漏れる箱船。
儲けよう、儲けたい。
そう思えば思うほど
人間は少しずつ互いに
ズレていくんだよなぁ。
稼ぐことから人間が離れて
自由になったら。
生活するのに困らないお金を
一時的でも安定的に受けられ
構造的な問題を意識的に解決するために
みんなで地域社会レベルから
いまと別の、働くしくみをつくれたら。
さまざまな社会問題を
解決するために必要なのは
時計仕掛けで止まらない
いまのシステムの社会を
いったん止める勇気。
既存の動かし方を一度、やめてみる。
そんなこと言っても止められない。
っていう状況だからこそ、止めてみる。
別の動かし方にトライしてみる。
押し続ける力が強いから。
後ろからずっと押される圧力が
かかり続けるから。
だから押し続けなくちゃならない。
そういう状況で、いまもなお
惰性で続いているとしたら?
実際、そうでしょうね。
「いや、みんなが押せ、押せ
って言うから・・・
押すもんだと思ってさ・・・
とりあえず押し続けるしかないでしょ?」
「・・・・。」
「試しに、引いてみた?」
「え?引いていいの?ダメでしょ。
誰も引いていないのに引いちゃ。」
「いやいや、ずっと押してても
ダメなんでしょ?
じゃあ、一回でも引いてみても
いいんじゃないの?
え?引いたことないの?自分の意思で。」
というような状況が
日本のシステムの根幹。
たぶん他の国と決定的に異なる
勇気ある決断と行動の無さ。
これが最大の欠点であり、
すでに致命傷になっている。
崩さないほうが守れる、
堅実さがマイナスを
最小限に留められるという思考で。
止めないと気づかない思考。
気づけない視点がたくさんある。
マイナスを少なくできても
プラスは増えないんです。
プラスを増やす意識がないから。
コロナ禍のあと、立て直すときに
一番のネックになるのがこの問題。
みんなわかってるくせに手をつけない。
説得力はないかもしれないが
これまでやってないのであれば
やってみてからでも遅くはない。
水は漏れ続けるけど、足さないで
漏れる被害を最小限にする現システム。
下は浸かってしまうけど、仕方ない。
下にはずぶ濡れになってもらうしかない。
流されてもらうより、仕方ない。
私たち上級が濡れなければいい。
私たちが動かさなければ(キリッ)
って漏れをボロ布で止めて、やったフリ。
やっていることに満足して
あとは仕方ないと逃げる。
なんか、悪代官っぽい(笑)
会社単位で見ない時代へ。
人そのもので見る時代へ。
なんとなくいま、時代は
移行しつつあるんです。
しかし、既存がいつも強く排除する。
潜在的には変えたい意識のほうが
強い人が多くいるはず。
できないと思うことをあえて
やらなければ、もっと酷くなる。
人口が減少していくこれから
人の単位で活躍すべきことの
重要性が増してくる気がする。
日本人は会社という傘の中では
強気になれるが、個人になると
途端にうろたえてしまう印象もある。
後ろ楯がないときの脆さが露呈する。
裏を返せば、矢面に立つのは苦手。
組織という傘の下、駒として働く美徳。
役割を「与えられて」機能する。
ずっとそうやって信じてきた。
幕末といろんな意味で似てはいる。
でも武力では動かせない時代だから
既存がいつも以上に磐石になる。
でもそのなかにいるのは
やっぱり、人でしょ?
人の魅力を立てて活かせるか。
そうならないと人口減少の時代は
社会が機能しなくなる気がする。
日本の社会を考えると
人をこんなにもムダづかいして
うまく活用できていない状況は
致命的な欠陥であると思う。
もう感覚的すぎて言葉では
伝わりづらいんですけど(笑)
なぜ会社単位で動くのを
中にいる人間もやめられないのか。
継続され整えられてきた
企業文化の影響が大きい。
まだまだ「箱から人へ」
権利が移っていないんだなと
芸能人やタレントの独立問題を
見ていてもそうでしょ?
やっぱり会社の傘には勝てないと
あきらめている人が大勢いる。
それが社会を硬直化させている
致命的な欠陥だと十分理解していても
動かないのだから。
国の施策も構図は同じです。
この漏れ続ける方舟ならぬ
箱船を政府は水に浸りながら
現実を見ずに進もうとするばかり。
目先におぼれ、舵を離さず
下を見ずに、ずぶ濡れにしながら
水に弱い段ボール箱の船から
懸命に水をかき出そうとしている。
自分たちのところから水が引けば
助かるとでも思っているんだろうか?
磐石にしたと信じて疑わない
理解に苦しむ謎の漏れる箱船に
しがみつきながら。
やっぱりちょっと
ネジがはずれた人が出てきて
発言力を持っていかないと
流れは変わらないのかもしれない。
みんな保証がない未来に
すくんでいるばかりで
損したくない気持ちが
上回るから。
このままじゃ何もかも変わらない。
競争力を失いながら進もうとして
いつか現実を知るのかな。
もうだいぶ追い抜かれてしまっているけど
生活レベルで実感しないと
腹を括れないのかもしれない。
あながち間違っていないのは
アントニオ猪木の至言。
「馬鹿になれ」
ホントにそうかもしれないと
感じる今日この頃。
ノアではなく、新日本だけどもね。