お茶あれこれ216 2017.0703~0722

1. 露地と借景Ⅱ
やっとギボウシが、咲き始めた。ご存じない方には、薄く藤色がかった「擬宝珠」の花と言った方がわかり易いか。それとも、「ウルイ」と言って、若芽や若葉を食用にすると言えば、余計混乱したりして。出かける折に必ず通りかかる下り道がある。南斜面なので、右側の家の庭は日当たりがよく、花の時期が少し早い。丈も高く、ギボウシは既に満開になっている。

万両の花、と言ってもピンとこないだろう。赤い実の印象だけで、花のことは考えたこともない、かもしれない。花は、米粒のような大きさで、色も白。目立ちもしないし、花なの?と聞きたいくらいこっそり咲く。散った姿は、可愛い。千両も今、粒々の青い蕾の状態で、実の鮮やかさに比して、これも控えめなタイプなのだろう。

「茶道長問織答抄」の解説をしている熊倉氏は「ところで、『ぶしほ』という言葉は難解です。無精、不肖、不承など当てられそうです。『嫌なものだ』と解してみた」と解説されている。「ぶしほ」を考えてみる。原文を読むと、熊倉氏の訳す「嫌だがやむを得ぬ」より、もう少し否定的な意味が強いと感じるのである。古語辞典に「ぶしほ」は見当たらない。「ぶ」は、無か不で間違いないだろうから、「しほ」の意味である。「しほ」は「入(しほ)」でどうだろうか、元々は「染色で布を染料に浸す度数」、単位のようなものだろう。よく使われる言葉に、「一入(ひとしお)」がある。本来の意味は、染め汁に一度浸して染めること、だが、今一度余分に染めたとなって、「いっそう」とか「ひときわ」の意味で使われることが多い。古今集に「ときはなる 松のみどりも 春くれば いま一入の 色まさりけり」のように、古くから使われている。実は、万葉集にも対馬で詠んだ歌がある。
「竹敷のうへかた山は 紅(くれない)の 八入(やしほ)の色に なりにけるかも」
天平8年(736)、朝貢外交に応ぜよと新羅(当時の朝鮮)に談判に向かう途中、風待ちで対馬の港に停泊していた折の歌である。うへかた山は、紅花で何度も染め上げたような、紅い色に染まってしまったことだなあ、と詠っている。
「ぶしほ」を「不入」と捉え、元来の意で「一度の染めもせず」から「一顧もしない」つまり「考えられない」くらいの強い否定的な意味がある、とするのは無理だろうか。もちろん、素人の単なる感覚的な解釈に過ぎない。原文は続く。
「駿府にて後庄三、露地よりせんけんの山多く見へ候を、道巴に木にて植かくし候へと御申候、何も山多見へさるをほめ候つるよし」
「後庄三」は、家康に取り立てられて以来の江戸金座の総監督「後藤庄三郎」。小判の包みに後藤の印を押してあるほどの、豪商茶人でもあった。家康が認めて、駿府にも屋敷を持っていたのだろう。「露地から浅間の山が多く見えるので、服部道巴に頼んで木を植えて隠してくれと言った、山が多く見えないことを誉めたという」
道巴は、織部の弟子である。後藤庄三郎は、織部の感性を好んだのだろう。

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