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潰瘍性大腸炎の再燃

※今回は私にとってとても辛い内容のため
挿絵のイラストを描くことが出来ませんでした。
文章だけですが、お読み頂けたら幸いです。


入院から一年半以上の時が過ぎ
薬なしで寛解を維持し、難病手帳を使う時もなく期限が切れ
主治医からも
「大学病院を卒業し、提携しているクリニックでの定期検診で良い。」
と、言われました。

当時のブログにも
「さらば!潰瘍性大腸炎!」なんて強気なタイトルで
潰瘍性大腸炎からの卒業を、高らかに謳っておりました。

そんな折
大好きなサンバに関わるイラストのお仕事を頂きました。

日本とリオに拠点を置くサンバチームの
打楽器隊が着るTシャツのイラストを任されたのです。
描くのは、2016年に他界された、サンバ界で有名な音楽家のお顔。
彼をオマージュしたサンバを演奏するにあたり
彼の顔をTシャツにしたいと。

イラストの仕事を始めた頃からの夢

「いつか仕事で、サンバを描く。そして、リオに行く」

が、まさに叶った瞬間でした。

手がけた仕事を見るために。
そして、これも長年の夢だった
リオのカルナバルを生で観るために。

カルナバルのチケットも奮発して良い席を取り
シーズン中で高いホテルも押さえ
意気揚々と毎日を過ごしていました。

家を空けるために、前倒して仕事をしたり
サンバチームへのプレゼントの用意などで忙しくしていた時に
それはやってきました。

お腹が緩くなり、下血したのです。
ですが今回は緩やかなものでした。腹痛もありません。
お通じだって多くても、1日2〜3回しか出ません。
また、寝ていれば大丈夫。すぐに良くなる。

ドラマチックなことが好きな私ですから
これを乗り越えて「無事リオに行ってきました!」
そうブログに書くのだろう。

という思いと

再燃したらどうしよう。
リオに行けなくなったらどうしよう。
という気持ちが交互に襲ってきて
眠れなくなり、叫び出したくなった時もありました。

今思えば
この時のパニックが原因で再燃したのではないかと思うほど
恐怖で頭がいっぱいになってしまったのです。

それでも何とか出発2日前を迎え
取り敢えず、下痢止めだけもらうつもりで病院に行きました。
ところが、病院に着いたらすぐに、ステロイドを点滴をされました。

そこではじめて知りました。

ステロイドを点滴したら、血栓が出来る可能性があるので
長距離の飛行機には乗れないのです。

主治医は

「ブラジルには行けませんよ」

と、冷たく一言。

どうあがいても無理なことは分かっています。
それでも、行き場のないこの思いを
吐き出さずにはいられませんでした。処置室で泣きながら言いました。

仕事なんです。長年の夢がやっと叶うんです。
この日のために、今までずっとずっと頑張ってきたのです。
それに、コツコツ貯めてきた夫と2人分の旅費、100万円を超えるお金を
みすみす捨てるなんて出来ないことです。
(直前のキャンセルのため、お金は戻ってきません)

2月の多忙な時に、10日近くも仕事を休むため
連日終電まで残業をしてきた夫や

絵を依頼して下さったサンバチームの人たちに申し訳なさすぎて
はじめて病院で声を荒げ、携帯をぶん投げるほど、大暴れしました。

驚いた看護師さんが2人駆けつけて私の手を押さえました。

あまりにも聞き分けのない私に、主治医が言いました。

「これは医師としては言ってはいけないことだけど
あなたが飛行機に乗って、途中で具合が悪くなったらどうなるか分かりますか?
多額の損害賠償を払わなくてはいけないんですよ。
僕は、渡航を止めたことをカルテに書きますから、当然保険会社からお金は下りません。
何千万の負債を背負うことと、乗客に多大な迷惑をかけてもいいんですか!」
(過去にそういった事例があったそうです)

心臓をギュッと握りつぶされた様な痛みが走りました。

もちろん主治医はそういう意味で言ったのではありませんが
取り乱した私の耳には
私の夢が、私そのものが、人に迷惑をかけることだと
言われているような気がしたのです。

そこからのやりとりを思い出そうとするのですが
辛すぎたのか、記憶が飛んでおります。

点滴が終わり、ステロイドを処方してもらい、家に帰りました。
冬だったので、マスクにメガネにニット帽をかぶっておりましたので
電車の中で、流れる涙をそのままにしていても
誰にも気づかれずに済みました。

「夢が叶う」なんて
叶うだけの、器を持っている人のための言葉なのです。
私は最初から、その器ではなかったのです。
チカラ技で、無理矢理いっとき、手にしただけだったのです。

「もう、いいかげん、あきらめなさい」
神様から、そう言われている気がしました。

さすがに…疲れた。。。


しかし
リオに行けなくなったことを、夫と
お仕事を依頼してくれたサンバチームの代表の方へ連絡しなくては。
その想いだけで帰途につきました。

消えてなくなるのは、その後でいい。
そう思えば、駅から歩いて帰る寒さも、疲れも何も感じませんでした。

家に帰って、夫に事情を説明しました。
もちろん夫は私を責めることはしません。
その優しさが、なお胸を締め付けました。

前回同様、ステロイドがすぐに効いて、出発日には下血はおさまったのに
プレドニゾロンを服薬しているというだけで、リオに行けないことが
ますます諦めきれない思いとなって残りました。

笑うことも、食べることも出来ない日々が続きました。
起きている間は、ただ、涙が出るばかり。

夫は、私が自ら命を絶ってしまうのではないかと心配で
会社を休んで、そばに居てくれました。

大好きなブラジルに行けず
絵を描く気力もなく
生きていても
また寛解に向けて頑張らなくてはいけないことと
寛解したら今度は、再燃に怯える日々を送るのかと思うと
もう、そんな気力はどうやっても出てきませんでした。

…つづく…

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