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字面ハラスメント、どう向き合うか


「やす子オリンピック

生きてるだけで偉いので皆

優勝でーす」


「おまえは偉くないので、

死んでくださーい 

予選敗退でーす」


明らかに言葉のリズムや構成は

お笑いの範疇でのやりとりに

見えても自然なことだと

初見では感じることも可能です


これがテレビのバラエティ番組で

本人映像があってお笑いの雰囲気が

画面から世間に伝わるのであれば


「てぃーびーしょー」の一環の

やりとりとして許容されるレベル

当事者のキャラや認知度によるが


ただし「とっても悲しい」という

やす子の返しが、もし別の角度で

「お笑いを成立」させていたならば

あぁ、そういうことねと笑う人も


もしかしたらお笑いの返しを

考えるような相手としては

フワちゃんを好きになれない

という側面から拒否しているか


私たちも普段から性に合わない

ような人とは無理に絡まない事

無意識に心を後ろ向きにしている


たぶん、やす子にとってのフワは

そういうちょっと接しづらい人

これ以前の絡み方の情報をみたが

いじめられッ子といじめッ子だ


声をかけてくる遠慮の無さや

距離を詰めてくるヤリクチを

マウント気質に受け取ってしまう

ネガティブな意識が上回る


「フワちゃん」というお馴染みの

キャラでテレビと同じ感じで

わりと自然に相手に絡んでいるが

学生時代から変わらぬスタンスで

そういうタイプの人、いますよね


フワはフワで、やす子に対しては

愛想笑いや心こもってない返しを

してくるやす子に不満もあったか


「はい〜」の連呼は本人の不安や

迷いの現れから生まれたワードかと


真ん中で昔から輝いていなかった

そういうキャラだが一生懸命頑張り

番組を盛り上げる好感度ある芸人

世間はその頑張りを認知してきた


もっとフランクにこいよって感じて

白々しい返しをしてくるやす子に

イラついているところもあったかも


それはフワのいじめ的な心情でなく

もっと良くしたい思いの素直な心情

だろうなと受け取ることもできます

全部の行為を悪人扱いしがちだが


全部で正解を間違いなく出せる

そんな人はそうそういないし

こういう可能性もあったろうなと

思うことは各自、気づきがある


完璧を自分以外の四方八方に

無意識に要求するのを私たちも

やめたほうがいいとわかっているが

他人のことになると首つっこみたい


ネット記事の言葉の羅列を冒頭

そのままコピーしてみましたが

言葉だけでどう感じるでしょうか?


感じ方はそれぞれで、自分自身が

気づいていない見方もそこで初めて

知るというようなこともあるでしょ?


これはね、読み手が各自

勝手にどちらにも解釈可能な

字面ハラスメントです笑


でも避けられないハラスメントで

うまくつきあっていかなきゃ

どうしようもない性質のものです


ネットメディアが稼ぐために

他人に首をつっこませるために

誘導しているようなものですし


乗せられてるとわかっていても

私たちも感情的に反応してしまう

それを利用しているメディアの罪

悪い意味でのハイエナ根性の実態


当事者同士の問題に他人が首を

つっこませるように持っていき

大きな渦に巻き込まれるサマを

笑いながら仕向け広告収入を得る


加担したらダメだとわかっていても

一部の人間に引きずられて

互いに巻き込み巻き込まれ問題を

勝手に大きくしていって


過剰に反応しあって

自粛や謝罪みたいな

この流れなんですよ

もうずっとそうで


たとえば、やす子の発言をした

その人が芸人の永野だとします


そして、それに呼応して応えた

フワちゃんが、陣内智則だとします


さらに永野が、とっても悲しい

と返したとします、どうですか?


これで叩かれる原因になるだろうか?

新しいバトルの再燃と面白がり

もっとやれ、もっと面白くしろと

そういう火をつけたがる流れになる


いや、逆に話題になったネタの性質

立ち位置を考えれば永野がシュンと

へこんで見せるのが正解か?笑


つまりは、キャラクター的に

やす子は、そういう繊細な面も

これまで見せてきたし、お笑いを

一生懸命「がんばっている」印象と


マジメな性格の一端を世間にも

認知されている、24Hテレビの

チャリティーランナーときた

もう悪い人じゃないイメージが

ガッツリつきまくっている状態


プロレスで言えば、やす子のような

そういうベビーフェイスに対しての

フワちゃんはヒール役のイメージが

これまたガッツリと定着している構図


もうこの状況を救う場面展開としては

やす子がお笑いで絶妙な返しをして

笑わせることしか両者を救う道は

なかったのかなと思います


でもやす子はお笑いの愛で相手を

救うことができなかった、心情的に

そういう苦手意識のある相手にね


お笑い芸人らはどう思うでしょうか

ほとんどの人は返し次第で変えられた

それこそが芸人のプライド、矜持だと

思う人が多いのではないかと感じます


SNSでの字面やネット記事では

周囲の第三者審査員が常時監視中

次々と判定を下しては拡散する

その判定は自分の常識が基準です


ただ、自分の常識が通る世界もあれば

そうでない世界もあって不思議でない

この前提を忘れてしまうんです


それでも通したくて主張してくる

騒動に発展して番組やイベントが中止

損害は言わないだけでたくさんありそう


でも騒動を大きくした大衆は責任なし

もうやりたい放題にしてしまうだけ


世間というくくりには自分自身も

当然含まれているが、こういうとき

自分自身は世間というくくりから

各自、距離をおいて考えてしまう


もう逆に誰とは言えない名無しの

集団心理が引き起こすハレーション

これを誰も止められないのだろう


みんなでヤレヤレ、やっちまいな

ツッコミのニュアンスも含まれるが

これも立派ないじめの構図ですから


ただ裏返ししただけの、いわば

いじめのリバーシブルなんですよね


当事者、自称審査員、メディア

まぁ当事者以外は、ホントにみんな

ただの余計なお節介なんでしょうね





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