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旅の終わりが新たな探訪の始まり

明日、私は「人間ドック」と云う場所に行く事になっているのですが、こう云う時に緊張しているのか「檢査用の檢軆」と云うのが出ずに少々焦っております。
明日の朝迄になんとかなれば良いのですが、こう見えても割と神經質なのかもしれません。

さて、そんな切實な現状とは何の關係も無い夏の旅行の最終目的地ですが、例によって驛から自轉車を走らせて或る場所を目指しているのであります。

〽いざ行けや仲間達、目指すはあの丘~♪

自轉車を漕ぐ歯車の音を響かせて遠くに見える目的地の在る小高い丘を目指します。

目的地周辺に到着しました。
音声案内を終了します。

よく友達から「その道案内の方法、仕事思い出すからやめて」と言われますが、画像左側の坂道がそこへ續く參道となります。
ここからは自轉車を降りて一時駐輪。神域内は徒歩で移動します。

お寫眞は結界の外から

周囲は木々が生い茂り緑が深く、とても涼し氣です。
辺りは住宅地なのですが、この一角はまるで古代より時を隔てた異界である様です。

環境保全地域の看板

境内には杉の巨木が聳え立ち、小さい乍らも荘厳な雰囲氣の境内となっております。
初日に訪れた宇都宮二荒山神社とは對照的であり、寧ろこうした何でもない雰囲氣の方が或る種の畏怖を感じます。

最後の目的地「木幡神社」

ここは木幡神社。
決して観光地ではないのですが、どうしても當地を見ておきたく今回斯くは參詣致した次第であります。

簡單にこの神社の縁起を述べますと、ここは古代社会に蝦夷討伐を命じられた坂上田村麻呂が戰勝御礼に建立したのが始まりとされております。
當時の關東地方は朝廷の支配力が強くなく、土地の豪族達が度々反乱を起こしていたと傳えられており、「悪路王」や「阿弖流為」等と呼ばれている族長が有名です。

謂わば坂上田村麻呂の物語に所縁のある土地な訳でありますが、この物語の取材が今後のゲーム作りの筋書に大きな影響があるが故に、今回の旅行を決めた様なものです。
従って今回観て廻った大谷寺や大谷石採石場、長岡百穴遺跡等の諸見物はそれに附随したものであり、本命はこの地の探訪だったのです。

石段下より山門を見る

静かで誰も居ない境内。
この日の猛暑日に汗を流して熱心に見物しているのは私だけです。

實はこの地は古代世界に於いては大和朝廷とその他の諸勢力との境界であったとの見方があり、朝廷側としては蝦夷征伐の前線基地の様な性格を帯びていたとも言われております。
また、その蝦夷の地方豪族達も古代日本に於いては渡來系の一族とは違う系統の民族であり「原日本人」と云う概念を敢えて用いるならば或いはこちらがその系譜である可能性がある様です。

尤も更に古代に遡れば西の大陸から陸續きで來た民族と海を越えて南の島々から來た民族、北方大陸地方からの渡來者等、世界的に見れば多くの民族が終に集まった地とも見る事が出來るのが日本と云う國の特異性なのかもしれません。

それら諸々の集まりが長い時間をかけて一つの日本民族としてまとまっていった過程には諸學説・諸見解があり、ここで結論を出す事は出來ませんが、所謂「一族」と呼ばれる集團を越えて種族として何らかの繋がりを廣範に持っている極めて微妙な立ち位置に在るのが日本人ではなかろうかと思うのであります。

さて話を大和朝廷に戻しますが、地方の豪族達を打ち従えていった過程は古代史に詳しく、古くは九州の熊襲等、所謂「ヤマト」とは違う一族がこの國に数多存在し、今も尚その血統は何らかの方法で生き續けている事は周知の事實であります。
しかし、全軆としてこれら一族を越えて「日本民族」と云う1つの存在を思うに當たり「我々が何者であるか」ではなく「何が我々なのか」と云う命題を一人の日本人として今眞劔に考えている身の上であります。

見事な造作

山門を間近で見れば屋根を支える造作も見事であり、神仏習合の時代を感じさせる丹塗の様もまた當地の歴史の流れを物語っている様であります。
この山門と社殿は縣内最古の社寺建築であり重要文化財に指定されております。

大鳥居

変わった注連縄の掛け方に「もしや禁足地か」と思い慌てて鳥居の外に出て立入禁止の看板等が無いか念入りに調べましたが、どうやらそうではなかった様です。
ご神域に詣でる、謂わば「神様のお住まいにお邪魔する」と云う行為は余程氣を附けなければならないのです。

參道入口

この木々の不思議、この空間に或る種の所謂「インスピレヰション」を感じる事が文字通り神様に近い場所に居ると云う事ではなかろうかと思うのであります。
神社の境内もそうでありますが、もし神様が存在するとすれば日常のこう云うところにその存在を確認出來るのではなかろうかと存じます。
然るに、それをしかと確認出來る場所では自分の行いを厳に正さなくてはならないと思うのであります。

何も無いが何かある氣配

こうした雰囲氣に触れる事はとても大事であると思う一方、その触れ方を誤ればとても恐ろしい事になるのです。
畏敬の念を以って取材をさせて戴いております。

境内の鐵灯籠

残念乍ら明確な形で有力な資料となるものが無かったので、これ以上を現地で見聞出來なかったのでありますが大変興味深い事實を知るに至り、更なる探求の念を抱くに至りました。

最後に外周を走る

神社の外廻りを周廻してみます。
この通り小高い丘に在り、周りから隔絶された雰囲氣を出しております。

尚、古來よりこうした丘を神聖な祭祀の場としてきた事例は枚挙に暇が無く、私の地元に在る神社の塚も元は前方後円墳ではなかろうかと云う説がある位です。

神域と人界の狭間に

少し神社から離れればこうした人里に出られます。
夏の空に青々とした田んぼ。
その後ろの木々はまるで『トトロ』に出てくる塚森の様であります。

蝉の声はあくまでも元氣良く周りの自然と合わさって、昔から身に覺えのあるあの不思議な感覺を思い起こさせるのであります。
この感覺を何かの方法で表現出來れば良いのですが、私の如き乱筆乱文では到底その實を形容し難く、ただ「日本人として感じる夏の風情」としか言い表せないのであります。

しかし、今回は自轉車の旅にてこうした雰囲氣に方々で触れ、とても幸せな時間を過ごして參りました。
色々に當地を見物して學びも多く、非日常の空氣に触れ、おまけに良き宿、地酒と温泉の愉しみも甚だしく、ひと夏の思い出に相應しい旅となりました。


さあ、愈々帰りの汽車の時間も近附いてきた様でございます。
自轉車を畳み、池袋行き快速電車に乗って帰路に就きます。勿論グリーン車です。
宇都宮驛での乗り換え時間があまり無かったので碌な飲食物が賈えなかったのが少々残念でありますが、旅の終わりをさり氣なく過ごすには丁度良いのかもしれません。

旅の終わった場所が新しい始發驛

次の旅の目的地は決まりました。
今回の坂上田村麻呂に因む「田村語り」を辿ってみようと思います。

實に不思議な事に、私が現在製作中(…と言えるのかな……?)のRPGツクール作品に於いて主人公達が辿った道筋がいつの間にかそれに關わりを持つ場所に出てしまったのです。
これが今回の取材旅行のきっかけでした。
調べれば調べる程、不氣味な位に痕跡や傳承等の繋がりを見る事が出來ます。

局地的豪雨がやって來る

こうなったら、その謎を探求しなくてはなりません。
そして自分なりに日本人として、一つのメッセージを作品に込められゝばと思っており、それがゲームが完成するか否かよりも大事な一つの夢と考えているのであります。

主人公よ、どこへ行く?
流れ流れて明日は何処へ…

以上、今夏の旅の記録を一旦はこゝで御仕舞と致します。

その内に、また…

12月も中頃に差し掛かろうかと云う頃合いでございますが、夏の思い出をそっと胸に、これから今秋を愉しんだ出來事を思い出してみようかと存じます。


ー終ー


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