見出し画像

#635:野田知佑著『日本の川を旅する カヌー単独行』

 野田知佑著『日本の川を旅する カヌー単独行』(新潮文庫, 1985年)を読んだ。日本交通公社から1982年に刊行された本を文庫化したものとのこと。「あとがき」によれば、日本交通公社(現JTB)から発行されていた『旅』誌(調べてみると2012年に廃刊となっている)に連載されたものがまとめられているとのことである。解説は椎名誠氏。本書の存在はリアルタイムで認識していたが、これまでは読む機会を作らずにきた。たまたま中古書店で目に留まったのをきっかけに、ようやく読むことができた。

 本書には北から南へと順に、北は釧路川から南は川内川へと、著者が行ったカヌー(著者によればより正確にはカヤックと呼ぶらしい)での川下りのルポルタージュが収録されている。ここに描き出されているのは約40年前の日本の風景ということになる。本書を通じて最も心に残るのは、著者と、それぞれの川沿いに暮らす人々との、さりげない(ときに濃厚な)交流の様子である。今の社会では、こうした光景はめっきり見られなくなっているのではないかと、読み進めながら何度も思ったものだ。もっとも、これは単に時代の問題ではなく、著者の人柄が大きくはたらいていることなのだろうけれど。

 私は全くのインドア派で、山にも川にも海にも、親しもうという気持ちをほとんど持ち合わせていないのだが(苦笑)、そんな私が読んでいても、著者が描写する川下りの楽しみにはワクワクしたし、汚染が進む川のあり方をめぐる著者の嘆きと行政や社会に対する怒りと苛立ちには、心を動かされた。本書の中で著者が描写するいくつかの川の汚染状況には読んでいるこちらも陰鬱な気分になったが、そうした川の汚染状況はその後どうなっているのだろうか?

 このまま進めば日本の多くの川は“死んで”しまうのではないかという、実感に基づく著者の深刻な危惧は、40年後の現在どうなっているのか、とても気になるところだ。ダムや堰の建設が、川とその周辺の土地にに対してどのような負の影響を及ぼすのかについて、漠然としたイメージだけしか持っておらず、あまり理解していなかったので、今回本書を読むことでそのあたりのことについて、少し勉強になったのは思わぬ副産物だった。

 それにしても、これは解説で椎名氏が指摘していることでもあるが、著者の文章の味わいのなんと素敵なことか。飄々としたユーモア、鋭い風刺、簡潔で喚起的なフレーズなど、著者が優れた観察力と表現力の持ち主だったことを、本書は十分に証すものだと言えると思う。

 私にとっては、今はもう経験できないのかもしれない風景や人との交流の場に連れて行ってもらえる、ある種のタイムトラベルの書であった。