オトナの模範ってなんだろう?


最近、中年になってからの

自分の振る舞いや立ち位置

年齢と比較した若さを

どれだけ残すべきなのか?

考えることがある。


たとえば若い頃使っていた

言葉遣いなんかをずっと

変わらないというのもなんか

成熟していない人間のように

感じてしまうこともある。


社会人になるとワタシという

人称表現を男性ならば使い出す。


プライベートな空間では

俺や僕などを中心に

地域によっては方言で

人称を表す言葉を使う。


ただ年々感じることがある。

幼児性とまではいかないが

若さを残しつつ社会性を

保っているのはオトナとして

成熟しているのだろうか?


マンガを読むオトナなんてのは

やっぱりワタクスの子供の頃の

オトナに対して抱いた印象からは

考えられないコドモのようで。


どこかで卒業するものだと

思っていたのだが数十年経って

周りや有名人も含め見渡すと?


若い頃の趣味や表現を残しつつ

オトナとして社会人を身にまとう。


コドモを携えたまま

社会的にオトナをまとう。


そういうオトナの変化を

どこかで許容してきたんだなと

感じるようになった。


ワタクスが描いたオトナとは

イメージが違うよなぁと。


マンガやアニメ、ゲームなど

オトナになると卒業するのだと。


それどころか経済力を

安定的に得ると

若い頃欲しかったものを

欲求を満たすようにコレクション。


お金に糸目をつけずに

大枚はたいたりしても

趣味だし、その人のお金だし

いいんじゃないの?っていう

許容する流れが定着した。


もちろん完全にワタクスの

100%個人的な主観そのもの。


別に年齢に合わせて

趣味嗜好を変えるべきだと

言うつもりもないが。


やはり分岐点は

オトナなんだから

そんなもの卒業しろ、とか


オトナとして恥ずかしくないように

振る舞いをただす

その上の世代のオトナが

徐々にいなくなったからだろう。


自分が上になってくると

自分で自分のことを決めていく。


いわゆる模範であったオトナが

社会から退出していくと

模範は自分たちになるのだから。


そして心のどこかで卒業を

強いられていたことを許容した。

まいっか、好きなんだし自由だって。


コレは個人の問題だからと

自分でも許容し出した世代から

スイッチして様相が変わり始めた。


おそらくいまの60代あたりからか。

ハラスメント意識も高まり

もう簡単には言えなくなった。


70代以上はまだオトナの模範を

追いかけていたような気がする。


キムタクが、木村拓哉が

いくら演出とはいえ

50近いオトナが放つ言葉に


重みや成熟さが無いのを

見せられた時に、やっぱり

なんか違うよなと感じた。


世の中の流れがまだまだ

若さを保つ方向に向いているし

若さを保つためのビジネスも

隆盛している時代だから

世間的にも違和感を感じない

のかもしれないですけどね。


わかりませんよ?

わかりませんけど

木村拓哉本人も、実は


成熟したオトナで

言葉遣いも変えて

落ち着いた振る舞いや

イメージづくりに


路線変更をしたいのに

できないのかも。


ハゲたり、白髪増えたり

体型や姿勢がダルダルになったり。


老いを許容するターニングポイント

みたいなものをどこかで変えて

ラクになりたいと感じてる人も

多いのかもしれないでしょう?


木村拓哉が品の無さそうな

食べ方や言葉遣い、振る舞いを

染み付いたヤンチャカッコツケで

やってしまうならこれはもう

どうしようもないんですけど(笑)


ただ、いつか追いつけない自分が

晒されてしまった時の世間の

落胆やイメージダウンを考えると


カツラかぶっていた人が

カツラとって生きるくらいの

大胆な変更があったほうが

世間的支持も変わるはずです。


若づくりするイタイオトナ的な

イメージにシ世間的には

シフトしつつあることも


本人は気づいていながら

ブランドイメージや

商品イメージを変わらず求めたい

古い企業側との思惑のズレに

逆らえないのかもしれない。


カッコツケや趣味嗜好。

やっぱり続けているなら

続けていたぶんだけ

変更するのは難しいのかな。


この若年→中年→老年のあいだ

どこで転換期をつくるかですね。

いまは若年→老年みたいな。

そのギャップのハゲしさたるや。


中年はそのあいだで苦悩する

そういう時期なのかな?


人生のサイクルというか

総距離を俯瞰でイメージしたとき

なんか気になることですね。






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