佐野のわたし 2025/1/2〜5
今年からnoteを改めて活用しようと重い腰を上げた切っ掛けが、この昔話を耳にしたことでした。
10年前に開業した、高崎の私鉄駅「佐野のわたし駅」の周辺と史跡に纏わるお話と調査内容です。
佐野の船橋歌碑 高崎市指定重要文化財
その昔、烏川(からすがわ)では向こう岸まで船を並べて繋ぎ、その上に板を渡して住民が橋代わりにしていたそうです。
この佐野の船橋が舞台の悲しい民話が伝わっています。
「佐野の船橋」 高崎の民話
昔、烏川をはさんで、朝日の長者と夕日の長者と呼ばれる分限者がそれぞれおさめる村があった。
朝日の長者の娘と夕日の長者の息子は恋仲になったが、親同士が犬猿の仲だったため、ふたりは人目を忍んで毎夜、船橋の上で逢瀬を重ねていた。
二親はこれを嫌い、ある夜、橋板を外してしまった。
知らずに暗い川を渡ったふたりは川に吸い込まれるように落ちていき、帰らぬ者となってしまった。
若い恋人同士の死を村人たちは嘆き悲しんだが、それから毎夜、船橋の辺りに怪しい炎が燃え盛るようになった。
ふたつの村が共にふたりを弔ったところそれからのち、炎は現れなくなったという。
この昔語りを元に、万葉集の歌が詠まれています。また、その短歌を元にして謡曲の「船橋」で亡霊の妄執が描かれています。
万葉集十四巻 東歌(あずまうた)「船橋」
上野野 佐野の船橋 取り放し
親は離くれど 吾は離るがへ
(かみつけぬさののふなはしとりはなしおやはさくれどわはさかるがへ)
漢文【可美都氣努佐野乃布奈波之登里波奈之於也波左久礼騰和波左可流賀倍】
現代語:上野の国の佐野の船橋を取り外して、親は恋人との仲を裂こうとするけれど、わたしたちは離れることはない。
漢文をみると、前半の「ふなはし」と取り「はなし」が、後半の親が仲を「裂く」とわたしたちは「裂かれない」が対応しているようで、深い哀しみを感じる歌です。
万葉集の句を元した 謡曲「船橋」
平泉へ旅をしている熊野の山伏が、上野国佐野で橋を架けるための普請を募っている男女に出会った。
その橋の由来を尋ねると、佐野の船橋に纏わる悲恋の物語をかたる。
そして、実は自分たちこそがその恋人同士であると打ち明けて亡霊はかき消えてしまう。
山伏の加持祈祷を行うと亡霊がふたたび現れ、回向を乞う。山伏の法力によって、ふたりは成仏する。
という、少しオカルト寄りになった筋書きです。
こちらの歌碑から徒歩圏内にはたくさんの古墳と神社や史跡がありましたが、佐野地区には有料パーキングもないため、佐野のわたし駅を利用するのが1番良さそうです。
古墳にまで話を拡げると長尺になりますが、意外と大きい円墳だった漆山古墳の奥に2〜3台停められる駐車場がありましたので、古墳巡りなどの際は利用させていただけるかもしれません。こちらは玄室も見られて胸熱です。
駅から道沿いに数分歩くと、鎌倉時代の歌人・藤原定家を祀った「定家神社」(ていかじんじゃ)があります。
境内には句碑や古墳があり、見所が多かったです。
そして、駅と定家神社の中間に小さくて正月飾りがなければ見落としてしまいそうな「常世神社」(とこよじんじゃ)もあります。
なんと、こちらの神社にも謡曲「鉢木」(はちのき)の舞台である、佐野源左衛門尉常世の屋敷跡という由来がありました。
こんなにもぎゅっと狭い範囲にこれほどの古墳や史跡があるのですから、古来は重要な地域だったのかもしれません。
他にも放光神社など数百メートル圏内の場所をいくつかみてきましたが、最後にご紹介したいのは、2日に渡った調査の帰り際、Google MAPに「佐野の舟橋跡」とあったので遠かったら諦めよう、と行ってみると、案外道路から細い道に入ってすぐ、目の前に現代の「佐野橋」が現れました。
史跡だけかと思いきや、木造の橋が現存していました。橋桁はちゃんと青い鉄骨製でしたが、高所恐怖症の私は橋の袂で佇むのみ……。
近隣の方は徒歩や自転車で渡っているようです。
親世代から佐野橋は年中流される。と、聞いていたのですが、調べてみると、水位が上がると流されるのを前提とした「流れ橋」という、なんというか思い切りのよい造りの橋でした。
平安時代頃はこの辺りに船橋が渡っていたのかと思いを馳せ、最後に訪れることができてとてもよかったです。
今回の民話は、数年前に住民の方から教えていただきました。悲話ながらロマンチックで、万葉集に詠まれていることも知らなかったので深く感銘を受けるとともに、「群馬にもこのような民話や伝説がもっと眠っているのではないか、いつか自分の足と目で確認してまとめたい」と、ぼんやり考えていました。
そして昨年、『東女の怪(あずまおんなのかい)』という同人誌に寄稿したことで、「集めた県内の民話、神話、伝説を元に小説を書きたい」という終着点をみつけることができました。
noteでは主にフィールドワークの成果を載せて、そのなかから、この「佐野の船橋」をはじめとしたいくつかの伝承を、自分なりの解釈と脚色を加えて書き留めるというのが2025年の個人的目標です。
まずは調査、それから創作活動になるのと、実録的な怪談とちがい小説を書くのははじめてなのでまとめるには時間が掛かりますが、書き溜められたらコピー本などの形に出来たら幸いです。