工業化と機械生産に基づく社会。大量生産と都市化 ([Society 5.0 - Wikipedia](https://en.wikipedia.org/wiki/Society_5.0#:~:text=An%20industrial%20society%20that%20has,centered%20society.%5B%2011))  1819世紀の産業革命期)  
Society 4.0 (Information) [情報社会]  
    → コンピュータと通信技術による情報社会。知識経済化 ([Society 5.0 - Wikipedia](https://en.wikipedia.org/wiki/Society_5.0#:~:text=An%20information%20society%20is%20a,12))  20世紀後半、デジタル革命・グローバル化)  
Society 5.0 (Super Smart) [超スマート社会]  
    → サイバー空間と現実空間の融合。AI・IoTで高度最適化 ([Society 5.0 - Wikipedia](https://en.wikipedia.org/wiki/Society_5.0#:~:text=It%20is%20an%20adaptation%20of,6)) ([Society 5.0 - Wikipedia](https://en.wikipedia.org/wiki/Society_5.0#:~:text=Society%205,7))  21世紀、人間中心の持続可能社会を目指す)  

図: ソサエティ1.0から5.0への発展段階と各社会の特徴

ソサエティ1.0(狩猟採集社会)は、人類が狩猟と採集によって生計を立てていた時代であり、全ての人類社会が農耕開始以前はこの形態に属していたと考えられています (Society 5.0 - Wikipedia)。ソサエティ2.0(農耕社会)は約1万年前の農業革命以降に始まった定住農耕社会で、食料生産の飛躍的増大により人口と社会規模が拡大しました (Society 5.0 - Wikipedia)。ソサエティ3.0(産業社会)は18〜19世紀の産業革命によって出現した工業化社会で、大量生産と大量消費、都市化が進みました (Society 5.0 - Wikipedia)。続くソサエティ4.0(情報社会)は20世紀後半から現在に至る情報技術主導の社会で、コンピュータや通信ネットワークの発達により情報の生成・共有が社会の中心となっています (Society 5.0 - Wikipedia)。そして最新段階のソサエティ5.0(超スマート社会)は、日本が提唱する未来社会像であり、サイバー空間(情報空間)とフィジカル空間(現実世界)を高度に融合させることで、経済発展と社会的課題の解決を両立しようとするものです (Society 5.0 - Wikipedia)。ソサエティ5.0ではAI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)をあらゆる分野に活用し、人々の安全・安心・快適といったニーズを満たしつつ、一人ひとりが望む生活を実現することが目指されています (Society 5.0 - Wikipedia)。

以上がソサエティ1.0から5.0の概要ですが、これらの段階は単なる技術進歩の歴史ではなく、人類の社会構造人間観の変容の歴史でもあります。次章以降では、狩猟採集社会の多様性と農耕社会への移行、産業化とグローバル化による社会構造の変動、そしてデジタルネイチャー時代における存在論的転回と人間性の再定義について、順を追って解説していきます。

初期社会(1.0〜2.0)の多様性と最新の知見

狩猟採集社会の多様性: 従来、狩猟採集社会(ソサエティ1.0)は小規模で平等主義的、ときに「原初的豊かさ」を持つ社会と考えられてきました (Hunting and gathering | Open Encyclopedia of Anthropology)。確かに、多くの狩猟採集民は親族を中心とした数十人規模のバンド(小集団)で生活し、必要以上に働かずとも生活資源を得ていたとする報告があります (Hunting and gathering | Open Encyclopedia of Anthropology)。マーシャル・サーリンズが提唱した「初期社会の豊かさ」という概念は、狩猟採集民が必要最低限の労働で充足な生活を営んでいた可能性を示唆します (Hunting and gathering | Open Encyclopedia of Anthropology)。一方で、近年の人類学・考古学研究は、狩猟採集民の社会が必ずしも単純一様ではなく、地域ごとに多様な適応と文化を持っていたことを明らかにしています (Hunting and gathering | Open Encyclopedia of Anthropology)。例えば、季節によって集団の大小や指導者の有無が変化する可変的な社会構造を持つ狩猟採集社会もあれば、沿岸部で定住生活を送り身分差のある社会(北西海岸インディアンのような「複雑狩猟採集民」)も存在しました (Hunting and gathering | Open Encyclopedia of Anthropology)。このように、ソサエティ1.0の段階にも多彩な社会形態があったことが、現代の研究で強調されています。

農耕社会への移行と考古学的発見: 約1万年前に始まる農耕(栽培)と牧畜の導入は、しばしば人類史上最大の転換点とみなされます。定住農耕社会(ソサエティ2.0)の出現によって、人口密度の上昇、余剰生産物の蓄積、階層社会や都市の形成などが始まりました (Society 5.0 - Wikipedia)。しかし、この農耕への移行プロセスは直線的・画一的ではなかったことが近年の考古学的知見から示唆されています。特に注目すべきはトルコ南東部の遺跡ギョベクリ・テペ (Göbekli Tepe)の発見です。ギョベクリ・テペは紀元前9000年頃の遺跡で、巨大なT字型石柱からなる環状構造(神殿群)が見つかっています (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021) (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021)。驚くべきことに、この遺跡からは明確な農耕の痕跡がほとんどなく、建設当時そこに集まった人々はまだ農耕を始める前の狩猟採集民だった可能性が高いのです (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021) (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021)。

従来の定説では、「まず農耕・定住による食料余剰が生まれ、それが高度な宗教・芸術・社会組織を可能にした」と考えられてきました (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021)。ところが、ギョベクリ・テペの発見はこの因果関係を逆転させ、「まず巨大な宗教的モニュメント(神殿)が築かれ、それを維持する必要から農耕が導入された」可能性を示唆しました (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021)。考古学者クラウス・シュミットは、ギョベクリ・テペの建造に必要な協働作業や定期的な大規模集会が、人々に定住と栽培化を促したのではないかと提唱し、「神殿が先にあり、都市(定住生活)は後から来た」と表現しています (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021) (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021)。この解釈は、農耕社会への移行が一方向の進歩ではなく、宗教的・社会的要因が先導する複雑な過程であった可能性を示しています。

さらに近年の再調査では、ギョベクリ・テペ自体がある程度の定住性を持つ集落であった証拠も出始めており、一連の建造物が並行して使用されていたことが示唆されています (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021)。一部の研究者は、ギョベクリ・テペを「狩猟採集民による最後の抵抗」と捉え、農耕化が迫る中で旧来の生活様式(遊動・狩猟採集)を維持しようとする試みだったと解釈しています (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021)。いずれにせよ、この遺跡の発見によって、ソサエティ1.0から2.0への移行像はより多様で動的なものへと書き換えられました。狩猟採集社会の終焉と農耕社会の成立は、地域ごとに異なるタイミングと様式で起こり得たのであり、一部では狩猟採集民が大規模建設プロジェクトを遂行できるほど高度な社会組織と文化を持っていたことが明らかになったのです (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021) (Features - Last Stand of the Hunter-Gatherers? - Archaeology Magazine - May/June 2021)。このことは、人間社会の発展を一律の段階論で捉えることへの警鐘でもあります。

社会構造の動態性: 世界システム論とアクターネットワーク理論

グローバルな階層構造 – 世界システム論: ソサエティ3.0(産業社会)から4.0(情報社会)にかけて、人類は世界規模で結びついた単一の社会システムを形成するようになりました。社会学者イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論によれば、16世紀以降の近代世界は一つの資本主義的な世界経済システムとして統合されており、その中で「中核(コア)」「周辺(ペリフェリー)」「半周辺」といった地位の差が生まれたとされます (8.6I: World-Systems Theory - Social Sci LibreTexts) (8.6I: World-Systems Theory - Social Sci LibreTexts)。中核に位置する国や地域(典型的には西欧列強)は工業製品の生産など付加価値の高い経済活動を担い、周辺の地域は原材料供給や労働力供給に従事させられるという搾取的な分業関係が確立しました (8.6I: World-Systems Theory - Social Sci LibreTexts)。例えば、産業革命期のイギリスがインドやアフリカから原料を輸入し、自国で工業製品に加工して利益を上げた関係は、このコア-ペリフェリー関係の典型です。また現在のグローバル経済においても、先進工業国(中核)が途上国(周辺)の安価な労働力や資源に依存しつつ、自らは資本と技術を集中させる構図が続いています (8.6I: World-Systems Theory - Social Sci LibreTexts) (8.6I: World-Systems Theory - Social Sci LibreTexts)。世界システム論は社会3.0以降の世界秩序を動的なグローバル階層構造として捉え、社会変動を個別国家単位ではなく世界全体の相互作用として分析する視座を提供しました。

ネットワークとしての社会 – アクターネットワーク理論: 他方、社会構造の動態性を捉える理論として、**アクターネットワーク理論 (ANT)**も重要です。ブルーノ・ラトゥールらが科学技術研究の中で提唱したこの理論は、社会を構成する要素を人間だけに限らず、非人間(モノや動物、技術)を含むあらゆる「行為者 (actor)」がネットワーク状に関係し合うことで社会が成り立つと考えます (Actor–network theory - Wikipedia) (Actor–network theory - Wikipedia)。ANTの観点では、社会的な力や構造はそれ自体として実体があるのではなく、ネットワーク内のアクター同士の関係が生み出す効果として現れるとされます (Actor–network theory - Wikipedia)。つまり、社会秩序を説明する際に「経済構造」「文化規範」など抽象的な概念を安易に前提とせず、まずは人間・組織・技術装置など具体的な要素間の結びつきを記述することが重視されます (Actor–network theory - Wikipedia)。アクターネットワーク理論においては、人間とテクノロジーの区別も相対化されます。たとえばインターネット上のソーシャルメディアを考えると、人間のユーザーだけでなく、アルゴリズムやサーバー、プログラムされたボットも「行為者」として情報拡散や意見形成に関与しています。社会4.0〜5.0の舞台では、このように人間と非人間が混在するネットワークが社会そのものを形作っており、伝統的な「社会=人間関係の集合」という見方は修正を迫られます (Actor–network theory - Wikipedia) (Actor–network theory - Wikipedia)。ANTは社会をリゾーム的ネットワーク(後述)として捉える点で、デジタル時代の複雑な社会動態を分析する有力なフレームワークとなっています。

動的社会構造のまとめ: 世界システム論が強調するのは、社会3.0以降における国際的な不均衡と統合のダイナミズムであり、アクターネットワーク理論が強調するのは、社会そのものをネットワーク現象として捉える視点です。これらは一見異なりますが、共通しているのはソサエティ1.0や2.0の時代に比べ、社会が一層大規模かつ複雑に繋がり合ったシステムになっているという認識でしょう。ソサエティ5.0では、地球規模で人・モノ・情報がリアルタイムに連結された社会が想定されています。このため社会構造を静的なものではなく、時間とともに変容し相互作用する動態的ネットワークと見做す視点がますます重要になるのです。

デジタルネイチャー時代の存在論的転回

ソサエティ5.0が到来しつつある21世紀には、デジタル技術が人間の生活世界と深く融合しつつあります。メディアアーティストの落合陽一は、こうした状況を指して「デジタルネイチャー(計算機自然)の出現は、存在論に根本的な再考を迫る」と述べています (滑らかなオントロジーと共鳴するオブジェクト:物化する計算機自然・微分可能存在論における密教世界 | Exhibition | 落合陽一公式ページ / Yoichi Ochiai Official Portfolio)。ここでいう「存在論的転回」とは、我々の現実観・存在観がデジタル技術の浸透によって大きく変わりつつあることを意味します。この節では、デジタルネイチャー時代に関連する哲学的概念──微分オントロジー、リゾーム的接続、計算中心主義──を取り上げ、それがソサエティ5.0にもたらす視点の転換を考察します。

差異を基軸とする存在論(微分オントロジー): 20世紀後半の大陸哲学において、ジル・ドゥルーズやジャック・デリダは「差異の哲学」を展開しました (Differential Ontology | Internet Encyclopedia of Philosophy)。彼らの思想の核心は、従来の本質主義哲学が前提としてきた「自己同一性(不変の本質)」を疑い、むしろ**「差異」こそが諸存在の根源であると考えることにあります (Differential Ontology | Internet Encyclopedia of Philosophy)。ドゥルーズの著作『差異と反復』(1968年)は、その名の通り「差異そのもの (difference in itself)」という概念を打ち立て、繰り返し現れるものの背後には常に差異が潜んでいると説きました (Differential Ontology | Internet Encyclopedia of Philosophy)。この立場を一般に微分的存在論(Differential Ontology)**と呼びます (Differential Ontology | Internet Encyclopedia of Philosophy)。微分オントロジーによれば、どんな存在者も孤立した固定的な実体ではなく、常に他との関係の中で変化し続けるプロセスとして捉えられます (Differential Ontology | Internet Encyclopedia of Philosophy)。換言すれば、存在の同一性は二次的なものであり、絶え間ない差異のネットワークがまずあって、そこから一時的な安定(同一性)が立ち現れるに過ぎないのです (Differential Ontology | Internet Encyclopedia of Philosophy)。デジタルネイチャー時代において、この差異の哲学は特に示唆的です。なぜなら、デジタル技術によって社会や自己が流動化し、多様な関係性が瞬時に生成・解消する現代では、差異を基軸においた存在理解の方が現実に即しているからです。ソサエティ5.0ではAIが個人ごとに異なる応答を学習し、IoTが環境に応じて振る舞いを変えるように、差異に適応するシステムが主流となります。この意味で、微分オントロジー的な思考はデジタル社会の本質を捉える哲学的基盤となりえます。

リゾーム的接続: 哲学者ドゥルーズとガタリはさらに、「リゾーム(rhizome)」という概念で知と社会の構造を捉え直しました。リゾームとはジャガイモなどに見られる地下茎のことで、どこまでも水平に広がり、途中から新たな芽を出して繁茂する特徴を持ちます (The Web as Rhizome in Deleuze and Guattari | Blue Labyrinths)。彼らは著書『千のプラトー』(1980年)において、知識や社会の形態を樹木型の縦割り階層ではなく、地下茎のような非階層・非中心的ネットワークとして描き出しました (The Web as Rhizome in Deleuze and Guattari | Blue Labyrinths) (The Web as Rhizome in Deleuze and Guattari | Blue Labyrinths)。「リゾームには始まりも終わりもなく、常に中間にあって他者と連結し続ける」と述べられるように (The Web as Rhizome in Deleuze and Guattari | Blue Labyrinths)、リゾーム的構造では任意の一点が他の任意の点と直接に繋がり得ます (The Web as Rhizome in Deleuze and Guattari | Blue Labyrinths)。このため、伝統的な根=幹=枝という序列構造(例えば系統樹や組織図のような上下関係)は成立せず、全ての点がネットワーク上で平等に結節点となります (The Web as Rhizome in Deleuze and Guattari | Blue Labyrinths) (The Web as Rhizome in Deleuze and Guattari | Blue Labyrinths)。現代のインターネットはまさにリゾーム的ネットワークの実例であり、世界中のウェブページがハイパーリンクによって非線形に接続されています (The Web as Rhizome in Deleuze and Guattari | Blue Labyrinths) (The Web as Rhizome in Deleuze and Guattari | Blue Labyrinths)。ソサエティ4.0〜5.0における社会構造も、中央集権的なヒエラルキーから分散型ネットワークへと移行しています。ブロックチェーン技術による分権的な合意形成や、オープンソースコミュニティにおける自律分散的な協働などは、社会運営がリゾーム的に行われる例と言えます。リゾーム的接続の視点に立てば、社会は固定的な身分秩序ではなく可塑的で開かれた接続の網と見なされ、権力や知識も中心から周縁へ一方通行に流れるのではなく、ネットワーク全体に遍在すると考えられます (The Web as Rhizome in Deleuze and Guattari | Blue Labyrinths) (The Web as Rhizome in Deleuze and Guattari | Blue Labyrinths)。このような視座は、ソサエティ5.0が目指す「誰一人取り残さない」包摂的社会を実現するために、ボトムアップ型の繋がりを活かす設計思想にも通じます。

計算中心主義(コンピュテーショナリズム): デジタルネイチャー時代の存在論的転回を語る上で、もう一つ無視できないのが計算(コンピュータ)を中心に据えた世界観の台頭です。現代では、脳科学から社会科学に至るまで「事象を情報処理や計算としてモデル化する」アプローチが広がっており、極端な場合には宇宙のあらゆるプロセスを計算と見なす見解すら現れています (Techno-Transcendentalism - P2P Foundation)。例えば、AI研究や認知科学における強い計算主義 (computationalism)は、「人間の思考も計算であり、ひいては自然現象も全てアルゴリズム的プロセスだ」とする立場です (Techno-Transcendentalism - P2P Foundation)。ヨハネス・イェーガーはこれを「計算論的世界観」と呼び、現代社会ではこうした見方がほとんど疑問視されずに受け入れられていると批判しています (Techno-Transcendentalism - P2P Foundation)。彼によれば、この世界観は機械の知性を過信するテクノ・ユートピア思想(トランスヒューマニズムやシンギュラリタリアニズム等)と結びつき、人間観を「脳=コンピュータ」「生命=アルゴリズム」に還元してしまう危険を孕んでいます (Techno-Transcendentalism - P2P Foundation) (Techno-Transcendentalism - P2P Foundation)。しかし一方で、この計算論的パラダイムはソサエティ5.0の基盤でもあります。IoTがセンサーで集めたビッグデータをAIが解析し、社会システム全体を最適制御するというソサエティ5.0像は、まさに**「社会を一つの巨大な計算機システム」として捉える発想だからです。現実空間の出来事をサイバー空間にデータ化(デジタルツイン)し、シミュレーションによって政策決定や問題解決を図る手法も今後一層進むでしょう。落合陽一は、計算機が自然環境のように偏在し人智を超えた存在感を持つ状況を指して「計算機自然」と呼び、そこでは人間の概念体系(認識)と機械可読なオントロジー(データ構造)が橋渡しされると述べています (滑らかなオントロジーと共鳴するオブジェクト:物化する計算機自然・微分可能存在論における密教世界 | Exhibition | 落合陽一公式ページ / Yoichi Ochiai Official Portfolio)。つまりデジタルネイチャー環境下では、人間の世界観そのものが計算論的なフレームに影響され、「この世界は計算可能である」という前提**が当たり前になります。これは良くも悪くも存在論的な転換であり、我々の物事の捉え方・考え方を深層から変えるでしょう。

以上の微分オントロジー、リゾーム、計算中心主義はいずれも、デジタル技術がもたらす存在論的なパラダイムシフトを示しています。ソサエティ5.0は単なる技術社会ではなく、人間と自然と機械の関係を再定義する社会です。そこでは「不変の本質」より「関係性と差異」が重視され、「中央集権」より「分散ネットワーク」が重視され、「アナログな世界観」より「計算論的世界観」が広がるでしょう。それゆえ、デジタルネイチャー時代に適合した哲学的問い直し(存在論の再考)が不可欠なのです。

技術的変容の哲学的帰結

高度に発達した技術は我々の生き方だけでなく、根本的な哲学的問いも引き起こします。ソサエティ4.0から5.0への移行期において、テクノロジーと人間の関係を巡る哲学的議論が改めて重要性を増しています。ここでは特に、ドゥルーズ、ハイデガー、そして倫理学者ハンス・ヨナスの議論を手がかりに、技術的変容がもたらす哲学的帰結を考察します。

ドゥルーズの「差異と反復」: 前節で触れたドゥルーズの差異哲学は、技術環境下での自己や社会の捉え直しに繋がります。ドゥルーズは近代の同一性中心の思考を批判し、「反復されるものは同一性ではなく差異である」と主張しました (Differential Ontology | Internet Encyclopedia of Philosophy)。テクノロジーが発達した現代社会では、私たちは大量の情報や経験を反復的に消費していますが、その中で新たな差異が次々と生み出されています。例えばソーシャルメディアのアルゴリズムはユーザーの行動パターンを学習し反復しますが、ユーザーごとに異なるコンテンツを提示することで結果的に多様な経験(差異)を生み出します。同じプラットフォームを使っていても各人のタイムラインは異なる――これはまさに差異の反復の現象と言えます。ドゥルーズの哲学は、一見均質化しがちな大量生産・大量消費社会にあって、そこから立ち上がる差異の価値を見出す視座を与えます。ソサエティ5.0では個人最適化(パーソナライゼーション)が重要になりますが、それは千人一律ではなく一人ひとり異なる経験を尊重する方向です。ドゥルーズ的視点で言えば、社会は一層「差異を内包した体系」となり、変化や多様性こそが社会の活力源となるでしょう。このように技術が差異を再生産する状況は、ドゥルーズの差異と反復の思想を現実社会で体現しているとも言えます。

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