自主的なご感想の、ご発表。
田村もやっちゃったな(笑)
自主的研究の発表とは。
これまで一緒にやってきた人に
なかなか言える言葉じゃないね(笑)
「ご研究のご成果」のところで、
フフフと思わず笑ってしまった
マスゴミもいたようだが
どんな意図なのかね。
言葉に少しためらいながらも
聞く側がなんとなく好意的には
受け取れないような物言い。
もともとちょっとクセのある
トーンやテンポでしゃべるから。
それがシャクにさわる人もいる。
加えて受け手のほうが
尾身会長に対して
好意的な印象を感じている場合、
田村の発言は、より不快感を覚える。
印象ってそれだけ
真実と距離ができる場合がある。
言葉ひとつとっても
印象が良い人言うのと
そうでない人が言うのでは
受け手には差が出てしまう。
政治家は、やっぱりマウント
とりたくなっちゃうんだろうな。
大多数の庶民にとっては
政治家のほうが悪いイメージ。
尾身さん頑張れっていう流れ。
政治家もこの国民の感情の
流れを認識していないはずがない。
政治家もなんでいま大事なときに
そんな足を引っ張ることを言うんだと
感情的になったんでしょう。
でも国民の大半は
尾身会長が良心にみえる。
また「みえる」と書くと真意が
ズレてしまうが。
彼はたぶん、数字だけじゃなくて
予測や想定を広めに、早めにとる。
そうすべきと考えているんではないか。
感染症の歴史を学んでいて
その「判断の時点の大丈夫」の基準を
「結果が超えてくる」歴史を知ってるから。
社会的状況、文明の進歩、大衆心理。
国民性などいろいろと考えたうえで
後になってから言う、ということが
感染症の専門家としては耐えられない。
耐えられないというか
防ぐために言わないと意味がない。
だから「そうなる前に言う」んだろう。
たとえそれが結果的に杞憂に終わり
予測が外れたとしてもです。
まったくの抑止力が働かない
わけでもないから。
何も言わずに結果的に大丈夫と
言っておいての結果的に大丈夫は
違うでしょ?
だからリスクを承知で
言わなきゃならないと
思っているんでしょうね。
たぶん、世間も政治家も
現在を点で見たがる傾向が
あるのも尾身会長はわかっているし
これからもその傾向は変わらない。
だが、ここで油断すれば悪くなる
という知見があるから、
警告してるんだと思います。
細かく言うと、根拠を欲しがるけど
根拠より、いま見えていない部分が
上回るときがあるんだということ。
政府はそれもわかってる感もある。
でも、どうしてもオリンピックを
進めたい、成功させたい、開催したい。
その気持ちが上回り、止められない。
人命と借金を天秤にかける
悪いやつらです。
政治家が貯蓄を崩して働け。
国会議員の給料まるまる返済に回せ。
それじゃダメかな?マジで(笑)
政府は自分たちが決めるんだと
思っているんでしょう。
イニシアチブを取られたくない。
自分たちがそうだと思えば採用する。
足並み揃えずやってもらっちゃ困ると。
見解が分かれるのは
これなら大丈夫という数字が
いろんな潜在的な状況の予測を
加味しての大丈夫なのか、
あるいは現時点での状況と
これまでのデータから予測して
大丈夫と判断しているのか。
政府は後者なんでしょう。
散々後手踏んで失敗してきたのに。
逆算して予測するとキリがないと
思っているのかもね。
やるやらないも含めて
やれると思っている根拠が
目に見えるデータを軸にしてるのか
データ+潜在的リスクの予測
なのか、でまったく見方が変わる。
目に見えないことまで考えてたら
何も前に進まないじゃないかと
言うかもしれない。
平時はそれも正しいだろう。
しかし感染症の専門家の感覚が
これはマズイとなっているなら
答えはノーであっても驚けない。
最初からさまざまな後手を踏み
失敗してきた過去をどの程度
学んで修正しているのか。
後手を踏んだ理由を洗い出し
この時点で違う判断をしていれば
あるいは早い段階でゴーサインを
出していれば結果は違っていた
かもしれないという検証をしているのか。
トップの判断は重い。
そして決断は怖い。
だが、感染症を相手に
予測を深めに、広めに
構えられない政治家は
私たちにとっては
もっと怖いんだぞと。