神と人と獣の脳みそ
「岡潔の教育論」読んどったら面白いのが出てきて、脳の機能についての話でした。
今の僕はあんまり理解できてないし、間違いも多いかもしれません。
雑に説明します。
人間の脳みそには、新皮質、古皮質があります。
古皮質はその名の通り古くからある脳です。
三大欲求とかの本能的なところを司る脳みそです。
古皮質の方が古くからあって人間に馴染みがあるから新皮質よりも優先されやすい。
だから本能を司る古皮質からの衝動を抑えるのは難しい。
あと古皮質はブレーキの機能を新皮質に譲ってしまった。だから、何かをやめたりやらないことの決断は難しい。
つまり、古皮質は本能的で衝動的でパワフルという点で「獣の脳みそ」と言えるわけです。
それに対し新皮質は進化の過程で形成された比較的新しい脳みそです。
物を考えたり、閃いたり、記憶したり、行動を制御するのに使われます。
新皮質には前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉があります。
ざっくり言えば、前頭葉が情緒の制御、頭頂葉が閃きや創造性、側頭葉が暗記や思考の整理、後頭葉が感情とからしいです。
前頭葉と頭頂葉に着目します。
前頭葉は情緒や行動の制御、つまり何をやるべきやらないべきというブレーキの役割を果たします。
衝動的に夜チョコレートを食べて後悔しないならそれは前頭葉のおかげです。
めんどくさいけど髭を剃ったり宿題ができるのも前頭葉のおかげです。
そういう意味で前頭葉は社会性を持つ上で必須な脳みそ、「人の脳みそ」だと僕は言えるように思います。
頭頂葉は、「岡潔の教育論」では神仏の心を理解するための脳だと言われています。
そして、その脳が創造性を生み出すと。
これは、僕はなんとなく分かりました。
以前レイチェルカーソンの著書「センス・オブ・ワンダー」を読んでいて自然から感じ学ぶ力「センス・オブ・ワンダー」の重要性が解かれていました。
スピリチュアルな話しですが自然と神仏には強い関係があると思っています。
それは、個人的にも海山川を感じれば何かが宿っていそうな感じがありますし、アニミズムや自然崇拝の存在からも分かるでしょう。
だから、「センス・オブ・ワンダー」を磨けば神仏の心を理解するための頭頂葉も自ずと磨かれるんです。
またレイチェルは良いことを言っていて「知ることは感じることの半分も重要ではない。」
これは、自然について意識的に理解しようとする必要はなく、なんとなく感じられるものを大事にしろという意味なんやと思います。
頭頂葉は無意識の世界で、前頭葉は意識の世界です。
神仏的な自然を理解しようと思うと、前頭葉を使って言語化可能な「知る」ことではなく、頭頂葉を使ってなんとなく「感じる」ことの方が大事なんでしょう。
なんか結構スピリチュアルな話が多かったですね。
じゃあ、結局頭頂葉なんか鍛えて何になるのとかいう感じで、読む人によってはかなり抵抗感のある文章やったと思います。
また明日からもそこんとこ詰めていこうと思います。
とりあえず今日はこれで勘弁して下さい。