お茶あれこれ206 2017.0613~0624

1. 茶道長問織答抄
街路に植えてある金糸梅は咲いているのに、うちは未だだなと思っていたら、後ろ向きに咲いている。庭が、華やかになってくる。黄色から金色を、やはりおめでたいと感じるのは、歳をとったということなのだろうか。ま、歳には不自由はしていない。普通のタイプの紫陽花が、咲き始めた。薄いブルーから藤色がかったおとなしい色である。朝起きて庭を見下ろすと、蹲の後ろ満天星や紅葉や槿に挟まれてやっと顔を出している。普通は丸く広がっているのを見かけるが、これは陽を欲しがってすらりと上に伸びている。今時は、赤や紫や派手な色が流行りのようだが、雨に似合うとは思えない。人目に付けばいいとしゃしゃり出るような品種改良には、眼を背けたくなる。この国は政治家に合わせるのか、何もかも下品になる。

「茶道長問織答抄」から、現代文にして引用します。
「石灯籠ならびに行燈に火を灯す場合、暁の茶事が明け方を迎え、薄明るくなってくると、微かに燃えている様子に趣がある。夜咄では、夜が深まっていくほど油もたっぷり、灯心も太く増やすようにして、明るくすると風情がある。利休は、油を入れ過ぎてこぼしたこともあった。」
今の時代、手燭や短檠や行灯は中々使わないかもしれないが、茶事には灯心の灯りの方が余情ゆたかな感じはある。日本人の感性が貧しくなった理由の一つに、明かりがあると言えるだろう。影と共に、消えていったようだ。いろんな感情は、光と影があって始めてゆたかになる。天井から隈なく照らすことは、繊細さへの暴力と言ってよい。横や後ろや斜めから明かりを使い、日常から感性を確かめて暮らそう。

実は、この本の解説をしている熊倉先生の事例に少し疑問がある。それを紹介する。「千宗旦が、本法寺の境内に住むわび茶人大心の茶に行った時のこと、夕方になったら大心が宗旦に「もうお帰り下さい」といいます。「こんなに話が楽しいのに何故」と思った宗旦が尋ねました。実は大心は貧乏で、「仏前にあげる照明の油はあるけれど数奇屋で使う油はない」というわけです。宗旦は早速、自宅から灯油と燭台を持ってこさせて、また話を続けた、といいます。油は貴重品とはいえませんが、いかにもわびた茶を伝える話ではありませんか」と熊倉先生は仰っている。千宗旦は、利休の孫(娘の子)にあたる。
さて、この話だが、大心の言葉は、わびた茶を表しているだろうか。宗旦が灯油と燭台を持ってきたことに対して、大心の気持ちは喜んだのか。宗旦は一旦帰り、日を改めて出直す時に、さりげなく灯油を持って行くのが大人の慮りだろう。貧乏な大心なら、茶の湯ぶりも灯油だけでなく、その雰囲気は察せられたはず、大心にあそこまで言わせる宗旦の配慮や行動は足りないと思ってしまう。「わび」とは、「慎み深く心驕らぬさまを言う」とすれば、「わび」への熊倉氏の観点に違和感が残った。

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