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いっきゅうさん 〜吉本ばなな『キッチン』読書感想文〜

このつぼの中にはくすりがはいっておる。子どもがなめたらしんでしまう強いくすりだから、決してつぼにはふれるでないぞ。おしょうさんはそう言って、まちに出かけてゆきました。

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私鉄線が新宿を過ぎてメトロの線路に乗り入れる。車内には轟音が響き、隣に座る娘との会話も容易ではない。晩ご飯の献立の相談、という込み入った話は電車を降りてからにしよう、と思った。

新宿三丁目で乗り込んできた3、4歳くらいの女の子とその母親が、通路をはさんでわたしたちの正面に座った。女の子の髪の毛はぴったりと美しくなでつけられ細い三つ編みに結かれている。紺のワンピースと黒いエナメルの革靴を身につけている。同じく全身紺色の母親は、少女の隣に座るとほぼ同時に、腕に下げていたこれも紺色の布バッグから絵本を取り出す。いっきゅうさん、というタイトルが見えた。

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「つぼの中身は甘い水あめにちがいない。小僧のひとりがそう言ってつぼのふたをあけ、ひとくちなめてみました。なんておいしいのでしょう!」

車内の轟音にかき消されぬよう、少女の耳にきちんと届くよう、メトロの車内で声を張り上げながら母親は朗読を続ける。少女は絵本をじっと見つめている。周りの乗客が母親にチラチラと目をやる。まだ幼い彼女に噛んで含むようではなく、むしろ業務報告書のサマリーを読みあげるような感情のこもらない早口で「いっきゅうさん」を読み上げる彼女の姿は緊張感をはらみ、ある種の危うささえ放っていた。

この幼い少女は、世界は全てこのようにできていると信じてうたがわないのだろうな、と思った。電車の座席に座るとすぐに絵本が目の前に開かれて、母親がよく通る声で朗読してくれる世界、それ以外の世界を彼女は、まだきっと知らない。

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わたしは、幼稚園から帰ったらボブ・ディランのレコードが流れている世界しか知らなかった(それがアバやナナ・ムスクーリやジョー・ダッサンになる日もあった)。夜中に父と母が決まって激しい口論になる世界しか、知らなかった。どこのおうちもこうなんだと信じてうたがわなかった。

だけど、大人になりながらわたしは気がついた。
わたしをとりまく「普通の/いつもの世界」は、ドア一枚隔てた向こう側ではどこかしら「異常」であって、そしてその「異常」は多かれ少なかれすべてのドアの内側で起きているのだと。それぞれの異常を抱えたわたしたちは、だからこんなにもわかりあえないのだと。

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帰り道のメトロでは疲れ果てた娘が眠ってしまったから、バッグに入れていた『キッチン』を開いた。

「その人はその人を生きるようにできている」

『満月ーキッチン2』p.82


この本を開くのは何度目かもう覚えていないのだけれど、ストーリーの本筋とはあまり関係のないこの文章が、昨日はわたしをとらえて、ぐっととらえて、離さなかった。わたしが出がけにこの本を手に取ったのにはきっと理由があった、と信じることができるほどに。

「どうしても、自分がいつか死ぬということを感じ続けていたい。でないと生きている気がしない。だから、こんな人生になった」

『満月ーキッチン2』p.83


そう語る主人公「みかげ」は両親と祖父母を亡くしていて、つまり「死」があまりに身近で、それはある意味「異常」だ。

でも、あるいは、だから、「こんな人生」を生きる彼女がわたしは好きだ。一秒一秒死に向かうことがつまり生きることだときちんと受け止めているひとを、わたしは信頼する。だから、みかげの生きかたは、とても好きだ。

みかげがそうであるように、今ここにいる、メトロ2号車の右からふたつめのこの席に座っているわたしは、とある普通かつ異常な世界(の最小単位である「家庭」)に生まれ落ちた。そしてわたしも、普通かつ異常なわたしも、このわたしを、このわたしだけを生きるようにできていている。

だから、こんな人生になった。
だから、こんな人生を生きてゆく。

(それはそうとして、カツ丼のシーンは何度読んでも最高で涙が出る。ああカツ丼食べてえな)

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くだんの母親はやおらその朗読を中断した。降りる駅が近づいたようだった。でも、「いっきゅうさん」のその話の続きをわたしは知っている。

壺の中の水あめを夢中で食べ尽くしてしまった小僧たちは青くなり、一休に泣きつく。一休は和尚の茶碗を割ってみせ、寺に戻った和尚にこう弁明する。「和尚さまの大事な茶碗を割ってしまい、死んでお詫びしようと思って壺の中の薬を全部舐めました。でも、いくら舐めても死ねないのです」
水あめを独り占めする目論見が外れた和尚は「もうよい」と苦々しく笑うしかなかった。

***
絵本を閉じて紺色の布バッグにしまい、慌ただしく降りた母親と少女を目で見送りながら、読まれることのなかった結末部分をわたしは思い出していた。

車内アナウンスがわたしたちの降りる駅の名を告げる。
娘の肩をたたいて起こす。
『キッチン』を閉じる。

行きの電車で見かけたあの少女がこれから生きてゆく世界が幸せなものであるように、とわたしは願った。眼前に広がるいつもの・普通の・異常な毎日をあなただけの生きかたで生きていけるようにと。

【2024年4月7日Instagram投稿に加筆】

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