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LINEが怖いことを勇気出して相談した話とか

私は集まって会議とかになると何もできない。
意見もアイデアも出せないし、ビシッとOKを出すのも苦手で曖昧な返事をしてしまう。
というか何でもいいと思ってるから、誰かの希望に対して、いいと思いますと返事する程度。

皆さんがあれこれ意見を出し合って、それはどうだろうと案を研ぎ澄ましていき、なるほどなるほどとただ聞いていると急に「〇〇さんはどう?」と話を振られて慌ててこくこく頷く係。

そこにフォーカスすると私は本当に役立たずで、何のためにいるのかと思ってしまうので、自分がお役に立てる仕事だけしたいという我儘な考えもあります。

今年は役員の仕事が少ないので、それを「仕事ないんだってラッキー♪」と思える人には美味しかったんじゃないかな。私は折角入ったのにやる事がなくてつらかった。(笑)
でも一応まとめ役に就かされているから、LINEグループに所属している人たちに情報を共有する仕事が時々入ってくるんだけど。
文章を読んで他の皆さんに伝える、それだけの事が本当に下手でずっと怒られてきた。怒られるのもLINE上で。(怒られたわけではなく注意されただけなんだけれど)
なんかね、わかりやすく言うと、「馬鹿でも分かるように事細かく書け」ってことだったみたい。それが私できないっぽいんです。
というか、分からない人は私に聞いてくれればいいだけの話なのに、それが私を飛ばして上に伝わって、私が上から怒られる構造が超ツライ。会社じゃないのになぁ…ただのPTAなのに。やりづらい…やりづらいよぅ…。

LINEの文章でのやり取りってね、絵文字とかないとそっけなくなるでしょ?それプラス言葉選びでだいぶ怖く見えるんですよね。
忙しい人は本当に忙しいから雑な文章になるのも仕方なく、せめて意味さえ伝われば、となると思う。
そういう事情は察しているくせに、それでも何かの一言がグサッと刺さってしまって、その日から気分の落ち込みが止まらなくなってしまって。
そうするとちょっとしたことでも棘になってしまうんだよね。

句読点があっても怖い、なくても怖い。びっくりマークも怖い、可愛い絵文字も何故か嫌味に見えてきてしまう。完全に鬱。あまりのストレスに胃も荒れてしまった。
しかし自分のせいだと分かっているので相談するのも億劫で、何かで落ち込みをごまかす日々。


先日遂に限界を迎え、上の人達に「これ以上は無理です」と泣き言を言ってしまいました。

上の人達だって色々大変だろうから、ずっとずっと我慢してきた。
でも想像だけで何も知らないから、本当に忙しいだけなのかなってだんだん不安になってくるでしょ。
で、鬱のせいで全部が私の敵に見えちゃうでしょ。本当はそんな事ないってわかっているはずなのに、もうどうしても敵にしか見えなくて。

嫌われる準備をしてから思い切って連絡を入れたんだけど、皆さん優しくてね。
勿論やり取りは全部LINEだから、相手がどんなに考えて返事をくれても些細なことでいちいち傷付いてしまう。ほんと、この文章怒ってそうとか、この変換ミスって怒り任せに入力したのかなとか。
勿論全っ部エゴの仕業、厄介なやつ。

そのうち一人が「直接会って話そう」と提案してくれて、私も直接謝りたいので会いに行きました。
そしたらね、包み込むような笑顔で話を聞いてくれて、私がただ「LINEが怖い」ということも分かってくれて。ほら、皆ママという顔があるから、寄り添うとか話聞くとか普通にできるんだよね。私もだけど。
皆普通なのに、分かっていたのに、LINEを見ると全部怖く見える。それでも
「全然大丈夫だよ」
と言ってもらえて、心から救われた。

ついでに上の人達に対して予想していた「色々大変」の実態を教えてもらって、やはり私が鬱になっている場合じゃないことが分かりました。
あぁ…大丈夫になったけどマジで申し訳ない…。

直接会って「大丈夫」と言ってもらえると、頭の中にしばらく「大丈夫」が響いて、家に帰って怖いLINEを見ても耐えられるようになりました。
打ち明けて良かった。はぁ、怖かったぁぁぁぁぁ…。

その晩は久しぶりにお腹が空きました。


それから数週間。

あのときの「大丈夫」が、すっかり薄れてしまった。

私は学んだ。頭の中で以前の嫌だったことがループしはじめている、これはセロトニンが不足しているということだ。
漠然とした不安が襲ってくる。あの人のサポートは夢だったのかもしれないと思っている。
このままではいけない、次の集会で上の人達に会ったら、その笑顔を見て悪魔だと感じるかもしれない。

セロトニン不足を解消すると同時に、「その不安は実際には起こっていない」ということに気付くべきだろう。
心が病んでしまう前に、今度は自分で大丈夫にしてみよう。

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