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能登の災害支援を通して正しく恐がる

はじめに

あー。
このnote書こう書こうと思って結局一月経ってしもたなー。
まあ、今やから書けることもあるかもしれんしボチボチ書いてこう。
写真も色々載っけるつもりやけどなるだけ配慮したい。

そう。
9月の夏休みの末に能登にボランティア行ってたんですよ。
たしか9/21〜25やったかな?

なんで行ったって話をすると8月に南海トラフの警報あったやないですか。
あん時僕すごいビビっちゃって。
僕が住んでる下宿も地元も危ないって言われとるところで。
オロオロしながら急造で防災グッズの準備やらなんやらしてました。
でもそん時思ったのが。
ビビるのは別にいいんやけども、なんか違うなーって。
正しくビビれてる気がしやんなーってなって。
それで被災した現場に行ってきたらリアルを知れる気がした。
そん時よりマシな感じで災害に向き合える気がした。

シェアハウスでもそんな話をしてたんやけど。
渡りに船って感じで同居人のPくんが一緒に行こやって誘ってくれた。
元々Pくんの知り合い集めて能登行くつもりやったらしくて。
どうせなら知っとる人がおる方が心強いと思ったから、僕もついてくことにした。

初日(9/21)

金沢からPくん達と合流して能登に向かったんやけど、そん時がエグい豪雨やったんよな。
そう、今回別に豪雨災害の復興支援のつもりじゃなかった。
別のイベントするつもりで行ったら偶々豪雨やったんよ。
初日はホントにエグい雨やった。
Pくんは知り合いの役所の人とかになんかやる事ないですかーって聞いてたんやけど。
役所の人には今は逆に危ないから動かんといてって言われたらしい。
まあ、そうやんな。
慣れとるPくん達ならともかく僕なんてボランティア初めてやし。
なんかあったら逆に迷惑かけてしまうもんな。
待機するもボランティアやなってことで初日は拠点でゆっくりさせてもらった。
今回僕らが主に拠点に使わせてもらったのは、能登地震の時被害が比較的小さかった地域のおじいちゃんの民家やった。
外で活動出来ん分中でできる事をしようって拠点の掃除やら何やらを頑張った。
おじいちゃんからは家貸してもらうだけじゃなくて育ててる野菜や獲ってきた魚までいただいてしまった。
おかげでその日のご飯は大分贅沢なものになってた、美味かった。
車ん中でも拠点でも皆でめっちゃ喋ってたなー。
あとボドゲのitoやったり色々楽しかった。
そんな感じで初日は終わった。

前が見えねェ ヤバい予感
皆で料理
翌日もみんなで掃除

2日目(9/22)

ごめん2日目以降の記憶が曖昧やー。
最初は車飛ばして町の被害状況確認してた。
相当雨量がヤバかったんかして川の流量がエグいことなってた。
川幅広い川やと思ってたら洪水で田んぼが川に浸かってるとこがあった。
地震で土地が脆くなってたらしく、土砂崩れもチラホラ起きてたな。
木がぶっ倒れまくって道路が一個完全に塞がってるのはビビったね。

あと役所回ってどっか困っとることないか聞いても回ってた。
そしたら停電と断水も各地域で起きてるらしかった。
それで避難しとる人が多いらしく避難所に炊き出し行こうってことになった。
スーパーで食材を買った後皆で拠点で豚汁とおにぎりを作って届けに行った。
余談なんやけど調理する前に10分だけ昼寝するつもりが3時間位寝てていつの間にかご飯ができてた。
この事は最後までみんなにいじられてたなー。
そんなこんなで避難所にご飯を届けに行った。
めっちゃ喜んでくれてて嬉しかったな。
断水、停電してると菓子パンみたいなのしか食べれん。
胃にも負担かかるし、あったかいのが食えんと心も冷えてくる。
栄養のある美味しい手作りのものを届けに行くのにはやっぱ意味があるよなって感じた。
そん時俺は届けに行くだけしかしてへんだけど。

あと豪雨明けすぐは能登にずっといるボランティア以外はまだおらんかったらしい。
あと全然どこで誰が困っとる、どういう需要があるかって情報も手に入らんかったんやって。
それで現地にいる僕らの情報が結構頼りにされててPくんの知り合いの別のボランティアにみんなLINEグループで色々共有してた。
ボランティアは横のつながりがすごく大事なんやね。
そんな感じで2日目終わり。

田んぼが完全に浸かってる
土砂崩れに右の道路がやられてる
避難所で豚汁をあっためて提供

3日目(9/23)

3日目の朝は泥だししてた。
2日目知り合った役所の人の小屋が浸水したらしく、それの後処理をしてた。
畦道の泥を近くの川に捨ててまた通れるようにしたり。
泥で汚れた物を外に出してまとめたり。
川沿いのガードレールにへばりついた草木を川に投げ捨てたりした。
泥に汚れるのはちょっと抵抗あったけどすぐ慣れた。
慣れって怖いなー。
ちゃんと肉体労働で疲れたけど、その疲れが心地よかったな。
ちらほら他のボランティアの人とか近くの住民の人とかも浸水からの片付けをしてて。
皆で復旧に向けて頑張ってる感じがなんか一体感に繋がってたな。
挨拶とか会話とかのコミュニケーションも自然に活発になってる雰囲気も良かった。
能登マジでええとこやったんよなー。
海が綺麗で山がちなとこは地元そっくりで落ち着くし、人もいい感じやし。
心身共にめっちゃ疲れたものの、どっか回復してる感じがした。
平和すぎて人間関係が希薄になっても人間病むんかもなーって気がした。

昼ごはんを皆でどっかの公園で食べた後は寝てしまった。
いやー、今回マジでずっと眠かったんよなー。
環境の変化と肉体的な疲労からか、ずっと眠気があった。
それで至る所で寝てたなー。
Pくんにそんなに空気読まずに休めるのはある意味ええとこやなって言われた。
ボランティアの最中ってみんな気遣って休み辛い雰囲気なるけど、誰か1人が休んだら皆休みやすくなるって。
炭鉱のカナリアみたいなもんで根性ないやつが1人おるのも全体の健康状態維持するのには役立つんかな。
長所と短所って表裏一体やなって改めて感じた。

夕方からは仮設住宅に夜ご飯の炊き出しをしに行った。
別のボランティア団体と協力してたんやけど色々トラブってたな。
また別のボランティア団体が炊き出しすでにやってて、僕らが行っても炊き出しやる必要がなかったり。
道路が地震のひび割れとか土砂崩れとかで通れんとこがあって迂回せざるをえんかったり。
中々時間通り、計画通りには進まん日やった。
そんな中でも自分達でできることやってたな。
炊き出し既にやってるとこではご飯配るの手伝わせてもらったり。
夜遅くなったけど皆で豚汁作ったり。
そう言えば、住民の人らも自主的に手伝ってくれてたな。
○○さんは足が悪いから届けに行ったとか、△さんはもうさっきご飯食べてたとかいう情報を教えてもらったり。
ご飯ができた呼びかけを、子どもたちが勝手に嬉々として一緒にやってくれたりとか。
僕の敬愛するホモ・ネーモさんが提唱してる「貢献欲」が実証されてるのを感じざるを得んかった。
そんな感じですごい雰囲気のいい仮設住宅やった。
3日目終わり。

地震の後直されないままの道路
通れない道も多いから時間通りにいかない
洪水でへばりついた草木

4日目(9/24)

4日目は前日行った仮設住宅を訪れて、昼夜炊き出しをしてた。
昼の炊き出しが終わった後、仮設住宅の集会所みたいなとこでおじいちゃんおばあちゃんの話を聞いてた。
現地の人のリアルな会話が聞けたのは良かったな。
聞いた話を色々書かせてもらおう。
一回別の県の消防の人たちが支援物資届けに来た時に、道路が工事中やったらしい。
通してくれなくて消防の人たちは物資だけ置いて途中で帰ってしまった。
でも自衛隊が来た時は、工事中でもすんなり通してた。
どうやら自衛隊と道路(国交相)は国の管轄で、消防は県の管轄やから対応が違ったんやって。
他にも停電、断水が起こってた豪雨の日に、帰っても暗い部屋で1人の人もおるから集会所を遅くまで開けてくれって頼んでたんやけども。
管理の人が規則やからあかんって言ってたとか。
教えてくれたおばちゃんは縦割りやって批判してた。
別に僕も批判するつもりはないんやけど。
やっぱデカい組織がマクロな対応するだけやと取りこぼしちゃう部分もあるから。
僕らみたいなミクロな集まりとか個人には、丁寧なケアができるって需要、役割があるんかもなって感じた。

あと、ウチの畑がやられたとか車が何台流されたとかエグい話をしてるんやけど。
どっかそういう話をしてるのに暗い雰囲気が無いんよな。
もちろんキツい思いはしてるんやろけどメンタルやられてなさそうに見えた。
災害くらうのが二回目ってこともあって慣れてて切り替え早い感じがした。
あと、あの仮設住宅に集められた人たちが元は同じ地域の知ってる人たちやったのも大きそう。
知ってる人同士なら仮設住宅に集まっても密に交流できるだけの心理的安全性の高さがある。
それで愚痴を吐き出し合ったり、自分だけが被災してるわけじゃないって知ってたりして震災のダメージ軽減されてくんかも。
Pくん曰く、そんな仮設住宅ばっかりじゃないらしいね。
色んな地域から集められたとこは住民同士の交流が少なくて他所の人が何やってるかもあんま知らんのがざらやったって。
雰囲気もなんか暗い人が多かったらしい。
今回本来僕らがイベント開く仮設住宅もそういうところやったらしい。
交流のきっかけになればと思ってPくんたちは企画してたんやって。
如何に被災地のコミュニティを復活、再構築してくかも物理的な問題と同じくらい大事なんかもなぁ。

集会所でも途中で眠くなってちょっと昼寝するつもりが1、2時間くらい眠ってしまってた。
集会所は僕にとっても心理的安全性の高い場所でなんか落ち着くとこやったな。
なんもできんでもただおるだけで意味があるってPくんが言ってた。
そういう場を共に共有し合う、価値を見出して使わせてもらうことにも意味があるんかも。
(なんかドゥルーズのノマド論っぽい。)

気がついたら炊き出しのカレーが出来てた。
そんなこんなで勝手しちゃってたけど特に責められんかったな。
義務じゃなくてボランティア(自発性)が尊重されてる感じがして良かった。
責められるのはしんどいから助かった。
終始和気藹々としてて良い場が形成されてた気がする。
4日目終わり。

多めに作って余るからおかわりしまくったカレー

最終日(9/25)

5日目の最終日は途中Pくんと別行動になって、結局全員が僕にとっては初対面になった。
でも皆話しやすい人でよかった。
皆能登復興って一個の目的のために能登におる人やから気が合ったんかも。
その時は炊き出しよりも泥出しの方が需要があったらしく、僕らは保育園の泥だしを手伝わせてもらうことにした。
浸水したせいで建物の中も外も泥々になってた。
最初は中の掃除を手伝ってた。
水をかけて泥を外に出してってして。
でも、作業の細かい感じが性に合わんくて途中で外の方に切り替えた。
俺1人でひたすら外のぬかるんだ泥をショベルで一輪車に積んで側溝に運んで捨ててた。
筋力にあまり頼らずに積めるようになったり、逆に筋力に頼った方がいい場面を見極めたり途中でコツを掴んできて楽しかった。
勉強とはまた違う感じで脳みそとか神経、肉体が使われてる感じが良かった。
無心で作業に没頭して肉体と対話してる感じが性に合ってた。
休憩も適宜とって皆が作業してる時休んだり逆に皆が休憩してるときに作業したりしてマイペースにやってた。
強制的な体に無理させるようなものじゃなかったら肉体労働も好きなんかもなー。
そんな感じで夕方までできるとこまでやらせてもらって離脱した。
おじいちゃんに借りてた拠点とは別のところに寄らせてもらってシャワー浴びせてもらったりご飯ご馳走になったりした。
カレーとかサラダとか梨とかやった気がする。
コンビニ飯覚悟してたからめちゃくちゃありがたかった、すごい回復した。
その後一緒にボランティア参加してたSちゃんに金沢駅まで送ってもらった後夜行バスで帰った。
ボランティアというか震災からの復興って色んな人の協力があって初めて実現してるんやなーって改めて実感したな。
一緒に参加してくれる人、地域の人、他のボランティア、役所の人、外部から応援してくれる人等。
みんなが協力してそれぞれできることをし合って成立してる。

こんだけでも半日かかった
復旧ってすごく大変

おわりに

今回のボランティアって辛いしんどい思い出はあんまなくて、どちらかと言うと自分にとってはポジティブなものが多かった。
自分が被災した時どういうことをすることになるかをリアルな体験を通して想像するきっかけをくれた。
おかげでこれからは正しくビビれそうな気がした。
それに多分被災しても大丈夫というか、生き残りさえすればその時を受け入れてなんとかやっていけるんじゃないかって気がした。
能登はすごいいいとこやったからまた行きたいな。
行ったことないとこでも色々地元とダブる地域のことが好きになれてよかった。
改めて今回ボランティアの縁、場、人に感謝したい。

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