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#637:森嶋通夫著『サッチャー時代のイギリス その政治、経済、教育』

 森嶋通夫著『サッチャー時代のイギリス その政治、経済、教育』(岩波新書, 1988年)を読んだ。タイトルだけを見ると、回顧的に振り返って評価する内容の本のようにも思われるが、本書を読んでみてわかったのは(本書の刊行年とサッチャーの首相在任期間を対照すれば気がつくことではあるが)、本書がリアルタイムに進行中のイギリスの社会状況を描写し、分析し、近未来についての見通しを述べた本であることだ。

 著者の本を読むのは、これが4冊目だと思うが、どの本を読んでも、背筋がピシッと伸びたような、筋の通った姿勢とでもいうべき印象が伝わってくる。経済学者として、著者は重要なところは量的な分析に基づいて論を進めるのだが、その論の進め方は実に明快で説得力がある。いい意味で“実証的”というのは、このような取り組み方と学問的姿勢のことを言うのだろうなと感服させられる。

 本書には、著者によるサッチャー氏による政治のあり方の研究という趣があるのだが、その評価はあけすけなまでに辛辣で、容赦がない。しかもそれが、経済学者としての立場から、功績は功績として、そうでないものはそうでないものとして、サッチャー氏の生育史にまで遡ってその人生哲学を炙り出しつつ、首相としての実績を経済指標に基づいて冷静に検証していく切れ味の鋭さには舌を巻く。読んでいると、著者は例外的なまでに頭脳明晰な人物であったのだろうなということが、改めてひしひしと感じられる。

 過ぎ去った時代の、外国の政治と社会の話と片づけてしまえばそれまでだが、サッチャー氏が首相として断行した経済政策の基本的な考え方は、現在の日本においても部分的には適用されているように素人目には見えるし、本書の中で著者がその政策のマイナス面として指摘している懸念が、実際に現在の日本においても起こりつつ、あるいはかなり進行しているようにも思われるところがある。もし著者が存命であったら、近年の、そして現在の日本の社会と政府の経済政策を、どのように評価しただろうか・・・。

 私が知らないだけで、著者のように頭脳明晰で胆力があり骨太な思考ができて歴史的な展望力を備えた経済学者は、現在もどこかにおられるのだろうか。きっとどこかにいらっしゃるものと願いたいし、いらっしゃるのであれば、そうした人の書いたものに出会いたいと思う。