誤訳の旅/ジョン・チーヴァー『泳ぐ人』:背中なのか尻なのか
村上春樹訳のジョン・チーヴァーの短編「泳ぐ人」The Swimmer から。原著は『ニューヨーカー』誌上に1964年発表。有名な短編です。
小説のわりと冒頭から引用します。(太字強調は引用者、以下同じ)
太字にした箇所に違和感があったので原文を確認しました。
問題は単純で、"give someone's backside a smack" に類する表現は「背中を叩いた」でいいのか、という点です。もっと端的にいえば backside は「背中」か? ということ。ここで「あ、単純な誤訳だ」と思った人にはこの記事のつづきはあんまり意味がありません。あとは蛇足です。
backside について辞書を引いてみると、ランダムハウス英和大辞典は以下の通り:
プログレッシブ英和中辞典だと以下:
Oxford Advanced Learner's Dictionary は少し面白くて、
つまり「その上に座る身体の部位」という書き方をしています。いずれにせよ、背中ではなくて尻です。back は背中ですが backside は尻。
そもそも、小説の冒頭で人物のキャラクターを説明しつつ物語を始めようとするときに「彼は若くもないのに階段の手すりを滑り降り、銅像の背中を叩いた」という文章は少し不自然だと思いませんか。この部分の文章の流れは、
ネディー・メリルは若く見える
が、実はそれほど若くはない
「それなのに」
その朝は階段の手すりを滑り降り、通りすがりにアフロディーテ像の「背中」を叩いた
となっています。つまり階段の手すりを滑り降りたり、アフロディーテ像の「背中」を叩いたりというのは、単純には「若い男のやりそうなこと」、もう少しニュアンスをつければ「もう若者とはいい難いが気持ちはまだ若い男がやりそうなこと」を表現する行為であるはずです。
想像してみてください。若そうに見えるけど本当は若くもない男が、手すりをすべったりしながら颯爽と階段を降りてくる。そして通りすがりの場所に、背中か尻に手が届く位置関係で半裸だか全裸だかの女性像が置いてある。本当はそんな振る舞いをするような若者でもない年齢のご機嫌な男が食堂に行くついでにぴしゃりと叩くならどこを叩きますか? 尻ですよね。少なくともこの時代の、そういう意図の文学的クリシェという意味では。
こういった身体の仕草の英語表現については小林祐子編著『しぐさの英語表現辞典』(研究社)が参考になりますので、念のために確認しておきます。backside を叩く動作についての解説は以下のようになっています。
やはり「尻を叩く」ということですね。
この辞典によると「背中を叩く」、つまり pat / pound / slap / smack / hit one's back という行為は、ふつうは祝福とかねぎらいとか励ましのジェスチャーであると説明されています。「よくやったぞ」とか言いながら背中をぽんぽんするやつですね。slap とか smack だと少し手荒な祝福という感じになる。その点でいっても、やはり村上訳の「背中をぴしゃりと叩く」は文脈的に合いません。
ちなみに、いうまでもないですが「尻を叩く」行為は生身の人間、しかも親密な関係ではない他人にやったらセクハラというか性的暴行です。実際に、ニュースレポート中に他人に backside を slap された女性レポーターが性的暴行の疑いで法的措置を求めているというニュースがありました。
Female TV reporter seeks criminal charges against man who slapped her backside on camera
というわけで、さすがにこんな単純なミスが活字になるはずはないと思って辞書のほかにもいろいろ調べたり人に聞いたりもしてみたのですが、やはりここは誤訳としか思えません。あえて backside を「背中」と訳す理由があったのか? あるいは1960年代アメリカ文学的には「背中」が正解なのか?
ちなみにこの短編はフレッド・ペリー監督、バート・ランカスター主演で映画化されていますが、この映画はランカスターがいきなり林から出現するなどかなり自由に翻案した変な映画になっており、引用部分に該当するシーンもありません。予告編はこちら↓
※ この記事のヘッダ画像はホワイトハウスのプールに飛び込む第38代アメリカ大統領ジェラルド・フォード(1975年)。