「ビーアウトオブデンジャー」第十一話
人を殴ったのは生まれて初めてのことでした。今は物凄く興奮していますが、明日にはきっと後悔するのだと思います。今以外のことを考えると気が滅入ってしまいます。自分が今、何をどう感じているかということを知るためには、言葉が必要になります。出来るだけ抱いている感情に近しい言葉を脳が選択して、あらゆる精査をくぐり抜けた末私の元へと届くのです。その精査の中には、道徳やモラルといったものが含まれているように思います。これは私に限ったことなのかもしれません。私が私自身に向けた言葉ですら、誰かを気にしているような他人行儀なものを感じることが時折あります。
少年、少女達は多くの言葉をまだ知りません。知らなくてよいのです。この公園に言葉を持った私は不要なのです。まだ自販機の方がマシなのかもしれません。
雨の音で目が覚めました。雨が降っています。窓に目をやると無数の雨の線が重なって外が白く輝いているように見えました。腹が減りました。私はゆっくりと身体を起こし、重力に敏感になった身体をひきずるようにして、リビングへと向かいました。身体の気怠さが、昨日の出来事が本当であったと私に教えてくれているようでした。
ベランダに目をやると私と母の下着が干してありました。下着の先から大きな雨粒がコンクリートに滴り落ちています。母のワンピースは長時間雨に打たれてしまったせいか、黄ばんでいるように見えました。黒ずんだテルテル坊主が、宙ぶらりんになっていました。玄関を出て、新聞を手に取り自室へと戻りました。
ベッドに腰を掛けながら、新聞をゆっくりと開きました。昨日デッドラインにひかれた自殺者数は二人。新聞の片隅に二人の名前が記載されていました。新聞の真ん中辺りに、昨日のことが載っていました。「飛び込み自殺」と大きな黒い字で書かれていました。私のことは書かれていませんでした。何を改めて騒ぐことがあるのだろうと、私は憤りを感じました。デッドラインは毎晩自殺志願者を轢いています。自殺は今に始まったことではありません。自殺が珍しいのではありません。日常が壊れかけたことが久しかったので騒いでいるだけのことなのです。
テレビを付けワイドショーを見ました。やはりここでも昨日のことが取り上げられていました。
「何故デッドラインを使わなかったのか。」
ということが議論されていました。私はてっきり何故自殺をしたのかということに焦点が当てられると思っていたので、これにはとても驚きました。コメンテーターやタレントは終始「自殺はよくない」というようなことを言っています。デッドラインを使っていれば自殺をしても構わない。それなのに悲しんでいる人や、困っている人がいたら必ず慰めなくてはいけない。元気がない人を世界は許さないのです。他人の停滞が、自分の生活までもを奪うような気がしてならず、迷惑だと感じる。手の届く範囲のものは出来る限りコントロールしないと気が済まないのでしょう。世の中の人々が日々思い描く毎日には怒りや憎しみがあったとてしも、「死」というものは存在していないように思います。だけどそれは人々の思い描いていることにに過ぎず、実際の我々の日常生活の前に「死」というものは常に横たわっているように私は思うのです。それは世の中も分かっているはずです。だからこそそれを徹底的に排除していく運動や、活動を必死で行っている訳なのでしょう。周囲を気遣って止まない世の中は、お節介というものとは全くもって違います。お節介というのは他者が存在してこその話です。世の中の人々がやっているのは他者を私物化し、自分の世界で横たわる異物を全て自分の色に染め直すようなことなのです。いち早く原因を解明し、徹底的に解決し、世の中から弾いていく。この世界では、誰しもが人生を楽しんでいるように見えます。何もかもが狂っていて、もう手遅れなのではないかと漠然とした気持ちになりました。
自殺は本当によくないことなのでしょうか。当人が望むのであれば、幸せだったということにはならないのでしょうか。死んでいってしまった人達が何を考えていたのかはもう誰にも分かりません。全員が幸せだったと断言することは出来ませんが、中にはこれでよかったと心から思えた人もいるのではないかと私は思います。人生というのは息が絶えるまでのことを言います。自分で終わらせることがどうして許されないのか私には理解が出来ません。時計の針が右回りに進む意味を考えたことがあります。意味はありませんでした。反対方向に回ったって別に構わないのです。何故人は常に前を向いていなくてはいけないのでしょうか。時間と共に歩を進めるには、あまりにも多くのことに目を閉じなくてはなりません。人の死ですら、行く手を阻む障害になってしまうことがあるのです。生きている人間が優先されているこの世界では、過去を振り返ったり、途中で立ち止まることが許されないのです。それが私はとても嫌なのです。卑しいと、そうゆう風に思います。
何故デッドラインを使わなかったのかは考えても分かりません。何故死んだのかも分かりません。理由がないと怖いですよね。私もそう思います。しかし事実として人は死んでしまったりするものなのです。
「バチッ」「バチッ」「バチッ」
デッドラインが家の真裏を通っています。私は急いでノートを取り出して、線を引き正の字を書いていきました。
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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。