8050問題、果ての孤独。
いろいろと不幸があっても
頑張って働いていても体調を
崩して仕事を辞めてしまい
挙げ句、引きこもり状態になり
高齢の母の介護も行き届かずに
死亡させてしまった、という記事。
たまたま読んでしまいましたが
なかなかの衝撃でしたね。
8050問題の延長にある
既に迎えている9060であり
ひとつの事例だろうと思います。
あとは同じように高齢の両親を
人生うまくいかずに健康問題も含め
なくなくドロップアウトした人や
あるいは、ずっと引きこもりなど
そういう子供が親を介護し
親の年金を頼りにして
お互いを支えながら生活して
しのいでいる家族は全国的に
思っている以上に多いはず。
問題をどう解決するかですが
これを既存のルールの延長と
これまでの常識や意識では
解決は難しいんですよね。
おそらくこの問題は高齢化と
経済不況と人口問題などが
複雑に絡み合った問題。
トータルで課題をまとめてから
負担を公平に決め、法整備して
取りかかるのでは絶対に遅い。
そして難題から目を逸らす
国民的体質の意識を変えないと
支えきれない問題でしょうね。
まず支えられる側、老人の立場。
彼らは一足早く自分の親世代の
介護に直接携わってきた世代。
まるで制度の整っていない時代に
家族の責任のみで一生懸命に
経済的負担も大きくなりながらも
支えて見送ってきた世代。
彼ら、主に彼女たちですが
その経験から一番に感じたのは
その介護のつらさでしょう。
そして自分が同じように
遅かれ早かれなる時に
「介護する者に迷惑をかけたくない」
この一心でガードしてしまう。
ワタクスの母もよく言いますよ。
絶対に、迷惑をかけたくない
できるだけ自分でできることは
自分でやり続けるように普段から
努力し続けると、口酸っぱく言う。
これは経験上、そのつらさを
知るからこそでしょう。
ウチの親も例外ではなく双方の
両親を看取ってきましたから。
お金もかかったし、看取った後も
葬儀、何回忌の法要だなんだと
生きているうちはやろうとする。
この無限の負担の、無間地獄。
ワタクスらの世代にはあとは
あまりやらなくてもいいからと
年を押すが国民性を考えると
無下にできるはずもなく。
その負担は精神的、肉体的
そして金銭的負担からも
大きなカオスを招くこと必至で。
これをきちんとこなしてつないで
次世代に受け渡しなど、余程の
余裕がなければできるものではない。
まずは介護経験した高齢者の
ガードを下げさせるために
気持ちの負担をといてあげることが
何より肝心だと思います。
そうすれば手遅れになる手前で
その家族を救えるかもしれないから。
そのためにホントの意味で幅広い
意見をすべての世代で話し合う
それを絶え間なく続けていく
そうやって意識を高める必要もある。
そして物理的にもそうだが
気持ち的にも現役世代の大人は
距離が離れすぎてしまっている。
離れていれば、預けていれば
あとはあまり考えなくなる。
親のほうもソッチはソッチで
頑張ってくれたらいいからと。
その言葉に甘えてしまう。
それはその親との物理的距離が
離れていればいるほどそうだ。
そういう現役世代の意識をも
継続的に話し合いを重ねていき
変える必要もあるでしょう。
そして今回の記事のような
残された子のことですよね。
親が居るうちはなんとかして
親の面倒をみることでなんとか
生きてこられたけれど。
亡くなったあとは彼らには
もっとつらい孤独が待ってる。
既にそれに直面している人も
声をあげないだけで多いでしょう。
彼らが残りの人生をどう生きて
何を目標に生きる喜びを
自分たちで見いだせるのか。
ここにも助けは必要である。
おそらく絶望しかないという
気持ちが自分にフタをして
そのフタに押し潰されてる
その状況の当人も多いでしょう。
彼らが残りの人生を気持ちを
張って歩めるような助け合いの場は
あまりに少なく、あったとしても
脆弱すぎだし、形骸化してる
助け方しかできない現状。
こちらもみんなで意識を共有する
そして彼らから奪いすぎないで
現状を維持してあげる法整備も
必要になってくるでしょう。
子の世代のうまくいかなかった人
たくさんいますよ、本当に。
ワタクスも当事者に近い一人として
考え続け、新しい方法を模索し
何かのアイデアの足しになれば。
末端でも一端を担う自覚をして
できることはしていきたいなと。
孤独を抱えた同士が互いに
助け合うコミュニティも必要。
そうやって集まってできる
集落が生まれ、支え合うような
最終手段も考えていかなければ
いけないのかもしれないですね。
いずれにしても私たち自身が
自分のことだけでなく互いに
公的サービスに任せることなく
関わり続ける意識を醸成する
それが何よりも大切なこと。
私たちの社会は整えば整うほど
互いに離れていくようになった。
自己責任に落としこんできた過去。
それは必ず私たちにも降りかかる。
互いに手遅れになる前に。
メディアも含めて普段から
不断の努力で話し合いながら
意識を変えて高めていくこと。
施設や仕組みを充実させても
補えない何かに私たちも
もう気づいているはずだから。