稽古茶事:2024/9/15(日)中秋の名月に寄せて

一巡した茶事の役回り

4回目の稽古茶事。
お詰め→正客→亭主と来て、今回の私の役は水屋。最後にもっとも裏方の役回りを担当することになり、茶事のタネ明かしを見るようだった。

前回の稽古茶事で自身が亭主をした際に水屋は見ているのに、ほとんど記憶に残っていない……。お点前をすることと問答に気を取られすぎていたのだと思う。いかに先生と水屋を担当してくださった同輩がさりげなくスムーズにサポートしてくださっていたかを実感した。

懐石の間、水屋担当は一切茶室に立ち入ることなく、ずーーっと水屋でお料理をよそったり、器を下げたりとこまごまと動き続けているので慌ただしい。静かな茶室とははまったく別世界なのがおもしろかった。

日常がこぼれ落ちる

懐石の盛り付けをしていて、自分自身の、豪快さというのか大雑把さ、適当さも思い知った。一文字でご飯をよそうにしても、いちじくの蒸し煮の上にクリームをのせるにしても、よそう量が多いんよ。前世は部活帰りの学生が集う定食屋のおばちゃんだったのかもしれない。

あと、普段からいかに知恵を発揮して手早く料理しているかも否応なく垣間見えるなと。言われたことしかできないことが恥ずかしかったので、せめてもう少し気付ける「目」と、動ける「足腰」を日々養いたい。

お茶に限らず何をしていてもだし、自身に限らず誰を見ていてもだが、最近強く思うのが、どんなに取り繕っても、エエカッコしても、その人の日常や本心って思いがけずこぼれ落ちてしまうものだなと。

そのこぼれ落ちる「何か」にその人の魅力があるし、誰かに惹かれる瞬間ってそういうところにあると思う(反面、がっかりすることもあるけど、それはこちらが勝手に期待しただけの話だと思う)。

つまり、こぼれ落ちる何かに本心が宿るから、性善ではない自分は、いつだって誠実でいられるよう、優しくいられるよう、励んでいたいな、という話です。すぐしょうもないズルをするからな、私は……。

人知れず徳を積む

帰りの電車で「人知れず徳を積む」という話になり、とても心に残った。なかなかできることではないですよね、と。というか、私の場合、ごく小さな善行をひとつしたただけで、さもどでかい徳を積んだかのように周囲に吹聴してドヤってるな。このnoteを書いている時点で「私こんなことやりました!こんなこと思いました!」って公言しているのでね……。

稽古茶事の後、皆で「初心者教室に通い始めてもうすぐ2年ですね」と。もう何年かしたら、こういうnoteを書かずに心静かに受け止め、整理し、着実に歩めるようになるだろうか。今のところ、一生右往左往してそうな気しかしないけど……。

千里の道も一歩からマインドで、ぼちぼちいこか……。

月にまつわるしつらえ

お軸:清風払名月
お花:秋海棠、りんどう、すすき、菊、水引草
薄器:秋草蒔絵(大棗)
など、ひとつひとつがお月見仕様で素敵だった。中でも心に刺さったのが棚! 棚にまんまるの穴が空いていてまるでお月様で、棚に収められた水指に描かれたススキとあいまって、広い高原で大きなお月様を望んでいるような景色だった。

まだまだ猛暑な日々だが、秋のはじまりに本当に贅沢な時間を過ごさせていただいた。

御相伴:
亭主 MTさん
正客 SZさん
お詰 WTさん



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