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誠実に見えるサイコパスに注意

サイコパスを誠実と思う人たち

サイコパス気質のAは、今や組織ごと泥沼に陥れようとしているようにみえる。度重なる戦略の失敗、その繰り返しによる外部からの批判。いずれもAが関わっているように思える。

何人かにそれとなく「Aが問題かも」と聞いてみた。すると「彼は誠実だ」「よく頑張っている」「まじめに取り組んでいる」といいった返事が殆どだった。少数ながら「Aは見た目はまじめそうだが、実は攻撃的な性格で嘘つきだ」と知っている者もいる。

演技が巧みなサイコパス

書籍『良心をもたない人たち』(マーサ・スタウト著/草思社)によれば、サイコパスは、魅力的で口達者であり、「演技が巧みになり、プロの役者なみのテクニックまで駆使する者もいる」という。「たえまなく嘘をつき、罪の意識がないため、そぶりや顔の表情でばれることはない」。従ってサイコパスを「いい人」「できる奴」と思い込んでいる人たちは結構いる。

韓国映画『殺人の追憶』のモチーフになった連続強姦殺人事件「華城(ファソン)連続殺人事件」(1986年~1991年)の犯人(容疑者)が、2019年に特定された。そのニュースに多くの人が驚いたが、それは容疑者が24年の服役期間中、一度もトラブルを起こしたことがない「1級模範囚」だったからだ。おそらく、この犯人はサイコパスであろう。

サイコパスには、良心の呵責や罪悪感からくる心の葛藤や苦悩がない。だから残虐非道なことをしても平気でいられる。人を苦しめても悪びれることなく「いい人を演じる」ことができるわけだ。

普通の人は、民族の大量虐殺と、たとえば、会社で同僚について平然と上司に嘘をつく行為とのあいだに、共通点をみいださない。だが、そこにはたしかに、ぞっとするような心理的共通点が存在する。
『良心をもたない人たち』

この大量虐殺犯と、嘘つきの共通点は、どちらもサイコパスであるということ、つまり良心の呵責を感じることがないという点だ。(大量虐殺犯や嘘つきがサイコパスとは限らないが…)

暴力的サイコパスと非暴力的サイコパス

連続殺人犯などの暴力的サイコパスは捕まれば法で裁かれる。しかし非暴力的サイコパスは、嘘で同僚を貶めたり、策略をはかって会社を危機に陥れても、ばれない場合が多いし、法的に処罰されることもめったにない。

非暴力的サイコパスの正体が明らかになった時には、多くの人が「なぜあの人がこんな恐ろしいことを」と驚く(一方で口には出さないがうさん臭さを感じていた人はいる)。従って決定的証拠がない限り、結局サイコパスは処罰されることなく、逃げ切る場合が多々ある。そしてまた一定の時間が過ぎると、嘘や策略で人を苦しめたりするのである。それがサイコパスの人生だからだ。

問題を引き起こしている首謀者の特定も大切だが、同時に、サイコパスを見抜く術を組織的にも身に着けておく必要があると強く思うこのごろである。

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