アドラー心理学を僕はどう役立てるか

お久しぶりです。
ひろーりです。
昨日39℃近くまで熱が出た。
ちょっとだるい位の時に筋トレした直後に熱が急激に上がった。
幸い薬を飲んで栄養をとって寝たら熱は37℃中ぐらいまで落ちて、今もそんな感じ。
今母が下宿まで来てくれて、ご飯作ってきてくれたり家事やってくれたりした。
1人じゃないのは良いなとしみじみ思う。
昨日結構しんどかったんやけどコンビニまで買い物行ったり身の回りのことある程度する体力はあった。
筋トレしてるおかげかな、体力の下限値が上がってる気がする。
これからも継続してきたいな。

最近はメンタル良い感じだ。
瞑想はぼちぼちな感じで続いてる。
時間は数えてない。
マインドフルネス系は今ここのものやから時間をあんまり気にしやんほうがいい気がしてきた。

ちょっと前劣等感が込み上げてくることがあった。
大学に落ちたこと、金を稼げないこと、大学での成績が悪いこと等々。
それらに対しての劣等感がブワッとなって、それと同時に自責・他責思考からくる憎悪が出てきた。
これはまずいなと思い、劣等感といえばアドラーというのをふと思い出してアドラー関連の本を読むことにした。
友人がアドレリアンの野田俊作先生の「劣等感と人間関係」という本をオススメしていたのでそれを読むことにした。

アドラー心理学には、いくつかの基本的な考え方がある。
・人間が行う全ての行為、心理にはその人の目的がある。
・全ての悩みは人間関係から生じる。
・人間の行動・心理を選択する自由がその人にはある。
・共同体感覚を身につけよう。
・縦の関係でなく横の関係の人間関係にしよう。
等々やろか。
自分で書いてみると味気ないというか、綺麗事やなと思われそうな気がする。
しかし、野田先生の本を読んでいるとそう思わなかった。
これらの理念を自分ごととして納得できる感覚があった。
あとこれらの理念を見てると不健全な自己責任論に陥ってしまいそうになる。
実際、本読んでる時も自分の様々な経験がフラッシュバックしてしんどくなる時があった。
でもそのしんどさをなぜ(どのような原因でなく目的で)起きてるんだろう、どのようなメンタルを自分は望むのかとメタで捉え再解釈することでしんどさが抑えられてきた。
そういう健全な向き合い方を読者が自然にできるようになる力がこの本にはあった気がする。
それは野田先生の上手さというか能力故なんだろうな。

そう、アドラー心理学ってのは役立てるのが難しいんやろな。
勇気づけをして→アドラーの理念を理解・納得し→共同体感覚が身につくというのは文字にする以上に大変な気がする。
よお分からんままやってたら、むしろ不健全なことが起こりそうな危うさがある。
例えば共同体感覚がない人がアドラー心理学を語ったとする。
「あなたの問題は全てあなたの選択・目的で起こっている。」
ここまでは良いとしよう。
ここから派生して「あなたの責任だ。」「だからあなたが悪い。」、「私には関係ない。」等まで来たら多分もうアウトだ。
言われた者の勇気はくじかれるし、余計な文言が入り込んだせいで本来のアドラーの考え方も納得され難くなるだろう。
というようなことがめちゃくちゃ起こりそうな気がする。
特に今の殺伐としたインターネットでは。
生半可なアドラー心理学が蔓延してる状況は、アドラー心理学が全く知られてない状況より不健全なんじゃないかな。

とりあえずアドラー心理学を今の自分にはどう役立てるかを基本に考えて行動していこうと思う。
今ここにいる私がとある問題に対して私、あなた、共同体のために何ができるか、できないか。
何をしたら問題がええ感じになっていくかをその時々で考えてやっていこう。
まずは不機嫌にならない。
不機嫌は基本同調圧力や支配性からくるものやから、ええことあんまない。
少なくともそこまでメタで見れた後僕は望まない。
あと、店員さんに愛想良くしたりゴミをポイ捨てしやんのは共同体感覚を高める上で良さそうやから継続しよう。
とりあえず僕にできることをぼちぼちね。

いいなと思ったら応援しよう!