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カッコツケと別離。


宮迫がまた物議を醸してるようで。

雨上がり宮迫、オリラジ中田

そしてキンコン西野など。

共通している要素がなんとなくある。


「ちょっとカッコツケしてしまう。」


笑いに愛された人間を目指して

業界に入ってきた人たちにとっては

ちょっと違うよ、って

言いたくなるんでしょう。


このカッコツケが気に食わない人が

芸人の中でも多いのでは?


お笑い芸人の暗黙知やルール、

人間的な調和というか

その雰囲気を壊している。


周囲がそう感じてしまう行動に

出ちゃうんです、彼ら。


芝居じみた行動や

つくりこんだ演出や

妙なマジメさなど。


お笑いという括りでいると

ちょっと厄介だなとか

扱いに困るなという感じ。


なんていうんだろう。

マジメさも必要なんだけど

芸に対するマジメさであって

「マジメにふざける」

人たちのプロなんですよね。


お笑い芸人を超えてやりたいことが

できたのであれば、別の道になる。


言ってもわからない人っているし

言ってもしょうがない人もいる。


たぶん互いに話が通用しなくなって

平行線になってしまうんでしょうね。


大事だと思っていることが

お互いにあってその主張は譲れない。


ケンカっぽくなるけど

ケンカでもない。

キライみたいに思うかもしれないけど

キライでもない

という別離の状態。


ただ、越えていいか悪いかのライン

ってのがあるとすれば

だいたいの人が「ココ」は

もうやったらダメ、アウトだよ?


っていうところを

彼らは注意したにもかかわらず

無意識で越えて踏みつぶして

信頼を裏切ったからなのかなと。


自分の主張と周囲の主張が

相容れない、譲れない部分がある。

お笑い芸人でなくても

各自いろいろとある。


でも、なんだろう。

カッコツケを認めてしまうと

「お笑いをつくる芸人の会社」

としては笑いは生まれづらくなる。


たぶん、一般の会社の感覚と

一緒にしちゃいけない部分って

絶対にあるんですよ。


決めたらその基準にすべての会社が

全部同じように従うとか。

それは絶対にやっちゃダメ。


一緒じゃないから活きる職業で

そこの異端さがあるからこそ、

より良い「商品」がつくれる。


そこをこれからの時代は

あえて認めて逃がしてやらないと

文化が廃れていく感覚がある。

法律に殺されてしまうおそれもある。


大衆に笑ってもらうために

その芸人の存在を活かせる場を。


面白いやつらが面白いことを

面白おかしくやる自由があっていい。


笑いにすることがおそらくは

お笑い芸人の最低限で、大前提。


そこの軸がブレ出してしまい、

カッコツケに向かっている。


別に特段、間違っていないから

理解して共感を得る人もいる。


ただ、お笑い芸人の主義主張が

合わないから別離となるんでしょう。


ふざけたり、笑いにしたりする。

その基本軸が各自でズレ始める。

基本軸は多少の誤差はあっても

お笑い芸人としては

裏切ってはならない

軸みたいな、芯のようなもの。


周囲が違和感をもつのは

お笑い芸人の基本軸とか芯を

芸人全体が意識していて、

彼らがそこからズレてしまっていると

感じているからでしょう。


ただなぁ、そこは説明したり

大っぴらに見せちゃうと

カッコ悪いって思うから

言わないだけであって。


声高にしない、見せないでおくのが

笑わせる側の矜持みたいなところも

あるでしょうからね。


似た路線としては極楽の加藤、

ロンブー淳などもそっち寄りか。


お笑い芸人なんだけど

ちょっと熱くなってお笑いを

超える言動のラインを

越えちゃえばいいじゃんって。

やっちゃう人っているでしょ?


でもお笑い芸人のもっと上の世代を

考えてみてください。


お笑い芸人としてのそこまでは

いったら(言ったら、行ったら)

ダメってラインを

案外、越えていない人が多いんです。


たけし、さんま、タモリ、鶴瓶。

言うのがカッコ悪いから絶対に

言わないでしょうけどね(笑)


マジメさをあえて隠したり

笑いにしたりすることで

いいバランスをとれている。


私たちも息抜きできている。

実はすごく難しくて

それだからこそ貴重な人財です。


ふざける息抜きを残したい。

ふざけたままで

変えなくてもいい。


ヘタにマジメさを

出していかなくてもいい

絶妙な存在であると思うんです。


まぁその席が埋まっていて

どいてくれないから

別の行動起こすため、

生き残り方の模索でもあるんでしょう。


やりたいことが変わってきたなら

離れる人もいるし、

何度忠告しても性根が

変わらない人もいるでしょう。


笑いを軸にする必要がない人。

笑いを不義理に使う人。

ついていいウソ、悪いウソ。

そういうラインの踏み倒し方・・・


そうなっちゃったらもう

別離の道をとるしかないですよね。


判断しているのは本人です。

いいオトナが自分で正しいと

互いに判断して別離するのなら、

どこかで考え方が変わらない限り

交わることはないんでしょう。


もしかしたらその別離の感情を

互いになぜわかってくれないんだ?

と思っているのかもしれません。


人間は互いに主張が自分の中で

強くなると譲れなくなる。

ぶつかり合いになる。


ただ時間が経てば別の視点ができて

互いが氷解するときもある。

いま、意見が合わなくても

永遠の別離ではないと思う。


わかりあう地点がまた時とともに

変わってくることもあるから。


互いに歩み寄り、素直に謝ること。

ここだけは残しておいてほしい。

素直に謝るって結構重要な

パズルのピースですから。

絶対になくしちゃダメです。


謝る気持ちと、それを受けいれる

スペースは開けておくべきで。


偉そうになりましたが

素直な気持ちで書いてみました。

申し訳ありませんでした(笑)






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