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1月14日 天気と親父の遺書

平成二十九年になった。
だからと言って特に何かが変わった訳でもなく、唯一変わった事と言えば遅番になったという事だ。
遅番の日は正午に家を出るのだが、何故か心持ちが不安定だ。
心臓がバクバクしてくるし、吐き気がする。バイト先につけば平常に戻る。戻るというか気が紛れると言った方が正確なのかもしれない。

早番の時は朝の六時に家を出る。外は少し明るくなってきたくらいで、誰も歩いていない。そして何故か僕もテンションが高い。

この違いは何なのだろうかと考えた所、遅番の時は一日の途中、つまりはすでに出来上がった空気感に割り込んで、社会生活に参加する事への違和感みたいなものに不安を感じているのかもしれない。
そして何よりも一番は、精神的に余裕であるという事だ。
早番はとにかく眠い。他の事を考えている余裕もない。退勤後も眠い。となると、体力と時間を持て余しているのが、出勤前の遅番だ。

晴れている日なんてのは、最低だ。ひどく落ち込む。
皮肉を言われているような気持ちになる。
家族連れを見るとしんどくなる。
それはいつまでも続く訳がないと思ってしまうからだと思う。

僕は今とても幸せだ。それはお金が安定してきたからだと思う。
公共料金は常に滞納したままだが、お菓子以外の夜ご飯が食べられるようになった。
母親も元気で、友達もいて、好きな女の子もいる。
フリーターだけど、これの何が悪い!っていうくらい幸福感に包まれている。

父親が死んだ時の事を自分では何も感じていないと思っていたけど、実は物凄いトラウマになっているのではないかと最近思う。
多分で一瞬で死んだ事が怖かったのだ。

「人の命は重い」的な事を言っている人を見ると笑ってしまう。
人の命に重さがあるとしたら、それを感じられるのは自分の手の届く範囲での事だ。
そうでないというのなら、救急車のサイレンが聞こえる度に、不安に駆られ常に悼む気持ちでいなくてはならない。
寝っ転がってテレビを見ている場合ではない。

重いとかそう言ったものとは全く無関係の所で、人が突拍子もなく死ぬ事を僕は誰よりもよく分かっている。
だがそれと同時に、親父が死んだ事で分かったのは、人間のしぶとさでもある。
残された僕らはとても強かった。
人は死ぬのか死なないのかハッキリしてくれないから不安だ。

幸せだと感じると、不幸を探さなくては、いつか崩れ去ってしまうような気がして僕は日々思い悩むなのだと思う。
だから晴れた日は不安にならなくてはいけないのかもしれない。

最近親父の事を良く考える。何故死んだのかとか、誰のせいなのかとか。
誰のせいでもない事は確かで、何故死んだのかは分からなかった。
ただ僕が死んで、あの世で親父にあったら僕は彼を半殺しにすると思う。

親父が残した遺書を未だに読んだ事がないのだが、母親が「パパを許してあげて。」的な意味で何と書いてあったのかワンフレーズだけ教えてくれた。

「一度地獄に行ってきます。」
との事だ。その時これだから死ぬ奴は身勝手でいいなと思った。
実際に地獄だったのは、残された母親だったからだ。

時間が経過するにつれ無性に腹が立ってきた。何に腹が立つか最近やっと分かってきた。
クサすぎるワンスレーズと、遺書の構成という書き手の意識だ。

【この夏。日本中が泣く。「一度地獄に行ってきます。」】で米津玄師が流れるか

【大爆笑間違い無し!!「一度地獄に行ってきます。」】脚本宮藤官九郎、主演阿部サダヲ

もしくは、それでは聞いてください。「一度地獄に行ってきます。」的な、とにかく「一度地獄に行ってきます。」は、書き手の中でお気に入りのワンフレーズだったのではないかと思う。
となると今度は「一度地獄に行ってきます。」が活きてくる(死んでるのに)ような肉付けをしなくてはならない。
多分考えるに、終盤に置いてきたであろう。
死ぬ前にスッキリしようと、前半に今まで自分が犯してきた家族への罪をツラツラと並べたて、中盤で愛している的なこと、そして終盤にあのフレーズだ。
何て打算的なんだ。

これから死のうとしている奴の遺書は、荒削りで文章は拙いながらも、書き手の叫びが文章の奥底からひしひしと伝わってきて、読み手に迫ってくる感じ。読んだ後、「人の生死」について思わず考えさせられてしまうようなものであるべきだ。

手書きじゃなくてワードだった事にも腹が立ってきた。
死ぬ前に利便性、鑑みてんじゃねえよ。

読み返して、ああちょっと違うなとか思って、途中タバコとか吸いに行ったりしたのかなあ。戻ってきて、句読点の場所変えたり、改行したりしたのかな。

ああああああああああああああ
「一度地獄に行ってきます。」
ああああああああああああああ

いや、

ああああああああああああああ

「一度地獄に行ってきます。」

ああああああああああああああ

か、じゃねえよ!

PDF化してUSBに移行して、コンビニでネットスキャンしている所とか、
もの凄く冷静でなんかもうおっかねえわ。

いい親父だったけど。最低な死に方だったと思う。
命の尊さについて雄弁に語る奴程、案外脆い事を知らない。
案外脆いからこそ毎日を意識して過ごした方がいいし、そうじゃなくても良い。

母親は意地の悪い親戚に「あんたの息子も血を引いているから、同じ死に方しないようにな。」って言われて、家で泣いていた。それ見た幼い僕も何故か抱き合いながら泣いた。

でも大丈夫だぜ。

俺は親父より確実に最高な遺書を書き上げる自信があるからな。


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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。