終わらせたい人たち
ダウンタウン松本の復帰への意見で
なんでこんなにも彼を終わらせたいと
執着する人が多いのだろうか?
単に目立つ意見をメディアが
アクセス数稼ぎに利用して
騒げば騒ぐだけ狙いどおりだから
この一点だけに変わりはないが
ネットだからと好き放題
言い過ぎだろうという自覚も
まったくないというか
ハッキリといってしまえば
何の関係もない人が関わりたがり
満足感を得ているだけですよね
その人に対して咎めたとしても
それが正当な主張なら許される
正しいことなんだから落ち度はないと
思って体全体で大ナタ振り下ろす
コレやってるだけなんですよ
こういう快感や解消の仕方を自分に
インプットさせ馴染ませすぎている
個人ツールによる可視化の問題を
まだ私たちも消化できずに対処方法が
確定していないからでしょう、すべて
あとは失敗イコール負けという烙印
自分が受けた分、他人にも突きつける
そういう人もいるんではないだろうか
無意識でやってるんでしょうけど
これでプラマイ処理してるんです
謝罪させたい衝動を抑えられない
悪いことは悪いだろうが、そこまで
ケジメをつけさせようと躍起になる
その心境は何の代償行為なのだろう
打ちのめしてやろうとするココロ
どんな目つきしてるか、自分で
鏡を見たことがあるんだろうか?
そもそもね、いまを生きる私たちは
いろんな情報を知りすぎたがゆえに
妙に動くに動けない魔法をかけられた
これでは何も発展しないばかりか
前に進めなくなっていたとしても
正しいことだから停滞や後退も
やむ無しと言うのは、政治家と同じ
すべてに迷惑がかからないように
配慮したうえで慎重に万全を期して
動く、しかも善良さを保ちながら
こんな気遣いの気疲れを日常化した
その一歩を踏み出したのは、いろんな
情報を知ってしまったからですよ
なんなら、知らなくてもいいことさえ
知ってしまうということがどれだけ
不幸なことだったのか、いまとなっては
わからなくなってしまったほどで
許してほしいとは松本も思ってない
顔も見たくないと毛嫌いしてしまう
当事者は何パーセントの人だろう
まだ謝罪がないとかケジメつけてない
なんてことで、彼の道の足を引っ張る
そんな権利は誰にもないのだから
ほとんどの人は飛び交う情報により
信じたり疑ったりをしているが
そもそも当事者ではない人がこれ程
よってたかって責める構図は誰かに
そそのかされているとは思わないか
かつては物言わぬ大衆と思われてたが
言わなかったのではなく、言ってたが
見えて伝わらなかっただけだから
問題なのは謝罪に追い込まれる側が
意見を真摯に受け止めすぎること
簡単に意見に迎合しすぎること
ここで意見に従わない選択をする
それしかまずは、方法はないと思う
誠実でないと思われても大丈夫
何か得体のしれないモノから
自分を守るために従わないことも
大事な事なのに雰囲気に流され
時代のせいにして迎合していく
迎合したところで責める側は
謝らせて相手を落としたら終わり
立ち上がるために手助けもしないし
ザマアミロとしか考えない相手
意見に従う事や謝罪に付き合うのは
意味がない公開処刑やイジメです笑
心の奥底には自分たちはこんなに
失敗したら次のチャンスはないのに
なぜ芸能人や有名人は憂き目に
あっても立ち上がれる機会があるのか
腹いせや、嫉妬心、諦めしかない
自分たちの境遇を重ねて、相手に
同じ思いを味わえと攻撃してくる
こんな相手に付き合うは必要はない
だが、彼らを誰も救わなければ
これからもやむこと無く病み続ける
それを対象にあてがって解消する
このループは止まることはない
背景に、どうにもならないしくみを
打破できない社会課題が見えてくる
それに誰も手をつけられずにいて
手っ取り早くスキャンダル芸能人に
あてがって解消していることを
彼ら自身も気づかないといけない
向かう相手を間違えていることを
自分たちの管轄外で動かせないと
思っている事にプレッシャーをかけ
動かすほうが健全ではないだろうか?
こういう社会の動かし方を日本は
あまり経験してこなかった世代が
多くなりすぎたんでしょうね
でも誰かに任せて逃げても誰も
助けず見てるだけなのも日本人です
この意識を変えるムーブメントが
一番必要なことでは?
時には起こせよムーブメント
どっかで聞いたことある話だ