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さりげなく許して理解を深めるやり方。


最近ものすごく増えてきた

マイノリティと言われる人たちへの

差別的な発言を、狩る流れ。


この流れで感じるのは

小学校くらいかな。

クラスでケンカして

女の子を泣かせたときに

当の本人より第三者の子が

「かわいそうっ!!」

って言いながら

すんごく責めてくる、例のアレ。


やっぱり同じような

構図がありそうです。

いいんですよ、あの流れもね。

引き締める意味ではある程度必要で。


ただ、それは目に見える

普段から顔見知りの人間同士が

生の声でダイレクトにやる環境、

だから、効果があると思うんです。


匿名性の強い、顔の見えない

言葉や声だけの反響。メディアに乗る。

こうしてしまうと趣旨が変わり

ひとり歩きさせてしまって悪い効果が出る。


もっと関係ないやつが絡んでくる。

騒ぎを大きくするだけで

なんにも本人のためにもならず

結局は、解決しないという。

その遊び道具にさせられるだけ。


どこにでもいると思うんですよ。

そして目に見えないだけ、そいつらも

ちょっと「大きくしたがる」ので。


こういう誰かの差別に対して

反応もせずに、関わらないでおこう

という流れができてしまう。


極端な話、悪い方向に進んじゃうと

無視する、空気にしてしまうという

より残酷で、陰湿なイジメと

変わらなくなる「おそれ」がある。


人間って話題にもされなくなるのも

本心を隠して気をつかわれすぎるのも

どちらも逆にツライと思うんです。


たぶん本人たちより、周囲にいる

ケンカを仕掛けて大きくしている人に

かなりの罪がありそうですけどね。


相対しているのが目に見える関係と

そうでない場合とを同じ感覚で

考えてはいけないのに、してしまう。


なんていうのかな。

両者ともに距離が縮む

やり方じゃないというか。


仲直りまでがケンカのおさめ方

だと思うんですよ。


差別される側の気持ちとしては

わかってほしいという気持ちが

強いだろうと思うんだけど、

差別的な行為をした相手が

すねてしまうような対処をしても

関係が良くはならないのでは?


謝らせることに主眼が行ってしまい

弱者が強者やそれ以外の人に対して

マウントを取る形にしかならない。


これで反省を促して、本来の目的の

「理解を深める」かといったら

そうなっていない気がするんです。


ケンカ仕掛けていないのに

ケンカを仕掛けられたからと

謝らせることをしているとしたら?

これで解決しますかね?


たぶん両者が理解するには

もう一歩進んで

さりげなく許して理解を促す

こっちのほうが仲良くなれる。


違いますかね?(笑)

この手の問題はかなり

慎重にならざるを得ない流れに

なってきているけどね。


もう少し、互いの理解が

進むために必要な別のやり方が

あると思うんですけどね。







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