うさぎと亀のガラパゴス。
ワタクシの住む田舎町でも
やはりコロナ禍の影響で
うまくいかない現実が続く。
我慢が続くという状況を
どのように打開していくのか
どんな策を打ってくる人が
これから出てくるのかにも
ちょっと注目しています。
やはり新しい事、試みを
することが大事。
大事だけど、なかなか進まない。
聞こえてくる声は
仕方ない、ばかり。
早く元に戻したい、ばかり。
でももう、元には戻らない。
だからこそ新しい試み、意識が
必要になってくるんです。
それでも社会全体としては
以前のしくみのほうが
やりやすいから
そっちを望んでしまう。
日本の国の全体的な傾向として
こうなってしまうのは
社会のしくみに原因があるんです。
それは時間がかかるパソコンの
起動のように遅くてイライラする。
でも壁に阻まれてできないみたいな。
みんなこうしたらできると
アイデアや意見は言う。
しかし誰も、自分たちでは
動かせる環境にいないという、
現実の縦割り感がある。
この壁が大きく立ちはだかる。
担当する者たちには自負があり、
自分たちの仕事に口を出すな的な
ムードさえあると感じるときもある。
そこからは自分たちの仕事を
奪ってくれるなという姿勢もみえる。
自分たちが「ちゃんとやるから」
邪魔しないでくれみたいな感じが。
でもその「ちゃんとやるから」では
遅いんだよ、こうしたらいいのに。
そしたらもっと早く助かる、うまくいく。
という意見を大衆はぶつける。
この時点でうまく意見を集約して
スムーズに改善しながら進めたら
できる可能性も、ホントはある。
それが理想であり、海外の先進国を
見ているとそのあたりの臨機応変さが
スムーズで変化への対応、決断が早い。
しかしこの日本という国では
互いに協力する姿勢はあっても
縦割りの壁や制度の壁など
いろんな壁に阻まれてしまう。
大衆はそれにイライラしてる。
もっとうまくやれるはずなのにと。
しかし現実としてはそれぞれの
担当者がすり合わせをして
全部のチェックポイントに置かれている
針の穴に、糸ならぬ意図をじっくり通す。
その糸(意図)が全部つながった状態を
つくってから、動き出すんですよね。
だからどうしても手作業のように
時間がかかってしまう。
現実とのタイムラグが生じてしまう。
これが当たり前で、時には
致命傷となことがあっても。
慎重に立ち上げて、ひとつひとつ
丁寧に確認しながら起動している。
そんなパソコンみたいなもの。
負荷は当然大きく、処理速度も遅い。
だが粛々と愚直にひとつひとつ。
進めていくんですよね。
早い段階での判断はしない、できない。
丁寧にコントロールしながらミスなく。
まぁ残念ながら人間ですから
必ずミスは起こりますけどね。
こういうしくみの中で
大衆は「ウサギと亀」の
ウサギのようにできるだけ早く
進もうとする。
もちろん、こうしたほうがいい
という理由も合理性もあるんです。
言ってることは正しい。
ウサギがラクをしてるからとかでもない。
しかし時間はかかり、ムダもある。
ヘタこいて後手を踏み続ける。
けれど、ゆっくり確実に進み
亀のように遅い歩みでも
ゆっくりと、追いついてくる。
この感じが日本の傾向として強い。
もちろん亀のぶんだけ犠牲は大きい。
ただ、犠牲を伴いながらゆっくりと
亀は自分のできることを進めていく。
犠牲になるのは物言わぬウサギ
ではなく、物言うウサギだ。
ウサギは、じれったい亀にイラつく。
使ったことないが、5Gのように
スムーズさとスピードと合理性を
いつなんどきも求めてしまう。
ウサギとしては早くやる方法のために
協力することもいとわない場合もある。
それでも亀は亀のままで、かたくなになる。
ワクチン問題もそう。
私たちはこうしたほうがいいという
アイデアや具体策は思いつく。
もちろんそうなったら協力する。
しかしいまの状況をみてわかるとおり
遅いけど着実にゆっくり亀は
自分たちが針に通した糸をなぞって
ワクチン接種を進めていっている。
ウサギはイライラが止まらない。
しかし亀も止まってはいないけど
着実に進んできているのだ。
危惧すべきは、もっと大きな問題が
起こったときにこのしくみのままでは
これまで以上の犠牲が出ること。
だからこそ、亀ができたことを
評価しすぎてもダメだと思います。
亀で満足していたらダメな局面が
必ず来ると思うのでね。
そこのウサギと亀が
協力するポイントをみつけ
実行していくこと。
これがすべての道に通じていて
新しい道が見えてくるのではないか。
もう海外の先進国の亀は自分から
早く動けるくらい進化している。
しかし日本の亀は
取り残され独自性を強めていく。
まるでガラパゴス諸島の
代名詞のように紹介される
あの亀のように見えるのは
気のせいだろうか?
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