見出し画像

支配的関係から抜け出す

おはようございます。
ひろーりです。
どうやらウイルス性の風邪を引いたらしい。
今週あった予定も大体キャンセルして、養生するため実家に帰ってきた。
父も弟も高熱や咳を発症していて僕よりも酷い感じらしかった。
大変やなあ。
まあしばらくゆっくりさせてもらおうか。

昨日も言ったようにアドラー心理学、おもろい。
おもろいから色々書きたいんやけどもテーマが重い。
間違ったこと、変なこと書いてしまわんか心配になる、怖いな。
僕のnoteは、まあ僕がアドラー心理学をどう役立てるかについて書いているのであって。
読んでくれた人にアドバイスや説教の類をしたい訳では全くありません。
(なんか1,2個「お、ええやん。」と思うとこがあってあなたの生活、人生の役に立ったのなら勿論嬉しいです。)
そんな感じで書いていこう。

アドラー心理学を実践する上で重要かつ難しいことは支配的な関係にならないことだろうか。
競合的にならない、縦の関係を作らない、怒らない、正しさの押し付けをしない、マウントを取りに行かない、怒らない等々でも言い換えられるのかな?
詳しい説明は省かれてるけど字面からイメージしてもらえるとありがたい。
なぜこれらの行動が否定されるかというと、キリがない、また共同体にとっての利益とならないから。

僕なんかは昔から落伍者として扱われ叱られ続けてきたから分かるんだけど。
これらの行動が押し付けられると内面的、時には外発的に反発・抵抗が生じる。
こちら側からも怒りが湧いてくるし、口論をしてこちらの意見を押し通したくなるし、相手を今すぐに力ずくでも排除したくなる。
相手が相手自身を正しいと思っていそうなほど反抗したくなる。
しかしまた僕が行うこれらの行為も先ほど紹介したものと全く同質だから、相手からも同じよう反発・抵抗がある。
ここから終わりの見えない泥沼の争いが生じる。

この争いが決着がついたと(見えると)しよう。
つまり当事者間の喧嘩、言い合い等のやりとりがなくなり一方が渋々従った(ように見える)とする。
しかし、この争いは実際には終わっていない。
こちらの意にそぐわないものを押し付けられた側は相手を恨む、結果相手の願いが叶わぬよう全力を尽くす。
良い成績を望むなどして教員・親が厳しすぎる結果、子どもは抵抗のため非行や不登校になるかもしれないし。
企業、社会に傷つけられたと感じる社会人は、働くことを要請する社会を拒絶し自らを守るため引きこもるかもしれない。
争いが終わったように見えても、冷戦のような微妙な駆け引きはずっと続く。
こういう状況はどちら側にとってもプラスではない、というか誰にとっても。
つまり共同体にとってはマイナスでしかない。

また支配欲は、性欲や食欲等の欲求と同じで基本的に満たされることがない。
いや、タガが外れやすいと言った方が適切か。
元は人類が生存する為に搭載されてきたものなんだけど、現代でこれらに振り回されるとバグる。
欲求が高まりすぎて、果ては依存症のようになり自分を全くコントロールできなくなる。
その結果自他にすごい損害が生じる。
(支配欲ならウクライナ戦争やら、ビッグ・テックの問題やらがそうなんかな。)
とにかく、僕らの手には余るものなんです。

じゃあ、どうするの?
昨日と被るけど支配関係、上下関係になるべく関わらないようにするのがいいと思う。
少なくとも自分からは関わりにいかない。
不機嫌な感情は基本他者を支配する為に使われるからセルフモニタリングをちゃんとして自分の心を常に改める。
自他は対等であることを意識して、他者と協力的であろうとする。
何かを押し通すために相手より上に行こうとしない、自分がどんだけ正しいと思っててもそれを押し付けない。
等々に気をつける。

でも、最初に難しいと語ったのはね。
いつの間にか支配的関係、上下関係に巻き込もうとするような感じが今の世の中多いなあって。
特にインターネット。
まあさっきも言ったけど、そういうのとは関わらんのが一番やな。
適切に話ができるほど今の自分の言語能力とかメンタルに自信がある訳でもないし。
巻き込まれそうになったら、スーッて嫌な関係からは降りよう。
ちゃんとするのが難しい時代やからこそ、先ずは(勿論公のために)自分のことちゃんとしてこうと思います。

いいなと思ったら応援しよう!