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「ビーアウトオブデンジャー」第三話

 朝の七時に目が覚めました。母が家を出るのを待ってから、風呂に入り、歯を磨き、ジャージからジャージへと着替え、家を後にしました。玄関の鍵を外から閉めた時、母のことを少し思い出しました。二階にある自分の部屋を見上げました。私の部屋の窓の目の前にある電線に鳩が止まっていて、鳩は私の部屋の中を見ていました。「私はそこにはいませんよお!」と言って、パーカーのフードを被り、私は少し駆け足で近くのコンビニへと向かいました。途中公園の前を通った時に、私の右側で「ガシャン」と大きな音がしました。攻撃的な音に聞こえました。フェンス一枚を隔てた向こう側に、サッカーボールが転がっていました。視線を先に向けると、少年と一人の女性が立っていました。少年がボールを拾いにこちらにやって来ました。私は女性の方を見ていました。彼女の表情は私の気分を萎えさせました。彼女の眼は私と少年の間に、フェンスが一枚あることに意味を付けたのです。私はわざとフードを深く被り、その場を去りました。
コンビニに入りまずはトイレの便座に腰掛けることにしました。あの時少年、もしくはあの女性に向かって、大きな声で叫び罵声の一つや二つでも浴びせることが出来ていたら、私はどうなっていたんだろうと、そんなことを考えていたのです。私は「突然大きな声を出す人間」になろうとは思いません。ですが、私の気持ちとは裏腹に私が大きな声を上げていれば、あの二人にとって私は「突然大きな声を出す人間」になれた訳なのです。そう思うと、私にもまだ選択の余地があるような気がしてきました。可能性のようなものを感じたのです。私は誰よりも怖くなることが出来るのです。トイレから出て、私はエナジードリンクを手に取りました。夜、眠れなくなったらどうしようかとも思ったのですが、そんなことよりもエナジードリンクが飲みたかったのです。女性のコンビニ店員さんからお釣りを受け取る時、手が触れてしまいました。私は咄嗟に「あ、すいません。」と言いました。店員さんは返事をしませんでした。このコンビニは午前なのにも関わらず白くて薄暗い。台所の蛍光灯と同じ色をしています。コンビニを出て、エナジードリンクを一気に飲みました。もう一度コンビニに戻ると、先程の女性店員さんが一瞬驚いたような表情を浮かべ、私の顔を見ました。公園にいたあの女性が私を見た時と、全く同じ筋肉の動かし方をしたのが分かりました。店内にあるごみ箱に缶を捨てまたすぐに店を出ました。灰皿がありました。煙草を吸ってみたいと思いました。過去に何度か吸ったことはありますが、あまり好きではないなと思いました。エナジードリンクの効果が発揮されたのでしょうか。私は、もう一度コンビニに入りライターを手に取り、あの女性店員さんの所へと向かい目に入った適当な番号を言って、煙草を取るように指示をしました。お釣りは釣銭皿に置くように言いました。
 煙草をくわえ、ライターで火を付けました。吸い方は覚えています。やはり大して美味くはありませんでしたが、気分は良かったのです。世界が私を中心としたような、そんな神がかった気持ちになりました。今日が晴れていることも、その時に知りました。 
 駐車場の方に目をやると、斜め右前の車の中に男が三人、女が一人いるのが見えました。それぞれ別々の顔をしていますが、皆同じような顔つきをしています。私はそれを見ているだけで気分が悪くなりました。見知らぬ家族というものが私はあまり得意ではありません。意識とはかけ離れたところでの同調、この同調に理性や知性というものが介入することは出来ません。私達はそうしてきたし、これからもそうするのだ、という強い意志を感じます。家族が思う正解や不正解は、世間と一切の関係を持たないように思います。若い男二人は、年老いた男性と、年老いた女性から世間を学んだはずなのです。
 車内で四人は一つのモナカアイスを四つに分けて食べていました。餌のように見えてしまいました。ムシャムシャムシャと咀嚼しながら、時折笑ったり、真面目な顔をしながら、モナカアイスをちまちま食べています。まるで昆虫のようです。私が思う常識があの人達には通用しないような気がしました。外に持ち出してはいけない。
 突然横から風が吹いてきました。煙草の先の火種がどこかへと飛んで行ってしまいました。また邪魔をされてしまったのです。煙草を灰皿に捨て、私は先程の公園へと向かいました。火種はどこに行ってしまったのかが気になりました。私が吸っていた煙草の火種が風に乗って誰かの衣服に着いた場合、その人は燃えてしまうのかもしれないと思うと、少し不安になってきました。ですが、火種は探しても見つかることはありません。誰かが燃えなかったということを確認するには、誰かが燃えてはいけません。ハッキリとした答えは、誰かが燃える他にないのです。
 公園に着きました。先程の少年と女性はいませんでした。辺りは閑散としていて、空虚な雰囲気が漂っていました。私は安心しました。本当に良かったと思います。それと同時に自分が変わるための絶好の機会を逃したような気持ちにもなりました。私は世界の中心からまた遠ざかって行きました。
 母が帰って来ません。

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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。