モモのこと 〜ティム・オブライエン『世界のすべての七月』読書感想文〜
"You know whaaat?”(ちょ、聞いてよー)
モモの、前日のデートに関する報告はいつもそう言って始まった。小1から高3までをカルフォルニアで過ごした彼女の、細かいニュアンスを含む話はたいてい英語だ。
モモに限らず、アメリカ育ちの女の子は昨日のデートについて微に入り細に入り話しまくる、というのがわたしの印象である。
彼はどんな服を着て来たか、どんなお店に連れて行ってくれたか、ジョークはウィットに富んでいたか(彼女たちはすべての会話の一言一句を完璧に再現できる)、そして、ベッドではどんなふるまいだったか(当然、聞いてる側の最大関心事はこれだ)。なんて哀れな男の子、すべてはわたしたちに筒抜けなのだ。
「昨日はジェイミーの部屋に泊まったんだ」午後になって、モモはデート相手の部屋から直接、部活の練習にやって来た。着替えた道着から覗く(わたしたちは柔道部だった!)彼女の首からデコルテにかけてはhickey(キスマーク)だらけで、前夜に獲得したその「勲章」をわたしたちに見せつけるのに成功したモモはとても満足気だった。
ただ、この日以降、モモは”hickey monster”(キスマークおばけ)という、あまり誉められたものでもないあだ名でこっそり呼ばれることになる。
***
ティム・オブライエン『世界のすべての七月』(原題:July, July)は、ダートン・ホール大学1969年度卒業生たちが、同窓会会場である体育館でほろ酔いで踊る2000年7月7日のシーンから始まる。
卒業から30年。
30年は、長くもあり短くもある。
もうとっくに手放してしまった若さを懐かしむのに十分な歳月であり、それでも、昨日のことのように思い出す遠い昔の瞬間を誰もが抱えている。
ある者は戦争に従軍し、ある者は逃げた。ある者は伴侶を得、ある者はそれを失った。ある者は不倫の恋に落ち、それは突然、目の前で終わった。ある者は片足を、ある者は片方の乳房を失った。ある者は自分のついた嘘に人生をからめとられた。
11人の登場人物のそれぞれに起きたエピソードと、同窓会のシーンが交互にあらわれる。30年の人生が同窓会で交錯する。あの日言えなかったことを、今日。あの日の答えを、今日。今日だからこそ。
最終章は秀逸だ。秒単位でシーンが変わる。
パン、パン、パン、と切り替わる画面の中で、11人それぞれの30年が動こうとしたり、何も変わらなかったり、する。生きるということは、命が終わるその瞬間までのすべては、「プロセス」なのだと思える。
「まだハッピー・エンディングをあきらめたわけじゃない」(帯より)
***
モモとわたしが50歳を過ぎて同窓会で再会したら、何が起きるだろうか。どんな伏線回収が。そして、どんなケミストリーが。
わたしたちは、”Heeey, how have you been, bi**h?”(ちょっとあんた、元気だったわけ?)とハイタッチして、あの頃みたいにスミノフで乾杯するだろうか。ぐだぐだに酔っ払って吐いて、床に寝転がるだろうか。
わたしはあんたがジェイミーとすったもんだの大騒ぎの末に別れたことも、その後すぐにイスラム教徒のエジプト人の男の子と恋に落ちたことも、それを知ったモモの母親(モモにとって不運なことに、彼女は敬虔なカトリック教徒だった)が激怒して乗り込んできたことも知っている。
アイスティーを黙って飲み干す長い時間のあと、”I’m pregnant”(妊娠しちゃった)と言ってあんたが泣き出したとき、わたしはマックであんたの向かい側にしっかり座ってたし、あんたの左肩に迷わず手を置いて、そのあとハグした。
こないだFacebookで見かけたあんたは、誰もが知る大手企業の海外支社で働いていて、苗字は変わってなくて、でもきっとあんたのことだから一度あるいは二度、離婚なんかしてるんじゃないかと思う。それでもあんたは、高収入と、きっと高級車と、もしかすると子どもと大きな犬のいる「今」に安寧を保たれていたりして、新しい世紀を迎えたばかりのあの頃のことは、もう思い出したくもないかもしれない。
そして、もしかすると、わたしのことも。
***
次の同窓会はいつだろうか。
モモ、今度もし会ったら、わたしたちの話をたくさんしよう。わたしたちのプロセスの話をしよう。
わたしたちはまだ、ハッピーエンディングをあきらめないでいいんだよ。わたしたちはこんな風に生きる女だし、こんな風にしか生きられない。
【2024年6月16日Instagram投稿に加筆・修正】
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