関西の茶碗展2023より(燕庵井戸 中之島 香雪美術館)
この夏から秋にかけて関西の多くの美術館で「茶碗」にまつわる展覧会が開催されています。会期が残すところわずかとなっている展示もあり、この機会に作品を取り上げたいと思います。
2023_cha-discount.pdf (kyohaku.go.jp)
朝鮮 井戸茶碗 燕庵井戸(16世紀) 中之島 香雪美術館
この茶碗の「燕庵」という銘ですが、これは京都の茶道四流派の一つ「藪内流」の家元、藪内家にある茶室に因みます。家元藪内家にあることからもわかる通り、この「燕庵」は藪内流を象徴する最も重要な茶室とされます。この茶碗は、薮内剣仲の頃より同家代々に伝えられたものとして、茶室「燕庵」に因み「燕庵井戸」と呼ばれていると考えられています。
なぜ香雪美術館に「燕庵井戸」?
香雪美術館は、朝日新聞社の創業者である村山龍平(1850-1933)が収集した日本、東洋の古美術コレクションなどを収蔵する美術館です。村山龍平は明治期の茶人、藪内節庵(1868-1940)に茶道を師事します。
節庵は藪内流の流れをくむ福田隨竹庵の四代家元であり、藪内十一代透月斎竹窓を実兄に持ちます。村山龍平をはじめ、野村財閥創始者の野村徳七(1878-1945)といった明治から昭和にかけて有力な財界人を門下に抱え、近代の茶道興隆の立役者として語り継がれています。そのような縁もあり、この茶碗が村山龍平のもとに移ります。
なお、それより以前は藪内家より聖護院(しょうごいん)門跡に伝えられたことが分かっています。聖護院門跡は江戸後期、聖護院宮は光格・孝明天皇の仮皇居となるなど、高い格式を誇っていました。
村山龍平の茶道、とりわけ藪内流への情熱は、御影の香雪美術館にある「玄庵」に凝縮されているといってもよいでしょう。藪内家は門弟の中でも相伝を得た者に限り、燕庵の写しを作ることを許しています。また、本家の燕庵がもしも失われた際には、もっとも古い写しが移築されるという習わしがあります。現に現在の燕庵は、幕末動乱期の元治元年(1864年)に焼失したのち、摂津有馬(現在の神戸市北区有馬町)の武田儀右衛門家にあった写しが移築されて現在に伝わったものです。そして村山家の「玄庵」も貴重な燕庵の写しなのです。それは即ち、村山龍平が相伝を得るほどの茶人であったことの証拠でもあるのです。
近代の大茶人、村山龍平が注いだ茶道への情熱の一片を感じることができるこの茶碗、ぜひ中ノ島香雪美術館でご覧ください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?