お茶あれこれ255 2017.1201~1210

1. 江岑夏書Ⅲ
朝外に出て三叉路まで来た時、漂う芳香に歩を止めた。すぐ角にある枇杷の花が、わずかに咲いている。ご近所さんに、毎年一枝いただいている。我が家の枇杷は、まだ花も実も付けたことがない。確かに夏の日除け冬の風除けと借景を整えるために、近隣の家々が隠れる程度の丈6尺ほどに抑えて、いつも伐っているので、それは邪険かもしれない。それでも10年以上なるのだから、花くらい咲かせてもいいじゃないか、と時に思う。

去年も少し書いたが、近年なんでもない森や林の彩りが実に美しくなってきている。それとも、今までそこに気が付かなかったのだろうか。ブナやクヌギ、楢、椎、榎、樫、欅、多種多様な木々が、茶色ベースで黄色から枯茶、黄土、鼈甲、山吹、深黄、金茶、橙、朱赤など深い色合いを見せる。最近、モミジよりきれいなのじゃないか、とまで思えてきた。夕暮れ時は、モミジの名所など問題にしないほどの艶と輝きを見せる。この時期、風が強く絶え間なく動く葉邑は、初冬の少し沈んだ陽射しに柔らかく照り映える。自然そのものを見れば、人工の色や光は余りにも浅い。

いずこも、先月に口切は終わったことだろう。江岑夏書から少し引用する。

「葉茶壷を床に置く場合は、懐石の前に軸を掛け、床の中央に置く。壺には、口覆いか網か、どちらかだけを懸ける。小座敷で、口覆いと網の両方を懸けるのはよくない。口覆いの緒は、輪を下座に、二筋の方を上座にする。亭主の炭が終わり、客が『壺をお見せください』と言ったら、亭主は壺を下ろして口覆いを取り、壺を横向きにして底の土の方を客に見せる。壺は横にして置く。客は口覆いも拝見する。亭主が壺を取りに出て、網を持ち出す。客は拝見が終わったら、壺を立てて置く」

これはもう、それぞれ師匠に教えてもらうしかない。11月の最初の亥の日に、炉を開き初めての火を入れ、口切をする。水の日である亥の日は、火伏に通じる。また「亥」には「閉じる」意味もある。「亥の日」に火を入れることは、火災を封じる願いを込めていることを忘れてはならない。島師匠は小柄(武士が刀に付けていた)を使って茶壷の口を切り、和紙袋の濃茶葉を出して石臼で挽く。懐石の間に、水屋で石臼の音が微かに聞こえてくる。釜の松韻と茶を挽く音、極上の時間と言えるだろう。

「口の大きな釜から湯を汲む時には、口の手前の脇の方から汲む。真ん中で汲んではよくない。風炉でも炉でも同じ」恥ずかしい話だが、これは知らなかった。
美意識なのか、道理なのか、理由をゆっくり考えてみたい。

「釜によって風炉の形はそれぞれ違うので、その釜に合う風炉を使わねばならない。今時は一つか二つの風炉だけで、釜が変わってもそれで済ませている」
今時の話のようにあるが、これは宗旦からの聞き書きなので、350年前の話になる。広まったとはいえ、当時の茶の湯は限られた裕福な人たちの間のことである。たぶん宗旦は苦虫を噛み潰したような顔で、江岑宗左に言って聞かせたことだろう。利休と同じように、宗旦はひたすら侘びを追い求める茶人だった。

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